11月5日(日)22時11分
新しい生活が始まって、半月が経った。
朝5時半ごろに起きて、朝ごはんと昼のお弁当を拵えて、バスと電車を乗り継いで都心へ通勤する生活。
存外当たり前にこなせてしまっている自分がいることに、誰よりも自分が驚いている。
幸い休みを調整しやすい職場なので(今のところそれが至上で最悪唯一の美点かもしれない)、早速来月からいろいろと催し物を再始動させていくことにした。今はそれの下準備の真っ最中になる。
長い通勤時間には確かな恩恵もある。本が読める。
最近はスワニスタフ・レムの『ソラリス』を読んだ。名前は知っていたしタルコフスキーが映画化したことも知っていた。そして先日発売したSFマガジンで森泉岳土が漫画連載を始めていた。駅にある、7時から開いている本屋でその表紙を見て「そうだSF読もう」となって、そのままその店で『ソラリス』を買った。さほど大きくない店なのに、さりげなく堅いものが置いてあるのでとても有難い。先日はガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』を買った。
今はギョルゲ・ササルマンの『方形の円』を読んでいる。宣伝文ではイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』との対比が目立つが、個人的にはブノワ・ペータースとフランソワ・スクイデンの『闇の国々』を想起した(白状すれば『見えない都市』が未読であることにも起因する。お前はカルヴィーノ好きなんじゃあないんかいと後頭部斜め上辺りからお𠮟りが聞こえる)。
休みがあったので、映画『アンダーカレント』を観に行った。
公開初週に観に行って、それから寝かせて、改めての二回目。
一回目は原作に、言うなれば囚われた状態での鑑賞だったわけだけど、深夜の平塚の映画館で一人きりでレイトショーを観た際は(本当に一人っきりだった)、方々に消化不良感を残した、非常にもやっとした感情に包まれたまま暗い劇場を後にした。劇場が暗いのは心象が暗いからではなく、最低限の箇所以外は本当に電気も落としていたからだ。従業員も当然のようにおらず、どうぞ勝手にお帰りになさってくださいと言わんばかりの雰囲気だった。あれは凄かった。
二回目は、いったん原作のことを忘れて鑑賞した。そしたら比較的落ち着いて観ることができた。やや助長な気もするけれど、程良く良い映画なのだろうと思う。
だとすると、映画における原作とはいったいなんだ、という気分になった。先の『ソラリス』をタルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』は、レムとタルコフスキーのあいだで大喧嘩を引き起こすほどに内容が改変されている。原作者と映画監督の間での諍いでほかに有名な話だと、『シャイニング』か。
いずれの立場でもなく自ら何かを創ることをしない身としては、「ケンカになるほど内容いじるならいっそ自分で創ればいいのに」などと無責任に考えてしまう。幸い『アンダーカレント』は原作者との丹念なやり取りの末に生まれた作品となっている。
新しい職場で「どんな音楽を聴いているか」と尋ねられる機会が多い。社用車による移動が多く、それに伴い車中で音楽を流すことも多いためだ。
ちなみに最近は、こういうのを聴いている。ロシアのハバロフスクに住んでいる方らしい。ハバロフスクがどこにあるかは知らない。
breakcoreというジャンルの音楽だそうだ。この手の音楽に対して造詣が深いわけでは決してないので、このSink Saikoの音楽が他と比べてどれほどのものなのかは全然わからない。
ただ、たまたまYouTubeで出くわして、それで気に入って、そのままbandcampでダウンロードをした。それを通勤中も聴いている。
この手の音楽ジャンルに恐らく近接あるいは内包している問題であろう「割れ音源」についての話を、ピアノ男氏が音楽ナタリーに記事を書いていた。おそらく一定年齢以上の音楽リスナーのおおよそが無意識に、口をつぐみつつもしれっとその恩恵を享受している領域の話。なかなか興味深かった。
前までは、2時とか3時とかまで起きていることがざらな生活を送っていたけれど、今は23時には眠たくなるような生活を送っている。
とても健全で大変によろしいのだけど、少し物足りなさを感じることもまた事実なわけで。
そうは言っても今の生活を送ることを決めたので、今日も炊飯器にお米をセットしてからベッドに向かう。