プロレス多事争論「平成」
今年も僅かで2018年は終わり、あと4ヶ月で平成が終わろうとしている。プロレス界の平成とは何だったのか、昭和の延長線上に過ぎず、時代が代わったのはつい最近だった。
昭和から平成に変わり、UWFやFMWという新しいプロレスが誕生、東京ドームに進出し、闘魂三銃士や、全日本四天王が台頭し、第二次UWFやFMWなどインディー団体という新しい波が押し寄せても、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の二人がマット界の首領として君臨し続け、マット界の秩序というものが保たれ、企業であるメガネスーパーがSWSを旗揚げし、マット界に進出しても、SWSへ移った人達が企業の力を使い切れずに自滅していったことで、マット界の秩序を保たれた。
しかし守られてきたマット界の秩序に陰りが見え始めたのは、間違いなくヒクソン・グレイシーvs高田延彦戦で、馬場と猪木はこの一戦を高田一人の敗戦として全否定することで秩序を守ろうとしたが、首領の一人である馬場さんが死去したことで、秩序を守る人間は猪木しかいなくなり、猪木は自分の常識を用いて、新しい常識を潰すことでマット界の秩序を保とうとしたが、格闘技ブームの波に押された結果、業界の中心である新日本プロレスは崩壊寸前に追いやられた。もし新日本プロレスが崩壊していたら間違いなく、現在のプロレス人気復活ももっと時間のかけたものになっていたのかもしれない。
新日本プロレスは企業の傘下に入らざる得ない状況となったが、そのきっかけを作ったのも猪木だったが、猪木自身は守るべき秩序が守れないと判断して、新日本プロレスを飛び出してIGFを作り、これまでの秩序を守ろうとした。猪木が飛び出したことで新日本には新しい秩序と常識が用いられるようになり、結果的には再興され、猪木がIGFはいなくなったことで活動停止になり、猪木が守ろうとしていた秩序は完全に崩壊したが、マット界が変わるのに30年を要してしまった。
4月に平成が終わり、5月から新しい年号へと変わるが、そこからプロレス界はどう変わっていくのかわからない、最近の新日本プロレスですら、高みを目指していくのか、それすら自分は分からなくなってきている。それでも自分は身体が続く限りはプロレスの行く末を見定めていきたい。
最後に今年の更新も緊急事態がない限り今日で終わり、終わりといっても、明日明後日と実況ツイートもあり、ほとんど休んでないようなものですが(笑)、今年も様々なことがあり、皆さんに迷惑をかけたことがありましたが、いろいろ申し訳ありませんでした。また本当はプロレス多事争論ももっと書きたいこともあったんですが、プロレス史の更新の方が中心になってしまって申し訳ありません。
告知になりますが、1月3日の午前0時から12月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&興行の投票を受け付けます。それが終わりますと15日の午前0時から伊賀プロレス大賞の各賞の投票受付も開始します。こちらもよろしくお願いします!
ブログを見ていただきありがとうございました。来年の更新は元旦の午前1時からです。では良いお年を…