嗤う伊右衛門
嗤う伊右衛門
2004/01/28
イイノホール ( 試写会 )
伊右衛門は蚊帳越しの景色を好まない。
京極夏彦の原作はこのようにして始まります。
京極夏彦の著作が好きな者としては、独特の行間の暗さがどこまで映像化できるか・・・という視点での鑑賞でした。
前作『青の炎』では演劇舞台的な演出を抑えた蜷川監督ですが、今回は映画という手法で「やりたいことをやった」ように思えます。
そういう意味でこの原作をとりあげたことは正しいといえます。
四谷怪談として「なんとなく知っている」話を原作は骨子をそのままにして、登場人物に斬新なキャラクターを持たせつつ、「祟り、妖怪というものは人の心によって作り出されるもので、世に不思議などない。
しかし、不思議なことはある。そしてそれは人の世に必要なものである」といったいつもの説を貫いています。
やはり毒殺されて祟る女というイメージの「岩」にまず武家の娘である、という点を強調した所を、岩役の小雪が骨太に演じていました。
「妻は正しき女」である、という台詞が出てきますが、筋を通し、身分をわきまえた正しき女性、なのです。
媚という文字はないのです。
伊右衛門を演じた唐沢寿明、前から決して瞳は笑っていない人だと思っていたので、「嗤ったことがない人物」予想以上に合っていました。
他にも直助に池内博之、小股潜りの又市に香川照之、宅悦に六平直政・・・原作通りの「汚れっぷり」で好演。
映像は蜷川舞台を知っている人には納得なのでしょうが、知らない人はちょっと違和感を覚えるかもしれませんが、悪役、伊東喜兵衛(椎名桔平)宅の居間の真ん中に大きな壷があって、椿、紅葉、栗、松・・・と大きく活けられていて人物がさえぎられてしまうような構図、とても面白かったですね。
初めて原作を読んだ時に、斬新なイメージの物語展開に少しびっくりしたのですが、この映画で初めて
「京極・蜷川」の世界を観た人は多分、びっくりすると思います。
それが、この映画の個性ですね。