小豆島 - 東京 (復路) 03 (07/11/23) 大垣 - 蒲郡
大垣 - 蒲郡
- 揖保川、大垣大橋
- 美濃路、稲葉宿
- 笠寺一里塚
- 鳴海宿
- 有松一里塚
- 阿野一里塚
- 矢作川、渡橋
今日は90kmを超える距離を走る予定でなので、殆ど寄り道は出来ない。道沿いで気になったものを見て行くことにする。
揖保川、大垣大橋
大雨の宿を出て直ぐに揖斐川が流れている。ここは小豆島に向かう途中にも通過した所だ。
美濃路、稲葉宿
往路で通った道を進み、長良川、木曽川を渡った所から自転車ナビの選択肢の一つで往路とは異なる道を進むことにした。このルートはかつての美濃路だった。美濃路を走るのは初めてだ。かつての宿場の雰囲気が感じられる事を期待する。美濃路は中山道の垂井宿から東海道の宮宿を結ぶ全長14里24町15間 (約57.5km) の街道になる。この美濃路には垂井宿からはじまり、途中には大垣宿、墨俣宿、 起宿、萩原宿、稲葉宿、清須宿、名古屋宿の七宿が置かれ、東海道の宮宿に合流していた。 また現在の岐阜県羽島市には、間の宿も置かれました。 1600年 (慶長5年) の関ヶ原合戦では徳川家康がこの路を通り凱旋したので「お悦び街道・吉例街道」とも呼ばれていた。 東海道の鈴鹿峠越えや海路の七里の渡しに比べ、遠回りになるが、安全性が高く、天候に左右されず、予定どおりの通行が可能であったため、女性にも重宝され、多くの旅人が利用したそうだ。また、徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球王使、お茶豊道中など、さらには将軍に献上された象もこの街道を通ったなど、 一般民家の旅の利用はもとより多くの人たちがこの道を往来していた。
今通っているのはかつての稲葉宿になり、家数336軒、人口 1,572人、旅籠屋8軒、本陣・脇本陣1軒、問屋場3か所があった。
笠寺一里塚
美濃路を進み清須、名古屋を通り、東海道に合流。東海道40番の鳴海宿と~41番の宮宿の間に笠寺一里塚が残っている。名古屋市内に残る唯一の一里塚で東海道最大の規模になるそうだ。ここで今日の昼ご飯を取って休憩をする。
鳴海宿
昼食を済ませて旧東海道を走る。東海道の40番の鳴海宿を通る。
有松一里塚
鳴海宿を過ぎるともう一つ一里塚があった。笠寺一里塚から4kmのところにある有松一里塚で、道の両側の一里塚が残っている。
道の先には有馬村の古い街並みが残っている。この近くには桶狭間の戦場跡がある。
阿野一里塚
有松一里塚から更に4km進むと阿野一里塚が残っている。ここは名古屋市から有明市に入ったところで、ここも道の両側ともに一里塚が現存している。
矢作川、渡橋
少し見学に時間を取ったので阿野一里塚からは先を急ぐ。2時間程走ると矢作川に出る。ここに架かる渡橋を通る。往路ではこの北側にある矢作橋を渡っている。
ここで既に4時を過ぎており日没ももうすぐだ。今日の目的地の蒲郡まではひたすら走り、暗くなってから宿に到着した。