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〜ヒーリングサロン〜ほしのやしろ

シャーマン

2018.09.26 07:16

安藤智子です。


関東は雨で肌寒い日ですね。


先日の実家の怪奇現象の話しを聞いて、上の子が怖いもの見たさで泊まりに行ったのですが。


私も、私の子ども2人も、元々シャーマンの魂らしく、上の子が何かやる事とか、受け取る事があるのかな?と思って行かせたのですが。

一応、こんな時の為に、ライトガーディアンイニシエーションを受けさせてもらっておいたので、安心して行かせてあげれます。


もちろん、ドアホンの件は解決済みなので、鳴ることはなかったそうですが、夜中、ちょっと大変だったようで。


上の子にはライトガーディアンの他にも、しっかりプロテクションはかけていたのですが、まぁ、夜中、話しかけられたらしく。


頭の中のキーン!という音とともに、目の前で、まぁ賑やかに話しかけられたそうで。


一緒に寝てくれた私の父は、高いびきで寝てたそうで。


目を開けたら見えちゃうよねー

絶対いるよねー


って、静かになるまでやり過ごしたそうで、あんまり寝れなかったみたい。

しかし、不思議と怖くはなかったそうで。


いかに、普段寝ているところ(第一級聖域)がありがたいか実感したそうです。

特に説明もしていないのですがね。


第一級聖域に入るなり、


ここは何にも飛んでなくて綺麗だねー


って上の子はおもむろに呟いたりしたので、親ながらドキドキします。

そういうこともあって、私は覚醒を急かされてるのだろうというのもあるし、人間の私自体が、まだ覚悟が足りないのかな?とも思います。



覚悟というか、まだまだ人間としての私がバリバリで、死に対して恐怖を感じていたから。

なぜかと言えば、出会った人と別れたくない。

その気持ちが強くて、どこかで理解しながらも、悲しい感情があふれてくる。

「出会えた感謝」より、「別れて悲しい」

、が強いのだと自分で感じています。


別れて悲しいってなんで思うんだろ、とずっと考えていました。


別れた後に、私にもっと出来ることがあったのではないかと悔やんでいたから。

どこかで死期を感じていた私なのに。

それを否定しながらも、離れる事もできず。


もっと良い言葉をかけられたのではないか、

もっと側に寄り添えたのではないか、とか。


でも、それって、私のエゴかなって。


一生懸命に生きた人を、死後、私のエゴで汚してはいけないって感じますが。


亡くなってもなお、生前のように笑顔で来て、


安藤さん、連絡取れなくなっちゃいました。

ホントにスミマセ〜ン!


って挨拶までしてくれたのに。


私は悔やんで悔やんで、半年経とうとしています。

自分のエゴに振り回されて。

癒されてない私が、シャーマンで癒すなんて、変な話しだとも思い、笑うしかない。



その人が亡くなった出来事で、私は元シャーマンだと気付く事が出来た。


そういう意味では別れも感謝だけど、そうスパッと割り切れるものではないよね。

出会いは本当に感謝でしかない。

別れは突然で悲しすぎて試練のように感じたけど、捉え方で、新しい可能性の始まりだということも教わりました。

お互いに、新しい道を選べる。

次なるステージへいける。


約半年たち、ようやく、そんな考えができるようになりました。



これこそが、宇宙の縮図なのかな。

何かが生み出される前の混沌ってこういうこと?


どんな時も、自分から揺らいじゃいけない。

自分が揺らぐと世界も揺らぐから。


人間だから、揺らいじゃうけどね〜



でも、揺らぐ魂ひとつひとつの宇宙を捉えて、それらを活かし、自らが生きるのがシャーマンならば、揺らいじゃいけないよね。


自分が安定して立てる位置を見極めなきゃいけない。


サバイバルウェディングっていう、波瑠ちゃんのドラマを観ていたのですが、最終回で、


自分が何を選択するかじゃない。

自分の選択した人生を、力強く生きることが大切!


みたいなセリフがあって、ちょっと刺さってます。

揺らがずに力強く生きたいな!!って思いました。


シャーマン気質の子どもたちのためにも、切に感じます。


なんだか、シャーマンの話しになっちゃいました。


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