『大地動乱と清正公』
熊本県での相次ぐ内陸直下型地震。被害に遭われて
いる方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
名将加藤清正が建てた日本三名城のひとつ「熊本城」。
城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分)、周囲
約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで、清正流石垣と
呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用
した高度な築城技術で知られています。
(詳しくは、熊本城公式HPへ)
城造りの名人と呼ばれた清正公が築いた城には、
「石垣」と「籠城対策」の特徴があります。
熊本城の石垣は、独特の弧を描く「扇の勾配」。
地面付近は勾配がゆるく(約30度)、昇るにした
がい勾配がきつくなるという独特な造りで、「武者
返し」や「清正流石組」などと呼ばれました。
西南の役(1877年)で、熊本城に立て篭もった
新政府軍は、西郷隆盛公が率いる反乱軍の攻撃
を52日間も耐え抜いたといいます。
そのために退去を余儀なくされた南洲公は、
「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けた
のだ」と言ったそうです。
『そもそも、日本は明らかに地震国であり、火山国
です。日本の国土面積は世界の0.28%ですが、
世界の地震の10%は日本で起きている。
火山活動は7~10%です。そして、地震や火山の
活動には、揺らぎがあります。つまり「活動期」と
「静穏期」があり、行ったり来たりする。
今がどうかというと、明らかに活動期に入ったと
見るべきでしょう。』
昨年5月のブログ「大地動乱の時代」にて、長尾
年恭氏(東海大学海洋研究所教授・地震予知
研究センター長)の意見を紹介したことを思い出し
ます。
M7.3の最大規模の地震が起きて以降、阿蘇地方
で最大震度6強を記録するなど、熊本地震の震源
付近から北東側へ活動域が延びて活発化している
との報道を目にしました。
同県には、南阿蘇村から御船町までを東西に貫く
布田川断層と、そこから八代平野へ南に縦断し、
海に至る日奈久断層があります(全長101㎞)。
当初この2つの断層帯付近で発生した地震が、
16日になって北東側の阿蘇地方や大分県へと
拡大しており、気象庁は「震源分布が延びる方向
の延長に力がかかっている」と説明。
2013年2月、政府の地震調査研究推進本部が、
「活断層地震の確率、九州は30年内に30~42
%」と公表していました。
熊本では今年2月12日以降、深さ10kmでM1.7
~M2.7の地震が発生。
規模的には一見小さいようですが、立命館大学の
高橋学教授など専門家によれば、プレートの動き
全体をみる必要性があり、今回の熊本の地震だけ
では収まらないといいます。
”これらの地震を発生させているエネルギーの流れは
、台湾-琉球諸島-西日本-中部日本-東日
本の一部が位置する「ユーラシアプレート」と、その
下にもぐり込んで圧縮している「フィリピン海プレート」
にまでたどり着く。”
そして今回、高橋教授が気になるというのが、
4月14日前後にフィリピン海プレートとインド・オー
ストラリアプレート境のフィリピン海、太平洋プレート
とインド・オーストラリアプレート境のバヌアツ、
太平洋プレートと北米プレート境のカムチャッカ半島
でも大規模な地震が起きていること。
”フィリピン海プレートは比較的小さなプレートで、
その東側と北側には太平洋プレートがもぐり込んで
いる。
これまであまり注目されてこなかったプレート同士では
あるが、フィリピン海プレートの圧力を受けている桜島
の噴火が2009年頃から急増し、2011年にピークに
達したことや、西之島新島が形成されたことなどをみる
と、今後、フィリピン海プレートと太平洋プレートの
関係にも注目していかねばならない。
特に、首都直下型地震の可能性を考える場合、
これらの関係は極めて重要である。”
今回の熊本地震を単体のものとしてとらえず、日本
全体の「危機の前兆」と認識し、対策を講ずる必要
があるという警告。
さて先に挙げた熊本城では、砂煙を上げながら瓦が
崩落する様子が報じられました。
しかしここに清正公の知恵を見ることができます。
瓦を固定しないことで、地震が来た際には屋根の瓦
を落とす。そのことによって建物を軽くし、建物自体
が倒壊しないようにするという知恵には深く関心
させられます。
「上一人の気持ちは、下万人に通ずる」といった清正
公の言葉。
油断をしてはいつ何が起こるかわからないという声
に耳を傾け、いざという時への備えを怠らないように
したいものです。