最強タッグで不穏マッチ…超獣コンビvsマスカラス兄弟
1983年11月25日、大阪府立体育会館から「83世界最強タッグ決定リーグ戦」が開幕した。
<出場チーム>
スタン・ハンセン ブルーザー・ブロディ組
ジャンボ鶴田 天龍源一郎組
ジャイアント馬場 ドリー・ファンク・ジュニア組
タイガー・ジェット・シン 上田馬之助組
ミル・マスカラス ドスカラス組
バリー・ウインダム ロン・フラー組
阿修羅・原 マイティ井上組
ザ・モンゴリアン 鶴見五郎組
出場チームは前年度あと一歩で優勝を逃したハンセン&ブロディの超獣コンビを筆頭に、今年から初エントリーの鶴田&天龍の鶴龍コンビ、馬場&ドリーの元NWA王者コンビ、シン&上田組など8チームがエントリーしたが、マスカラス&ドスカラスのマスカラス兄弟も参戦した。マスカラス兄弟の最強タッグ参戦は1979年以来で2度目だった。
マスカラスは1月以来、ドスカラスも2月以来の来日で、例年なら「夏の主役」として子供ファンが集まりやすい7~8月に来日していたのだが、今回は引退するテリー・ファンクに「夏の主役」を明け渡し、二人のスケジュールの都合もあってマスカラスブラザーズとしては1年以上参戦していなかった。
だが来日が遠ざかってからは全日本のブッカーとなっていた佐藤昭雄の方針で取り巻く環境が大きく変わり、外国人中心路線から鶴田、天龍、ハンセン、ブロディを中心とした日本人vs外国人路線に転換し始め、マスカラスの扱いにも影響が出始めていた。
優勝争いは鶴龍コンビ、超獣コンビ、馬場&ドリーの3チームに絞られ、マスカラス兄弟は優勝争いから大きく後退、そういう状況の中で12月5日の福岡国際センター大会で超獣コンビはマスカラス兄弟の対戦が公式戦で実現した。
試合は開始から超獣コンビがドスカラスを捕らえるも、交代したマスカラスはハンセンの左腕をアームロックで捕らえる。ここでブロディに代わると、ハンセンとのダブルショルダーからゴリラスラムで叩きつける、マスカラスがヘッドロックで捕らえるとロープへ振ったブロディはショルダータックルも接近しすぎたせいかタイミングが合わず、お見合いとなる。
マスカラス兄弟はハンセンにダブルフライングクロスチョップの編隊飛行を決めるが、ドスカラスが再び超獣コンビに捕まってしまう。ドロップキックで反撃したドスカラスはマスカラスに代わり、ダブルアトミックドロップを狙うもブロディが嫌がって受けようとしなかったため、怒ったマスカラスはヘッドロックパンチを浴びせ、ブロディはショルダースルーを狙うマスカラスを蹴り上げて阻止しようとするが、キャッチしたマスカラスはそのまま倒そうとするも、ブロディは倒れようとせず、ロープ際でもつれ合ったまま膠着状態となってしまう。
ブロディはハンセンに代わるが、ハンセンのショルダースルー狙いもマスカラスはドロップキックで迎撃し、逆にショルダースルーで投げるも、ドロップキックはハンセンが自爆させ、豪快にボディースラムで投げてからブロディに代わるも、マスカラスはブロディにナックルの連打を浴びせてコーナーに振ろうとしたが、ブロディはマスカラスのマスクを掴んで抵抗、やっとマスカラスがコーナーに振るも次の技へ繋ぐタイミングが合わず、マスカラスがヘッドロックに捕らえた際にブロディは自軍へ連れ込もうとするが、マスカラスが嫌がったたため、ブロディの足をすくって転倒させる。
マスカラス兄弟はハンセンにダブルアトミックドロップ、ダブルフライングクロスチョップから、リフトアップ式ボディープレスと合体技を決めるも、ドスカラスがハンセンのエルボーバットを喰らって失速、交代したブロディが抱え上げたところでマスカラスがドロップキックで、ドスカラスごと浴びせ倒し、マスカラスの指示でドスカラスがコーナーへ昇るが、ハンセンが足を引っ張り阻止しコーナーから転落、マスカラスがハンセンに抗議するかのように詰め寄っている間に、ブロディがドスカラスをアバランシュホールドで仕留めたが、マスカラスと超獣コンビが噛み合わず、始末の悪い結果となった。
この試合で振り返ると一番大人の対応をしていたのがハンセンとドスカラスで、マスカラスとブロディは互いに技を受けようとせず、ブロディがマスカラスの技を受けようとしなければ、マスカラスは意地でも受けさせようとするなど、我の強さだけを互いにぶつけ合っていた。まるでマスカラスを見下すかのように、ブロディはもうマスカラスの時代ではないんだと言いたかったのか、しかしブロディとはよく一緒にサーキットし、日本にも何度も来日したホセ・ロザリオによると、ブロディはテキサスでドスカラスと対戦したことがあったが、試合前にブロディとドスカラスはバックステージで口論となり、試合もケンカマッチとなった、ケンカの理由は明らかになってないが、ブロディはメキシカンレスラーを嫌っていたという。おそらくブロディの中にメキシカンレスラーを見下すことがあり、マスカラスは"ナメられてたまるか!”で攻めたが、ブロディは見下した態度を変えなかった。だから両軍の試合はギクシャクしたままで終わったのではないだろうか…
試合後に馬場は個別にマスカラスとブロディを詰問し、二人を二度とシリーズでは一緒にさせなかった。最強タッグは超獣コンビが優勝を果たし、マスカラス兄弟は3勝=6点止まりで、シン&上田、ウインダム&フラー組と並んで4位という不成績に終わった。またリーグ終盤ではザ・グレート・カブキが特別参戦を果たして12・12蔵前ではNWA世界ヘビー級王者だったリック・フレアーと対戦、実は最終戦のチケットが売れておらず、佐藤がテコ入れとして組んだものだったが、当時大人気を博していたカブキが参戦することでチケットの売り上げが大幅に伸びた。マスカラスはかつてカブキが高千穂明久時代に咬ませ犬にしていたが、その咬ませ犬にしていたレスラーが大化けして、自分を凌ぐレスラーになっていたことをどう思っていたのだろうか…
マスカラス兄弟は、ドスカラスが新日本と提携していたUWAに属しており、マスカラスからの一本立ちを狙っていたこともあって全日本から離れ、83年の最強タッグでマスカラス兄弟に編隊飛行も最後となった。マスカラスは単独で全日本に参戦したものの、1986年6月を最後に全日本との関係も途切れたが、2019年2月に開催される「ジャイアント馬場没20年追善興行」にマスカラスとドスカラスのマスカラス兄弟が参戦すること発表された。マスカラス兄弟も昭和全日本に欠かせない大事な存在だったことは今でも変わらない。
(参考資料 GスピリッツVol18、日本プロレス事件史Vol,3)