ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 南部一之宮 櫛引八幡宮 ~「本日から25日まで、櫛引八幡宮秋季例大祭が執り行われます。(その1)」
このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風21号並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
南部藩総鎮守、櫛引八幡宮。
亭亭と空を差す杉に護られた静寂の空間で、
ひとびとの祈りに寄り添い、佇む。
9月23日~9月25日まで櫛引八幡宮秋季例大祭が執り行われます。
秋祭りは1年の中で1番大きなお祭りです。24日は流鏑馬や伝統芸能の奉納もあります。
皆さまの御参拝を心よりお待ち申し上げております。
櫛引八幡宮の草創
櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられる。
南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。
「櫛引八幡宮縁起旧記」によれば、このとき遣わされた家臣とは津島平次郎で、
平次郎は宮地が決まるまで六戸の瀧ノ沢村に仮宮を営んで奉祭した。
また、甲斐から別当僧の 宥鑁(ゆうばん)が供奉し、別当普門院の祖となったという。
津島平次郎の子孫に当たる 滝沢家は八幡宮の鍵守として、普門院とともに代々祭礼を取り仕切った。
また、『櫛引八幡縁起』には、櫛引村に大同年間(806~810)に坂上田村麻呂が祀った 八幡宮の小社があり、同神同体であるので瀧ノ沢の仮宮からこの地に遷座したとある。
以後、 櫛引八幡宮と称し、南部の総鎮守となったのである。
【境内】
用地は約5万3千平方メートル(1万6千余坪)であり、神域内には樹齢数百年を経た老杉が立ち並び、古来より「八幡山」と呼ばれ、親しまれております。
【八幡様のお正月】
お正月には初詣の参拝の方々が長蛇の列をつくり、0時ちょうどに新年を告げる大太鼓が打ち鳴らされると1年の幸せを願う人でごったがえします。
御祭神
御本社・御祭神
八幡大神(ハチマンオオカミ)-別奉称 誉田別尊(ホンダワケノミコト)
脇宮御祭神
天照皇大神(アマテラススメオオカミ) 天津児屋根神(アマツコヤネノカミ)
未社・摂社御祭神
大国主神 (オオクニヌシノカミ)
建御名方神 (タケミナカタノカミ)
惶根神 (カシコネノカミ)
伊弉冉神 (イザナミノカミ)
水波能賣神 (ミズハノメノカミ)
白山比神 (シラヤマヒメノカミ)
素盞雄神 (スサノオノカミ)
猿田彦神 (サルタヒコノカミ)
倉稲霊神 (ウガノミタマノカミ)
武甕槌神 (タケミカヅチノカミ)
伊弉諾神 (イザナギノカミ)
鳴雷神 (ナルイカツチノカミ)
生保馬神 (イクヤスマノカミ)
泥土煮神 (ウヒジニノカミ)
火産霊神 (ホムスビノカミ)
大山祗神 (オオヤマズミノカミ)
境内案内
※右回りでご参拝ください。
境内
(重要文化財)
・本殿 ・正門 ・神明宮 ・春日社 ・長所
(県重宝)
・明治記念館
国宝館
鎌倉時代以来の由緒をもつ南部一之宮・櫛引八幡宮には、その歴史と格式にふさわしく すばらしい宝物が数多く所蔵されています。
(国宝)
・赤糸威鎧 ・白糸威褄取鎧
(重要文化財)
・紫糸威肩白浅黄鎧 ・白糸威肩赤胴丸 ・兜
その他太刀、舞楽面9面、鰐口等
続く・・・
編集後記
9月23日~9月25日まで櫛引八幡宮秋季例大祭が執り行われます。
編集が遅れ秋季例大祭の初日の投稿となりました。本日は、まず秋季例大祭のご案内をいたしました。明日は詳しく境内ご案内及び建物の紹介をいたします。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力
南部一之宮 櫛引八幡宮 〒039-1105 青森県八戸市八幡字八幡丁3 TEL:0178-27-3053
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