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平畑静塔の「藁塚」の句

2024.10.07 11:45

https://miho.opera-noel.net/archives/3467 【第六百九十六夜 平畑静塔の「藁塚」の句】より

   森の中に入る         江崎玲於奈

 アレキサンダー・グラハム・ベルは有名な電話機の発明者です。この人の名を冠したベル研究所の表玄関にロビーに胸像があり、そこに次のような彼の言葉が刻まれていました。

 「時には踏みならされた道から離れ、森の中に入ってみなさい。そこではきっとあなたがこれまで見たことがない新しいものを見出すに違いありません。(Leave the beaten track occasionarlly and dive the woods. You will be certain to find something that you have never seen before.)」

 科学の世界で、新しいものを見出すためには「ダイブ・イントウ・ザ・ウッズ」(森の中に入ること)をなさねばなりません。その意味では、いわば常道から外れることが許されるのがアメリカ社会で、多くの発明、発見がなされるのは、だれもが自由に「森の中に入る」ことが許される社会だからかもしれません。 ※江崎玲於奈は物理学者。1973年、ノーベル物理学賞受賞。 

 今宵は、「藁堆(わらにお)」の作品を紹介しよう。

■1句目 藁塚(わらづか)、藁堆(わらにお)

  藁塚に一つの強き棒挿さる  平畑静塔  『現代俳句歳時記』角川春樹編

 (わらづかに ひとつのつよき ぼうささる) ひらはた・せいとう

 句意はこうであろうか。藁塚はいろいろな積み方があるが、刈り稲を円錐形に高く積み上げたもののことである。ここの藁塚は円錐形に積み上げた真ん中に竹の棒をガッシと突き刺して動かないようにしてありましたよ、となろうか。

 関東平野の南端の茨城県守谷市から北上すると田が広がっていて、ちょうど今頃は藁塚の景が至るところに見ることが出来る。常総市辺りで見た鬼怒川べりの田んぼは、確か円錐形で、棒が挿してあった。

■2句目 にほ

  農夫婦かつての恋の藁塚を組む  千賀静子  『現代俳句歳時記』角川春樹編

 (のうふうふ かつてのこいの におをくむ

 句意はこうであろう。今も昔も、稲刈りが済むと、同じように藁を積み上げて藁塚(にお)を夫婦で力を合わせて組み上げているが、若い頃、夫婦になる前の恋をしている時も力を合わせて藁塚を組んでいましたよ、となろうか。

 「にお」とは、藁塚とも堆とも表記される。「堆」は、うずたかい、という意味で、物が積み重なって高くなっている様をいう。

https://meiku.exblog.jp/14558908/ 【葡萄垂れ下がる如くに教へたし   平畑静塔】より

   《 ぶどうたれさがるごとくにおしえたし 》

 季題は〈葡萄〉で秋。累々と垂れ下がる葡萄の房ーーー。よく熟れたその一房を、てのひらに受け止めてみると、ずっしりとした充実の重みが快く伝わってくる。このように張りつめたみずみずしい心でもって学生たちに接してゆきたいと願う作者ではある。

 上五から中七にかけての比喩は、決して黄金を打ちのべたようなという表現ではない。むしろ「垂れ下がる如く」というのはぎこちないといってもよい比喩である。しかし、この部分には、表現以上の重さが感じられるように思う。上五中七のごつごつしたかたまりが、自然に内容の重さを感じさせる働きをしているのである。

 山本健吉は、この句を、ヨハネ伝十五章の「我は葡萄の樹汝らは枝なり。人もし我にをり、我また彼らにをらば、多くの果を結ぶべし」を引いて、そのイメージによるものとする。   ( 克巳 )

 昭和二十一年三月、中国から帰還した静塔は、その秋、大阪女子医専の教授に就任した。教職にあったのはその後の三年間にすぎないが、二十三年には、「天狼」発刊。俳人としても最も気力の漲っていた頃。四十代に入ったばかりであった。

 ずっしりと充実感のある比喩である。生半可な知識の受け売りではなく、落ち着いた収穫をもたらそうという意志がこめられた句だ。その頃の代表作、

   < 藁塚に一つの強き棒挿さる >

を見ても、静塔は意志の人だと思う。

 句集『月下の俘虜』のあとがきに、「私は現在の自己の未熟と薄弱と狭量と沈鬱を克服してゆく希望を燃やす」とあるごとく、常にいかに生きるべきかを追求し、俳人としての自我の完成、すなわち「俳人格」を障害の理想としたのであった。   ( 和子 )

  昭和23年作。句集『月下の俘虜』所収。

https://charis.hatenadiary.com/entry/20131130 【今日のうた31(11月)】より抜粋

・ 藁塚に一つの強き棒挿さる

 (平畑静塔『月下の俘虜』、1950年頃の句で作者の代表作の一つ、稲刈りが終った田に静かに並ぶ藁塚、心棒に藁束が積み重ねられているのを「一つの強き棒挿さる」と表現、棒の存在の「強さ」がこの句によって前景化された、今は稲刈り機が同時に藁も細断するので藁塚は珍しい) 11.6

https://blog.goo.ne.jp/19310601/e/0fb4fe2e1d31d5a3f241e953321d0066 【かくれんぼ藁堆(にお)は暖かいい匂い   能登】より

藁堆(わらにお)、藁塚とも言います。稲を刈り取ったあと、田に積み上げた藁束のこと。

秋の季語です。作者の子供時代を思い出しての一句でしょうか。

稲刈りの終わった田でカクレンボ。日差しに温められた藁堆は暖かで、いい匂いでした。

今の子にはどうかな?私達の世代にとっては懐かしい藁の匂いです。

  藁塚に一つの強き棒挿さる  平畑静塔

地方によって様々な呼び方があります。

わらにょう・けらば・にご・わらぼっち・すぼけ・・・写真は東北旅行の際、バスのなかから撮影したものです。