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”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”

『鮭と共に生きてきたまち』

2016.04.13 23:00

「鮭のまち」として全国的によく知られている越後村上(
新潟県村上市)。


この時期、恒例行事である鮭の稚魚放流が、市内を流れる
三面川で行われたそう。

地元の鮭産漁協組合が育てた体長7㎝ほどで体重1.5g、
体長6~8センチの稚魚
5万匹を知事や小学生など200人
が放流。
















放流式に参加した市内の子どもたちは、稚魚の入ったバケツ
を大事そうに抱え、水際では「元気でね!」「また戻ってきて
ね!」
などと声をかけながら、優しく放流したとか。

ちなみに稚魚の耳石にしるしを付けているので、世界の
どこで獲れても村上の鮭だとわかる
そうです。

http://www.pref.niigata.lg.jp/murakami_kikaku/1356755288345.html


私は5年ほど前の夏に家族で越後村上を訪れました。
宿泊したホテルの玄関上には鮭が干してあり、街中の
あちこちに食用の売り物や鮭関連の土産物を見かけ
ました。

土地の人によると、鮭は川に登って産卵し、孵化した
稚魚は翌春に川を下って大海に出て、3~5年と
北洋の荒波の中をまわって成魚となり、再び生まれ
故郷の水を飲み分け、ふる里の川に戻ってきて産卵

するという習性があるそうです。

越後村上と鮭の関係は古く、平安時代中期に編纂
された「延喜式」には、越後国から朝廷へ鮭を献上
していた記録があり、村上の鮭も含まれていたと
言われています。

「但於瀬波河者 有限国領也 就中漁鮭為重色
済物 庄家不可成妨」
(三面川は国の持ち物である。鮭は都への大切な
貢ぎ物あるので、土地の役人であっても勝手にとって
はならない。)


江戸時代、藩の下級武士であった青砥武平次が
世界ではじめて鮭の「回帰性」(鮭が生まれた川に
戻ってくる)
を発見。

武平次は、その性質を生かして三面川で産卵に
適した分流である「種川」を設けて、鮭の産卵
を
助けました。

この世界で初めての「自然ふ化増殖システム」に
より、三面川の鮭の漁獲高は飛躍的に増え、村上
藩の財政は潤った
といいます。
 
明治11年アメリカの孵化技術を取り入れた日本で
初となる人工孵化
に成功。

減少していた鮭の遡上数は、明治17年に737,378
尾を記録
するまでに増えました。(単一河川では
日本の最高記録)

そして、その収益金の一部を育英基金として、旧
士族たちの子弟教育
に使い、多くの人材を世に
送り出しており。この育英制度で進学した人たちは
、地元で「鮭の子」と呼ばれたそうです。

村上市は鮭一人当たりの消費量で日本一を誇り、
百を超える多彩な料理法で、鮭を頭から尻尾まで
あますことなく味わうことができます。

村上に在中、鮭をこよなく愛する人々の昔からの
知恵と工夫
が生きた郷土料理を堪能できました。