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junpei murakamiの日記

齢41歳にて、自分探しに迷走する中二病を発病した。

2018.09.22 14:52

皆さんはどんな時に感じるのであろうか?


生きがいや自分の存在価値を感じるというか、なんというか凄く自分の事が肯定できる気分の良さを感じる時というか。


自分が当事者となって、自分自身が楽しんだり、喜ぶことによりそれを感じれる人


自分以外の誰かが喜んでくれたり、必要としてくれたりする事により、そのような気持ちを感じる人


と、いった感じで、そんな気持ちを感じるのは二つのパターンがあると思う。


これ、①か、②かという話ではなく、誰にでも両方で喜びを感じられるとは思うが、どっちが強めかというのは人それぞれなのだではないだろうか。


①の自分の内側向けが強めの人

と、

②の自分の外側向けが強めの人


といった感じに分けられるのではないかと思うのだ。


僕は若い時はかなり①のほうが強かった。


自分が何をやりたいか、どうなりたいか、なにかを成し遂げて、どうみられたいか。。


こうしたい、こうやろう、今度はあれを、、、と、そいうやりたいことや、好奇心が次から次へと湧いて出てきていた気がする。





10代はDJで有名になりたいなんて思ってた。


美容師で有名になりたいとか思った事もあった。


イベントのオーガナイザーをして、周りの人のおかげもあり数百人のお客さんがあつめられるようにもなった。


自分は何かが大きなこと出来るんじゃないか?自分は特別な存在なのでは?なんて思っていた。


でも、結局どれも自分の思うような未来にはならなかった。。

いや。なれなかった。


希望的観測で行動し、口当たりの良い前向きな言葉をはき、自分のやりたいようにやり続けた結果、、。


その先には、ただなんてことは無く先細りになり、何者にもなれなかった。


そして、その後、


大切な人もいなくなり、山のような借金だけが残り、自分の根拠の無い自信も全て砕け散って無くなった。




そしてしばらくたって、親友が亡くなった。

色々考えた結果、もう一度人生にちゃんと向きあい、立ち上がって目標を持とうと考えた。


思ったのは自分で美容室をやるということだった。


シンプルに美容室を自分でやってみようと思ったのだ。


それに向けて進む中で考えを改めた。


自分がどうしたいじゃ無くて、お客さんが、周りの人が、自分以外の誰かが求めることをやっていこうと思った。


そうすると、あれよあれよと全てが上手く回り出した。


ラッキーな事に良い出会いがたくさんあり人に恵まれ、30歳前に滑り込みでお店も持てて、軌道に乗り、それ以外のお仕事も舞い込んで来た。




人並みにお金が稼げるようになると、


できる男=稼ぎ

人の役に立った対価=稼ぎ

人間としての価値=稼ぎ


と思い、

とにかくもっともっと。

お金という結果を目的に仕事を考え、それに取り組むようになった。


周りの人から求められる事、人のためになる事、必要とされる事、そしてお金にちゃんと繋がること。


無い頭で考えて全力でやってきた。


そうしたら、お金を稼ぐことはあまり難しい事では無かった。


そこでこう気づいた。


「なるほど!人生を豊かに、成功に導くには、自分がどうしたいのか?ではなく、人の希望や、他者がどうしたいに答えれば良いんだ!」


人に喜ばれることは素直にうれしかった。


もっともっと人に喜ばれたいって心から思ったし、それが自分自身の喜びになった。


最初の問いでいうと、限りなく100に近い②の人間になろうと思ってそう進んで来た。


そして、そんな毎日を繰り返し約10年経った。。




そして現在。


自分以外の誰かのこうしたいにのみに、耳を傾けて続けてきた。


仕事でもプライベートでも。

すべて感情ではなく合理的な判断で進めて来た。


その結果、


僕は自分が何をしたいのか?

何をしていれば楽しいのか?

僕は何が好きなのか?

僕はどうしたいのか?


など、そんな感情が全然わからない。


自分のことがよくわからなくなってしまったのだ。


ちなみに苦悩したりはしていない。

数日そんな時もあったけど。僕は寝たら嫌な事は消去されていくタイプなので、もう悩んではいない。(^o^)


こんな状態でもメタ認知が行き過ぎている僕は、今の状況を楽しんでいたりもする。


40歳超えた今更、今現在、自分探しの瞑想の旅をしている。

わたしは齢40歳にて中二病発症した(笑)

実に痛いおっさんだ。\(^o^)/




でも、今までを後悔も全くないし、間違っていたとも思わない。


あのまま自分の自我ばかり見つめてやりたいようにやったとしたら、夢破れたのち、2018年の僕は人生詰んでいたと思う。


それよりは今の方がはるかにマシだ。

まだ人生は積んでない。


自分という人間を見失い、喜怒哀楽の感情も抑えすぎて希薄になり、自分の心の内からくる何かがあまり聞こえなくなってしまっている。


このままの状態で生きていく事が、正しいとは思えない。


僕はロボットに近いような思考であったとしても人間だ。


もう少し感情的な、叙情的な部分というのはあった方が人生が彩り豊かになり、楽しい気がする。


負荷をかけない合理的な判断だと、今後の自分の人生、今までと同じスタンス、プラスα位の頑張りで、そつなく人生も終えられそうな気もする。


だが、もっと僕は頑張りたいし、何かをしたい、このままではダメだという気持ちが根底にある。


それには頑張る理由だったり、自分の心に熱い何かがないと無難に毎日を消化するだけになってしまう。


人はいきなり変われるものではないので、ちょっとずつでも自分に変化をつけていこうと思った。


そうすれば何かが変わってくるのではないないだろうか?




そこで、考えたのが自分の「こうしたい」というたまに出てくる衝動を我慢せずに実行する。


あらゆる意思決定を他者に合わせるというフィルターを通して行い続けた結果、今こうな自分になってしまった。


なので、全部ではないけど、少しづつでも、

自分がこうしたいから、こうする。

と言う、

自分の考えや思いを優先して実行する事を、ここ最近は意図的に増やしていっている。


それは小さなことから大きな事も。

仕事であったり、プライベートでも。


もう少し自分自身の感情に素直に従ってみようと思う。


一つ一つと向き合って、自分がどうしたいのか?というのを時間をかけて問う事も同時に行なっている。


一人で散歩してみたり、カフェで考えみたり、夜寝る前だったり、じっくり考える。





ここ最近子供を見ると羨ましく思う。 


とくに2.3歳のような子供は好奇心の塊であれがしたい、これがしたいという気持ちのみで行動をしているように見える。


これをしたらこういう見返りがあるとかではなく、ただそれをしたいからするという。。

知的欲求や好奇心に突き動かされての後先考えない行動だ。


今の僕の一番対極にいるのが子供だ。


僕も3歳くらいの幼児のような感覚があったらもっと楽しくワクワクする毎日なのかなー。。とか、訳のわからない事を考えている。


ともかく!


ふつうに生きられればまだまだ長い人生。


よくわからなくなった自分を見捨てずに、しっかり見つけたいと思うのであった。


しばらくはココにアウトプットも続きそうだ。