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《紀行文》保戸島 ほとじま 2018・後

2019.04.26 15:52

2018年3月23日-25日

宿へ戻った後は、お風呂に入り、部屋に準備された夕食をいただく。島らしく、とても食べきれそうもない御馳走が並んだ。少しでも気を抜くといっきにお腹がいっぱいになりそうだったので、味わいつつ、頭の中であれこれ段取りを立てながら食べていた。島は車が極端に少ないのでエンジンを吹く音もなく、外は静かだ。時折、漁港に浮かぶ小型船の底を打つ波音が、静寂さを際立たせていた。

娘を寝かせた後、対岸の四浦半島で所々に灯る青白い光を薄暗い部屋の窓からぼんやり見ていた。あちらから見る夜の保戸島は、どのような物なのだろう。煌々とまでは行かずとも、温もりある生活の灯りがゆらめいているのだろうか。

架橋された後の島の事を想像してみる。今日のウォーキングでは車が通行できる道を歩いたが、最初の頃に書いた通り、それ以外は本当に路地しかない。利便性向上のために対岸と橋で繋げたとしても、島内を車で走れる場所は極端に限られるし、もし仮に、島の人が車を所有したとして、駐車させておく場所を確保できるとは思えない。人口約900人で、1世帯4人で1台の車を所有すると計算しても225台分、それを半分と少な目に見積もって100台以上の駐車スペースが必要になるわけだ。集落近くにそれだけのスペースはもう残されていない。係留させてる小型船の横に浮かべるわけにもいかないし。

「ああ、やはり船があればいいんだな」

他の島では、島民のマイカーは本土港の駐車場に停めておき(ここでは津久見港)、船が着いたらそこから車に乗って買い物へ行くという例も多い。保戸島の人もそうしているのだろうか。

…………

翌日は早めに目覚めたので、娘を誘い散歩に出かけた。漁協の道路に印字された『大分県道612号』から、集落内の路地を歩く。日本一狭い県道とも言われているが、昨日から保戸島を歩き回っていた私は「流石は県道と言うだけあって、保戸島の中でも幅の広い路地が選ばれている」と妙に納得できた。

両方から住宅の壁が迫っていて、飛躍し過ぎとは思うが南大東島のバリバリ岩を思い出した。県道の真ん中を一直線に走る暗渠の蓋の上は、歩くたびにゴトッ ゴトッと鳴るので身体を固くし忍び足になる。県道とは言え人様の家の玄関前を異様な近さで歩いているので、無用な罪悪感が湧いてくるのだ。

たまにある空き地の存在がまるで光穴のようで、周囲が急にぽっかりと明るくなる。密集している住宅の全てがコンクリートかというと、実は木造住宅も複数存在していて、コンクリート住宅に比べ、空き家になったら朽ち落ちてこうした空き地になりやすいそうだ。とは言え、圧倒的にコンクリート建築が多い保戸島では、そんな空き地すら一瞬は“洒落た中庭”のように見えてしまう。日本中で広がる空き家化問題も、圧倒的な島構えで鮮やかに煙に巻いている。喩え世界が滅びても、保戸島はこのまま遺跡になれるだろう。

保戸島小中学校のある地区まで来て『大分県道612号』歩きは終了。

小中学校の辺りは平坦な埋め立て地と思われ、そこから先は四浦半島との中島の瀬戸が迫っている。マグロ漁が盛んだった頃に、瀬戸にある中ノ島とカモンバイという磯にそれぞれに伸びる長い防潮堤を築いていて、人工的な深い港湾を構えている。

散歩の終了地点を、中ノ島とカモンバイのどちらにしようか迷ったが、娘は景気よくカモンバイに突き進んでいくので任せることにした。

漁船が何艘がまとめて係留している辺りに、雨避けの屋根があり、魚の名前がずらずらと書き込まれた黒板が掛けられている。これの意味するものはと考え始めた時、すぐ横に停泊していた漁船が走り出した。そしてカモンバイの北側に回り込むと、エンジン音を急激に落として、寄り添うように湾内に浮いた養殖棚に停泊した。そのまま漁師さんが何か作業を始めた。保戸島と言えばマグロ漁師のエピソードばかりが際立っているが、養殖業をしている人もいたわけだ。この黒板は養殖に関係するものなのだろう。後にTさんに、養殖業をしている人と魚の黒板を見た事を話したら

「そんなものがあるなんて、何十年もここにいて知らなかったわ」

なんて驚いていたけど。

カモンバイへやってくる。今はもういないが、2011年頃、ここに1頭の鹿が住み着いて島の人たちが大そう可愛がっていたという。数年前の観光マップには「鹿が1頭住み着いています」の表記まであるのだからアイドル的待遇。念のためカモンバイを観察して歩いたが、ゴツゴツした岩肌とそこにちょっとした植物が生えているだけで、ここのどこにどうやったら鹿が住み着けたのだろうと。カモンバイのバイは磯という意味なわけで、餌の限られた磯に鹿が住むなんて本来は無理がありそうだが。でも台風一過でも居続けたというのだからしぶとい鹿だ。本土に帰って行ったのかな。


カモンバイから半島側へさらに延伸した防波堤の白灯台でゴール。足元の瀬戸では轟々と潮が流れていた。かつてこの潮流に飲まれて幾度となく犠牲者を出した瀬戸だ。見ていると吸い込まれるようで目眩がした。おかげで朝食前の刺激的な散歩になった。

朝食後、娘と午前中いっぱいは再び保戸島散策をしようということになった。昨晩、Tさんから「弁当をたくさん用意するから、他のお友達も誘ってみんなで過ごしましょう」というお誘いがあったので、午後からはピクニックをすることになっている。料理自慢のTさんのお弁当。今からワクワクする。

娘はお気に入りのぬいぐるみ「ラブちゃん」に保戸島の景色を見せたいというので、連れて行く。ラブちゃんは、旅する娘に必ず連れられて来ているので、相当な島旅ぬいぐるみ犬だったりするのだが、それはまたいつか別の機会に記してみたい。

昨日ぐるりと遠回りで向かった集落の上の道まで、今日こそは集落内を直進してくアプローチを試みる。既に見当がついているので、迷わず行ける自信を持っていた。

「この道を上がれば行けますよ」

という島の人のアドバイスも受けていた。ただ、やはりそこは保戸島で、何本もの分岐点に悩まされながらとにかく上へ上へと目指しているうちに、進むうちに躊躇せずにはいられない畑の中を行くオフロードになってしまった。ほぼ斜面の畑だが、島でも野菜を栽培できる場所を見られたのはよかった……などと関心していたのはいいが、足場が悪くて娘は何度も滑って靴は土で汚れていた。こんな状態で頑張ったのに行き止まりだったら、今度は引き返す苦労が待っている。早めの決断を迫られていたところ、ふと前方で階段を敷き治している現場に差し掛かった。

「足元に気を付けてね、もう少し行けばちゃんと上に出ますよ」

こちらに気付いたその男性は作業の手を止めて、道を開けてくれた。人に出会うと思っていなかったので随分安心したものだ。通り抜けられるお墨付きももらえた。流れた階段の形を補填する作業のようで、こんな道ではあったが、誰が通ってもよい公道みたいなもので定期的に手が入れられているらしい。

そうして、ようやく見覚えのある上の道に出た。登ってきた道を振り返り、

「あぁ昨日見て降りたいと思った階段を登って来たんだ」

降りていたら、もっと大変なことになっていただろう。

上の道では、相変わらずウォーキングの人たちがちらほら。また昨日より桜の開花が進んでいた。

昨日ここにいた時、娘は私の背中で寝ていたので、集落の上の道から見る景色に興奮気味。海が見晴らせるものだから、爽快感でラブちゃんをブラブラさせて走り回っている。追い越したり追い越されたりしながら、集落南端上部の行き止まりになっているところまで来た。そこから下へ、先ほど登って来た階段より何倍も安定したコンクリートの階段が降りている。その階段の下には、さらに階段。目で追っていくと、それは墓地の横を走り続けている。この道こそが、集落から上の道に出る真の公式ルートに違いない。

墓地からの見た保戸島の集落は、“横顔”だった。コロシアム様に見上げていたときは建物が迫り来るようだった家々が、墓地から見られる保戸島は建物の一軒一軒が立方体と判るように並び、それが隙間なく建ち並んでいるのを俯瞰図で見られるから壮観だ。偶然やってきて、こんな面白い場所があったとは。動いている小さな人と街並みの光景が安野光雅氏の『旅の絵本』を開いているようで、眺め続けても飽きることがない。私は依然として保戸島が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

感動している私の横で、娘は墓地を歩き回る猫にラブちゃんを紹介していたが、猫は全くつれない態度。気付くと、50代くらいの女性が階段を跳ねるようにこちらへやってきていた。煩わしくてたまらず逃げ出した猫は、女性の足元を駆け抜けて路地に消えた。

「あら~猫逃げちゃったね」

と、言ったと思ったら、彼女も路地に消えて、またぴょっこり現れて。島の郵便配達員らしい。

「島の道は、全部わかりますよ。そりゃね~」

ですよね。お仕事で島中を歩き回っているのだから、島の誰がどこの家に住んでいるのかまで把握しているプロフェッショナルだ。

「またね」

女性は少年のような軽やかさで、階段を跳ね降りて行った。通った跡には、光跡がキラキラ残されているような。なんてね。

「アイス食べに行こうよ!」散策に飽きはじめていた娘は、『 食事処大川』にアイスクリームを食べに行きたいと声が大きい。『食事処大川』は、昨日散策している時に見かけて、今日のお昼ごはんの予約のために一度お店に顔を出していた。その時、堂々としたアイスクリームのポスターがお店に貼られていたのを、娘はしっかりチェックしていたのだ。結局、Tさんたちとピクニックをすることになって『 食事処大川』はキャンセルすることになったが、娘はアイスを食べると心に決めていたらしい。

ちょうどいい、ラビリンスな集落を抜けて『食事処大川』を目指してみよう。本人は「早く早く、こっちだよ」と急かしてどんどん進んでいくが、地図を持っていても意味のないような路地。果たして『食事処大川』に向かっているのかサッパリわからなかった。私はそんな時間が楽しかったので、娘には悪かったが一生懸命探してもらい(迷ってもらい)、心でスキップをしながら付いていった。

途中、人に出会っては、

「こんにちは、私これからアイス食べに行くの!」

と娘は威勢がいい。

「港の売店は今日は午前中のうちに終わるから早い方がいいよ」

「大川さんのアイス?こんな時期にあるのかしら」

「あそこはアイス売っていないと思う。港の売店に行った方がいいわ」

『食事処大川』のアイスクリームの認知度は低いようで、誰もが港の売店を勧めてきた。私は島の人の生のアドバイスの憂慮に堪えず、手に入らなかった時の衝撃(「食べたい!」と大いにくずる)に備えていち早く港の売店へ行くべきだと思ったが、娘の信念は変わらず、

「アイスの大きな写真があったから大丈夫」

と私から見ても心強いほどの自信。娘を信じてみるか。

『食事処大川』へ向かい迷い出してから15分は過ぎた頃、いい加減、着いてもいいと思い始めていた。しかしそこからがまた長くて、まるっきり着ける気がしない。どうしたものかと登り階段の途中で立ち止まっていると、ヒョイと脇の路地から、墓地で出会った郵便配達の女性が現れた。墓地からここまでずいぶんと距離があったが、あれから休むことなく跳ねまわっていたらしい。

「ずいぶん来てしまったのね。大川さんはもっとずっと戻ったところよ。ちょっと待ってね、連れて行ってあげるからついてきて」

妖精だ、妖精のようだ!

女性の後に付いて、階段を上って下って。瞬く間に『食事処大川』に到着した。もはや魔法。

「中に声をかけてみて。お店の人はいると思う。それでは気を付けてね」

私たちの様子を確認すると、再び郵便配達の仕事に戻って行った。その姿はどこまでも鮮やかで美しく、本当に保戸島の妖精と呼んでもいい。

そして『食事処大川』のアイスクリームは、確かにあり、娘は無事にありつくことが出来たのだった。

午前中の散歩を終えて、民宿に戻ってきた。夏になり海水温が上がると、目の前の漁港内にたくさんのエイが入ってくるという。この日はたった1匹だが、小さなエイがふよふよと海の底を滑っているところを偶然見られた。島では「えいかん」と呼んでいて、島の人たちがさばいて投げた魚の内臓などを目当てに集まって来ているらしい。何年か前には『ナニコレ珍百景』というテレビ番組で“島の犬がエイに熱視線を送る”という姿が放送されたこともあったらしい。「ムサシ」という名の犬だったそうだが、2~3年ほど前に死んでしまったという。

「大興奮して海の中のえいかんを追いかけていたのよ。可愛かったのよね。ムサー、大好きなエイいるねーってよく声かけてやってて。」

民宿の女将さんはそんな風に可愛がっていたらしい。確かにそれは珍百景だね。

合流したTさんたちと向かったのは、中ノ島観音堂。中ノ島は、間元海峡にある小島で、朝に訪れたカモンバイと同様に防波堤の一部となって歩いて渡ることができる。

中ノ島に奉られた観音像は、海難事故が多かった間元海峡で命を落とした人を慰霊するために、元禄の頃に建立したものだという。観音堂の前は何となく広いスペースがあって、ここでレジャーシートを敷いて食事をした。Tさん特製の島の幸料理。あえて載せないが、食べきれないほど量で豪華。味ももちろん最高だ。大変な仕事を終えて島に戻った男の人たちも、この美味しい手料理で迎えらるのだろう。集まった5人でのんびりお喋りしながら楽しい一時を過ごしていた。

どこからともなく、

(白樺、青空、南風……♪)

と千昌夫の歌声が響いてきた。集落の方面に耳を向けてみたが、違和感がある。移動販売車が出している音楽に違いなかったからだ。保戸島に移動販売車なんて有り得ないはず。「間元の方に来ているのよ」Sさんが教えてくれる。移動販売車は、海峡を挟んだ間元の漁港に停まっていて、そこに集まる人や車から降りて作業をするドライバーの姿も見えていた。僅か100m先で起きてる光景なので、まるで保戸島の景色を見ているかのよう。保戸島とは近くて非なる歴史を歩んでき間元だが、移動販売車がやってくるとは、そこは流石地続きの土地らしい。

橋が架かったとしたら、どんな化学反応が起きるだろうと思った。保戸島に移動販売車はやって来られるようになるし、間元の人も郵便局などは保戸島が利用出来るようになるメリットがありそうだが。果たして架橋するようなことは、今後あるのだろうか。

中ノ島観音堂で食事を終えて、無垢島小中学校の東側にある下手海岸へ寄って行く。雄大な豊後水道が広がる玉石の美しい浜辺で、入り組んだ海岸線を追っていくと、保戸島が本土と一体化して遠く鶴御崎の方まで繋がっているようだ。

期待して水平線を右から左へ目を凝らしていくと、

「見えた!」

今回の旅の間、ずっと探していた水ノ子島灯台が、遥か洋上にうっすら浮かんでいるのを捉えたのだ。5年前、豊後水道を挟んだ対岸の日振島を歩いた時に聞いた、2つの藩が水ノ子島を巡り領有争いをしていたという言い伝えを思い出す。

「江戸時代に、宇和島藩と佐伯藩が水ノ子島の領有権争いをしていたんだよ。それで、幕府の合図で宇和島藩とあっち側(佐伯藩)で、同時に船を出して先に水ノ子島に着いた方が所有権を持ったという言い伝えがあってね。それでまぁ、宇和島藩は負けちゃったらしいんだよね。地図で見れば、あっち側の方がずっと距離から行ったら近いんだから、負けるに決まってたんだよな……」

物知りだった日振島の人の、悔しそうな口振りが懐かしい。水ノ子島は、荒々しい豊後水道の真ん中に浮かぶ小さな無人島で、現代はそこに明治時代に建設された白と藍色の灯台が悠然と立ち、現役で船舶へ安全の光を灯し続けている。今も昔も“孤高の島”で、遥かに望む島影に得も言われないロマンがある。日振島でその話を聞いた時から、いつか“あっち側”から水ノ小島を見るのが夢のようになっていた。両藩が手を伸ばしていたそれぞれの場所から、孤高の島の姿を見たいと。

「へぇ~ 水ノ子島が見えるなんて知らなかったわ。ずっと遠くにあるものだと思ってたから。あなたはよく知ってるわね」

水ノ子島をずっと昔に獲得した“勝者”の立場のTさんたちには、見えても見えなくてもあまり関係はないのかもしれなかった。多分ね。

民宿に戻りお風呂を済ませてから、夕食まで時間、民宿の前に集まっている猫を見ることにした。バリアフリー?ユニバーサルデザイン?そんなものどこ吹く風の保戸島は、あらゆる面で独自の建築世界を築いているので、民宿の玄関の段差もなかなかのもの。娘がつまづいて冷やっとしたが、見事に着地していた。本人も思わず苦笑い。冷たい視線を送る猫に気付いて手をパンパンとはたき気を取り直すと、ポケットから徐に“手紙”を出した。そして、猫に向かって大声で読み上げ始めた。いつの間にか部屋のメモ帳に自由に書いていたらしい。毛の生えている生き物が全般的に苦手な娘だったが、「猫好きです、これからは仲良くしてください」と猫相手に一生懸命伝えていた。50cm以上の離れて、へっぴり腰になっているところに本心が出ているのだが。色々な意味で、娘も成長することになった保戸島滞在と言えよう。


夕食の後、民宿の女将さんからこの後加茂神社で神楽が上がると教えてもらったので、行ってみることにした。娘には「お祭り」と伝えていたため、縁日が出ているのではないかと期待していたらしく異常な乗り気。それが暗闇の参道階段を上がっていくうちに様子がおかしいと気付き、本殿の前で祝詞の奏上が聞こえてきたところで「怖いからおんぶ!」と背中に上ったまま下りなくなってしまった。

本殿には島の人たちが数十人集まっていて、中には島外から帰ってきた小さい家族連れの姿もあるようだ。集落から一緒に上がってきた40代くらいのこれまた美しい女性が中から、こちら向かって「(中へどうぞ!)」と手招きしてくれていた。娘が嫌がり中に入れないでいると、わざわざ出てきてくれた。

「中へ入っても大丈夫ですよ。もちろんここで見ていてもいいですよ。最後にお菓子がもらえるから、是非御神楽を見て行ってくださいね」

気を遣ってくれて嬉しかった。それにしても、加茂神社には御接待の習慣があるのだろうか。ここで「どうぞ」「お菓子」は、2度目だ。

御神楽は、島の男性が演奏し、2人が烏帽子と狩衣姿で、弓矢と鈴を持って舞い、清め祓う。祝詞奏上の後は写真撮影の許可ももらっていたが、あまりにも神聖な雰囲気で行われていたので、あまり撮影する気分にはならなかった。娘も何だかんだ言いながら、背中で大人しく見ているようだ。そうこうしているうちに、御神楽が終わりお菓子の配布タイムになってしまった。まるで待ち構えていたと思われるのも恥ずかしいので退散しようとしたら、先ほどの女性が、手に2人分のお菓子を持って出てきてくた。

「明日帰られるんですね。またゆっくり島に来てください。私は島にいますので、何か知りたいことなど遠慮なく聞いてくださいね」

美しくて上品で清いその女性の心遣いに、心がじんわり。私の手から溢れそうになっているのは、見覚えのあるファミリーパックのお菓子。昨日本殿で見つめ過ぎて念力でも働いたのだろうか……また手元に来てしまった。何か、本当にすみません。

翌日は、まだ薄暗いうちの1便で島を出発。朝早くから、港にSさんたちが見送りに来てくれた。Sさんが私たちのために酒饅頭を作ってきてくれた。受け取った袋の底に手をやると、まだほかほかと温かくて、早起きをして蒸かしてくれたSさんの姿が目に浮かんだ。最後まで、私と娘の朝食やお昼ご飯、そして無垢島へ渡ってからの事を案じてくれていた。保戸島では、心温まる人との出会いばかりで、感謝の思いをこの場で語り尽くすことはできない。出港してからもずっと、手を振り続けてくれるSさんとTさん。またいつか、保戸島を訪れて、恩返しをしよう。

昇りつつある陽で描かれた保戸島のシルエットは、確実に遠ざかっていった。抽象的になった島影の中に、驚くべき住宅の町並みと、島の人々の温かい笑顔ばかりが思い出される。

津久見港まで酒饅頭を食べながら、早速、娘と保戸島の思い出話でもしよう。

次は、無垢島へ渡る。


2019.04.25 更新