「あたりまえ」が濁らせるもの
今日は遠方からお仲間が訪ねてきてくれます。
京都は観光客であふれているけれど
その合間を縫って
できる限りゆっくりと
楽しんでいただけるようにと
祈っています(*^^*)
さて、
わたしは常々感じているのですが
モノゴトが定着しそうになると
勝手に壊れていくなぁと。
なぜか?と聞かれると
よくわからないのですが
わたしは、できれば
ずっと同じ状態でいたい
ずっと変わらずにいたいほうです
人間関係やお仕事なども
リスペクトしながら
長く続けていきたいと願っているのに
それが途中で
雨に打たれた砂のお城みたいに
崩れていく感覚があります
何か特定の周期があるような感じです。
昔から不思議に思っていました
どうしてこのままじゃダメなのって。
うすうす変化の流れを感じながら
無理にでもその場に留まろうとすると
これでもか、という勢いで壊れる方向に進みます。
うーむ。
このところ気になる本を
片っ端から読み込んでいるのですが
ある日、ふと
安住が怖い、という声なき声がしました。
あんじゅうがこわい、って?
と、すぐ聞き返したのですが、
それ以上答えは返ってきませんでした。
安住が怖い。
アンジュウガコワイ
アンジュウガコワイ
アンジュウガコワイ.....
仕事でも人間関係でも家事でも
どんなことでも
「あたりまえ」になってしまうのが恐い
「あたりまえ」のように扱われるのが恐い
そこに安住したとたん
捕まるような、動けなくなるような、、
成長がとまる感じが恐い
ということを感じてきたのだなと
気づきました。
感性が鈍るのではないかというコワさ
自由が奪われるのではないかというコワサ
心の成長が止まるのではないかというコワさ
ぼんやりとそんなことを考えていると
このままどこにも出られずに
朽ち果てるのを待つだけ、、
というような遠い、とおーい過去世に視た
悲し気な情景まで湧いてきました。
腹式呼吸で整え
静かに瞑想をして
わたしの周りに漂っていた
そこはかとなく恐い感覚が
行き過ぎるのをじっと待ちました。
感覚を研ぎ澄まし
ヒラメキを受取るには
できるだけ感性が濁らない状態がのぞましい。
天からの示唆がキラリと差し込むときに
そこにスペースデブリのような
余計なノイズがたくさんあったら
十分受取りきれない状態になり
とても気持ちが悪いです。
見落としも多くなるのが恐かったのでしょうね。
あたりまえのようになり
感謝や悦びを感じるセンサーが
鈍ってきたら
足元を見直す時期にきたとサトって
自らその場を離れる、または壊す
更地に戻して仕切り直す
ということを無意識下で
繰り返してきたのだなと思いあたります。
行動を起こすとき
選ぶ・選ばされるは同時に、あるいは
どちらかが一瞬先くらいな感覚で起こります。
ところで、
本当に安心しきって安住したら
本当に成長がとまるのでしょうか。
ひょっとしたら、逆なのかもしれません。
本当は、同じことを繰り返すことなんて
やろうとしても厳密にはできません。
だから面白い♡
今脳裏に浮かんでいる3つのキーワードが
きっとこの先も
壊さずに手放さずに継続していきたいものなのだろう。
その”大事な3つ”とつかず離れずに
安心の中で共に居続けてみようというのが
今のわたしの挑戦です。
なんだか訳のわからない
着地点になりましたが( ̄▽ ̄);エヘヘ
お日様がさしてきました!
今日はこれから
お出かけを楽しんできます♪ルンルン
みなさまも佳き一日をお過ごしください。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.