「よミがえる」
この日のワークショップは芸術センターのフリースペースという、舞台公演ができるくらいの広さの場所を使えたので、体を動かすワークを行った。
まずは力を抜いて体の各パーツを丁寧に緩めていくメンテナンス的ストレッチを1時間ほどかけてじっくりとやっていく。
このストレッチは別の運動のためのプレパレーションというより、それ自体が目的で、自分のコンディションを知ること、滞りない場所としての体を維持することを軸におき、さまざまなボディワークから構成した一連の流れになっている。やり終えると視界がすっきりしている。
それから「15分かけて起き上がる」という日常ではやらない速度の日常動作を試みた。動きとしてはただ寝ている姿勢から起き上がるだけである。はたから見ていると引き伸ばされ、ゆっくりと体を起こしてくる様は生物の発生過程を見ているような心地になる。実際やってみたメンバーに話を聞くと、こだわりや感想は様々だった。
15分ぴったりを目指すことにこだたりながら早すぎると思ったら若干迂回したり、時間から体を操作していた/体のゆっくりさと内側の意識の速度の違いをはっきり感じる/普段何気なくやっている動作の複雑さに気付く/普段どう動いていたかを顧みる/コントロールしていても不随意に動く部分がある/体にまかせていたら勝手に動く/動きながら自分を観察している感覚/など
その次は「歩く」という動きを改めてやってみる。まず一度普段の速度で歩く。日常で歩くという動作は、ある目的のための移動手段で、怪我や不具合がない限り歩いていることそれ自体に意識が向くことはあまりないかも知れない。
普段の速さから倍速、一番早い歩き、普段の速さの反倍速、一番遅い歩き、と歩行の速度を変えながら歩く。一番ゆっくりな歩きで3人ずつ通過するのを、全員で順番にやりながら眺めた。歩き方の癖はそれぞれにある。特に何かを表現しようとしていない態度からかえってよく見える姿というものがあって、この歩行を見ているときに、よく個々の体から立ち上げるダンスはこれを超えるものでなければと思う。
最後に行ったのは言葉を使ったワーク。メモ用紙の束を用意し、2束にする。1つには体の部位が色々書いてある。「右耳が」とか、「毛穴」とか「胃袋が」など。もう1つには「魚になる」「崩れ去る」「明後日の方向を見ている」など状態を表す言葉を色々書く。そしてそれぞれの束から1枚ずつ紙を引いて、例えば「親指が」と「機械仕掛けで動き続ける」という言葉が出たら、そこから発想される動きを3人ずつやって見るというもの。音楽があったほうがやりやすいので、今回はエリック クラプトンの「change the world」をかけた。選曲意図は全員聞いたことがありそうなヒット曲で、ちょっと単にかっこいいといい難いどこか残念な大衆感のあるもの。マイケルジャクソンでもビートルズでもなく。
毛穴が恋をする/左親指が水飴のようにねっとりする/髪の毛を取り戻す/ 背骨が久しぶりの知り合いに会ってしまっている/などが踊られる。
2ターン目は1つ目のイメージに重ねて、右足首が笑い転げている/左脇腹が夢を見ている/など、それぞれ2つのイメージを保持しながら動く。そうするとやや混乱してくるし、イメージ以外の何らかの動きが表出されrてくる。イメージが体に翻訳される方法もそれぞれに違う。
実際やっている方の動きには、言葉の説明に終始しているのではないかと思えたり、羞恥心との戦い、躊躇なども含まれている。けれど、そういう忘我に至れない滞りの中で、踊られるものに誠実さを受けることもある。洗練されたものにしか抽出できない瞬間もあれば、洗練されたものが取りこぼす体のリアリティもある。