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一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

vol.14「綱吉」について(前編)

2023.11.15 08:02


さーて、前回ついつい吉原遊廓の歴史に寄り道してしまったが、きちんと順を追って5代目「綱吉」の時代に戻りやしょう。


4代目「家綱」の弟ですね。3代目「家光」が男色ぎみだったから、春日局が八百屋の娘「お玉」を側室にスカウトして強引につくらせた四男、そう、それが綱吉。幼い頃から「儒学」を学ばせ「兄を敬い、母を敬い、従うこと」と叩き込んどいた保険の男児、そう、それが綱吉。あくまで保険だったはずなのに、家綱に後継ぎがいなくてまさかの5代目に大抜擢されちゃったのが、そう、TSUNAYOSHI です。


先代らの奮闘のおかげで、戦なき天下泰平を手に入れたこの時代、京都や大阪を中心とした「元禄文化」が江戸の町にも広がります。綱吉は儒学などの学問の普及や、礼儀を大切にし、寺子屋も増えて識字率もアップ。なかなかにハッピーな時代なのである。


老中である堀田正俊(ほった まさとし)は「民は国の本なり」をモットーに、貧民救済を行う一方、年貢の取りこぼしを許さず不正代官を取り締まり、大名でも不正があると容赦なく取り潰したので、後に「天和の治」と呼ばれ、民から好評を得る。ついでに「越後騒動」なる前政権からの揉め事を、綱吉が自ら裁きに出て、前任「左様せい様」が弱めた将軍の権威を取り戻したりと、なにげに存在感の再アピールもグッジョブな綱吉。いいよ、いい感じ。


後はそのまま穏便に任期まっとうしてくれりゃ万事OKなところを、誰もがあっと驚く突然の「生類憐みの令」で、せっかく綺麗に並んだちゃぶ台いきなりドーン!てひっくり返しちゃうあたりが、さすがエンターテイナー綱吉ザ暗君のすごいところ。それまでの高評価を台無しにする天下の悪法で、綱吉株大暴落のストップ安に。犬どころか蚊を殺しただけで切腹とか、インパクト強すぎて今にまで残る悪名を轟かせちゃう。


あと、綱吉と言えば、忠臣蔵(赤穂事件)で、浅野には切腹させといて吉良を咎めなかった不平等ジャッジでも印象かなり悪くしとります。単に「暴力に走った方が悪い!しかも俺の松の廊下で!」ってしただけっぽいのだが、まさかその後の報復テロの方が美談化されちゃうとは。貰い事故でさらにイメージダウン。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/赤穂事件


その上、トドメとばかりに富士山まで大噴火しちゃって「こんな災害ばっかあるのは綱吉の治世が悪いからだ!」「天がお怒りになっとるに違げえねぇだ!」と、民からボロクソ言われることに。天災は綱吉カンケーねーじゃんとか思うが、昔はそうゆう風に結びつけがちだったのだろう。


てことでボロクソ言われるものの、そこは安定の元禄時代。多少のケチがついたからって、平和は平和。平和が一番、電話は二番である。綱吉の悪政はひとまず置いといて、町人文化としては、この平和な時期に「三井越後屋」が画期的な商法で日本橋にて大ブレイクを果たしているし「井原西鶴」や「松尾芭蕉」はミリオンセールヒット作をリリースしている。また「近松門左衛門」は江戸に観劇という娯楽をもたらし「菱川師宣」は浮世絵という芸術を世に広げ始める。


なんでそんな一気に文化が発展したかと言うなら、要はみんなヒマができたからであって。自然の制約を強く受けた農村の生活とは異なり、都市の商工業者は労働を計画的に行うことができたため、これまで庶民には縁がなかった「余暇」が発生。この時代、庶民は余暇を使って「遊芸(お稽古事・趣味)」を楽しめるようになったのが理由だろう。こぞって将軍の悪口言い合えたのも、平和な余裕あってこそのこと。


武家は武家で、戦がないから公務員みたいなもんで基本ヒマ。むしろ平和なおかげで将軍が大名屋敷を訪れる「御成(おなり)」が増加したため、将軍をお迎えしたときに恥ずかしくないよう趣向をこらした庭園づくりが大流行。ヒマだね〜。儒学の勉強も捗りまくり「朱子学派」とか「陽明学派」とか「古学派」とか派閥まで作っちゃうほど、超ヒマなのであった。


そんな訳で、平和によるヒマ時間と、好景気が元禄文化の発展を裏支えして、様々な新文化芸術がブレイクし始めたこの時期。それぞれの文化については、また別途ブログネタにして語るとして。ひとつだけ綱吉の生類憐みの令のせいで進化を足踏みさせられてた文化がある。それはズバリ「食文化」。


何気にこの時期、一日二食から三食に移り変わっているものの「生き物殺すな」と「命をいただく」が思いっきり矛盾しちゃってて、発展しようにも大っぴらに発展しきれず、進化を先送りせざるを得なかったのが、食文化である。それでも裏でじわじわ蕾は膨らませてるのだけど、ドカーンと開花するのは、もそっと後の話。


● 元禄文化で代表的なやつらは↓を参照。これからひとつひとつ詳しめに学んでゆこう。

https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/genrokubunka/



と、いったところが、綱吉にまつわるイメージ像だが、実はこれかなり印象操作されているらしい。綱吉は、暴君だの暗君だの、側用人の「柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)」は悪人だのと言われがち、ドラマや映画などでもそう描かれがち、なので、すっかりそんなイメージが定着している。だが、最近では「いやいや、綱吉パイセンも吉保パイセンも、そんな人じゃねっすよ!みんな誤解してるっすよ!」と見直されてるようで。それについては、後編で解き明かして参りますので、みんな来週も観てくれよなっ!(悟空)



● マメ知識メモ

「玉の輿」という言葉は、綱吉の母となる八百屋の「お玉」が、将軍家光の側室として嫁ぐために乗った「輿」のことを指し、身分の低い女性が身分の高い男性と結婚するシンデレラストーリーを表した言葉である。

https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_107576/