初めての砂浜 8年ぶりの砂浜
8月8日 買い物の途中
立ち寄った新宮の海
普段はほとんど波のない海岸ですが、8月7日に台風5号が通過した影響で、いつもよりは波があり、観ていて楽しかったです。
来年の夏は、海水浴に来れるといいね♪
和人 1歳6ヶ月
初めての海を前に立ちつくす
砂浜に来たのは、もうすぐ7歳になる長男が生まれる前の年に、千葉県の鴨川の海に行って以来で8年ぶりでした。
長男の誠を連れて鴨川の海に行きたかったけれど、生後6か月のときに原発事故が起きて、近海魚を食べられなくなったし、幼い子どもを連れて遊びに行けなくなりました。
東京から和歌山に移住してくるなんて、「ずいぶん遠くに来たものだ」とわれながら思いますが……
近所の川や海で遊んだり
近海のお魚を頂いたり
原発後の生活から一転して、そんな豊かな暮らしが本当に実現できて、夢のような毎日です。
子どもたちが自然のなかでのびのびしている姿を観ていると、誠を連れて関西方面に移住しようと思った6年前から移住までの道のりは、やっぱり自然の流れだったのだと思えます。
波打ち際で、波を怖がる誠
6歳10ヶ月
初めての砂浜
一つひとつの問題に直面するたび
あれこれ思い悩んで
葛藤して
自分を責めて
相手を責めて
傷ついて
右往左往してしまうのが
人間の一生の一側面かもしれないけれど
「一つひとつの現実は
生まれては消えてゆく波のようなものだ」
という視座に立ってみれば
「波の一つひとつに囚われて
なんとか思い通りにしようとして
あがいても仕方ないときだってある」
と気づけるし
「たとえ
波が砕け散って消え失せたとしても
海に帰って行ったのだから
過去への執着を手放しても
だいじょうぶなんだ」
と思える
一つひとつの波は
おおきくて深い海の表面に
生まれては消えてゆく
だから
ちいさな波をどうにかしよう
としているよりも
「おおきくて深い海が
人間の存在そのものであり
宇宙の森羅万象そのものだ」
と捉えてみたら
「おおきくて深い海に満ち充ちている愛をかんじて
愛し愛されているというのが
いつもわたしたちの源なんだ」
と気づきました
「ちいさな波の一つひとつの
どれもこれもが
必然的に現れているように
生きているからこそ感じることのできる
砕け散る悲しみも痛みも
イイ波に乗った心地よさも
どれもこれもが
必然で
唯一無二のかけがえのない体験なのだ」
と受け入れて
思う存分に味わったなら
執着しないで
海という愛の源に帰れば
だいじょうぶ
いつだって
ほんとうは
だいじょうぶなんだよ♡
初めての砂浜 1歳6か月
2017年9月7日の日記
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