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suzuno's house

3日間の夢

2023.11.15 12:15

「つばさ、お願いがあるの」

「はい」

神様に等しい一度きりの奇跡でサナさんの呪いを解いた後。

ここはコエさんが用意した、現代と呼ばれる魔法のない世界。

私達は能力者という形で、お互いの納得さえ行けば相手の願いを叶えられるという条件でのみ、大きな魔法が使えるというルールを私が定めた。

「……つばさを裏切るかもしれないからこそ、貴女の力で叶えて欲しい……貴女が駄目だと言うのなら諦める」

「大丈夫ですよ、聞かせてください」

そのルールを定めた当人に、魔法にあまり頼らないで過ごしたい、と決めたサナさんが改まって『お願い』を申し出たのだから真剣に聞かないわけには行かない。サナさんに向き直って、緊張させすぎないようにと軽く微笑み返す。その表情に余計に苦い顔をしたサナさんは、少し俯いて一呼吸置いてから、静かにその願いを口にした。

「…………珠莉に会わせて」

「その心は?」

「…………謝りたい」

珠莉さん。ここではない何処かの可能性でサナさんに接触した、この世界で言う能力者の一人だ。珠莉さんの世界では『色付き』と呼ばれる特殊能力の持ち主は、我々で言う神様と同じような立場の誰かの手で生まれ、特定条件を満たす事で魔法に近い異能を手に入れることが出来る。

珠莉さんはその『色付き』の一人で、他の物語から他者を自分のテリトリーに書き写すことが出来る。

コエさんが私達に『取り戻させた記憶』や、『遊びで造ったという世界』の中に、彼女が存在した『可能性のある世界』は幾つかあった。

勿論、珠莉さん自身が自分のホームとする世界の物語もそこにあり……サナさんはそこへ半ば、連れ去られる形で『書き写された』事もある。その後の可能性は幾多にもあるとコエさんは語ったけれど、それの殆どどれも、サナさんと珠莉さんは分かり合えないままその関係を終えた。

「分かりました」

そんなかつて、此処じゃない時間のどこかでサナさんが私怨で意地悪をしてしまった相手。その相手への加害を認め、しかも謝りたい旨まで自分で伝えてくるだなんて……。ちょっと妬けるけど、普段のサナさんからすると驚くほど素直な行動だった。……それだけ多分、コエさんから与えられた他の世界の記憶を振り返って、そして思い悩んだのだろう。

直接的に珠莉さんにそうしたのは今のサナさんじゃないけれど、今じゃない記憶だからこそ……客観的に見て酷いことをした自分をサナさんは認めたのだ。

「怒らない……?」

「まさか。サナさんが自分から謝りたいとまで思って、しかもそれを自分で口に出来たのに手助けしない訳にはいかないですよ」

そのサナさんの勇気を、側で見てて分からないはずはない。あんなに素直じゃない人が他人に自分の非を認めるハードルの高さ。プライドより責任を選択した有機。その背中を押さない訳にはいかなかった。

「今から、でいいですか?」

「……うん」

サナさんが頷くのを確認して、目を瞑らせる。魔法で珠莉さんを……正しくは珠莉さんの意識を呼び寄せる。

これは珠莉さんにとっても、そしてサナさんにとっても……夢の中の出来事でしかない。

「珠莉さん、サナさん」

次にふたりが目を開けた瞬間、そこからその『夢』は始まった。

「3日間だけあげます。サナさんが眠らない3日間。……珠莉さんが眠ったらそこでおしまいです」

サナさんはフラッシュバックを起こすのが怖いからという理由で、3日に1回しか眠らない。今朝は少し眠ってから起きた。ので、今日から3日はサナさんがギリギリ起きていられる時間帯だ。その間に眠ってしまえば、たった今魔法で作った『夢』は上書きされて現状はなかったことになる。

「……果たして、珠莉さんに出来ますかね?」

対して、珠莉さんの起きていられる時間は短い。人並みよりも短いぐらいだろう。

その睡眠時間もふたりのすれ違いを加速させたものだと、コエさんから記憶を又聞きした私も知っている。

勿論、我ながら意地悪をしているとは思う。そりゃあ多少の嫉妬心はあるけど、問題はそこじゃない。どれだけ、お互いが本気か見たい。サナさんの後悔に区切りを付けたい。サナさんのした事を精算させたい。

何より、すれ違うことの苦しさは私が身をもって理解っているから。いつかの私と翅のようになって欲しくないから。

その為に、サナさんが珠莉さんを傷つけず、期限を設ける事でサナさんが遠回しなことをしないようにする。

「では、私はお仕事行ってきますね~、サナさんファイト!」

「いってらっしゃい、つばさ」

そうして邪魔者は3日間だけ、席を譲ってやることにする。

まだ現状を把握していない珠莉さんだけが、ぽかんと私とサナさんの顔を交互に眺めていた。

「…………珠莉」

つばさが玄関を出る音を確かめて、ようやく隣で呆然とする珠莉に声を掛ける。

いきなりで無理もないけれど、未だどう反応していいか分からない様子の珠莉はその声で初めて身動きをした。

「ごめんなさい」

「えっ、えっと……待って、まだ状況が……え、サナ……生き……?」

「悪いけど貴女の限界が分からないの、手短に言いたいことだけ話させて。状況も説明するから」

つばさが魔法で呼び寄せた珠莉の意識は、恐らく『事』が済んでしばらくした後の珠莉の意識だ。

姿が16歳当時のままなのはこれも夢だからか。内面だけは『新月さん』の珠莉は、多少は当時より話も通じる。が、やはりまだぼんやりとした印象は変わらない。

取り敢えず私に迷いが出る前に、そして珠莉に限界が来る前に……狼狽えたままの珠莉に私は頭を下げた。

「私は……貴女の知るサナではない。貴女が書き写したサナでも、書き写す前に私の島に来た貴女が手を差し伸べた『伝説の悪魔』でもない。その記憶を引き継いでまた別の世界に生まれた別の生き物」

「……そ、そうなんだ……」

ややこしい事情をそう説明するしかなく、現実味を帯びない説明に珠莉は浮いた相槌を返す。仕方ない。混乱させたのはこちらだ。ただ、100%伝わらなくてもいいし、伝える気もない。飲み込みが悪いのもすっかり知っているし、伝わらないことも想定済み。

「私は、そのサナの全部の記憶を思い出した後、ここで人間に近い生活で暮らしてる。……きっと、貴女の側に居たサナと同じように」

「…………っ」

『貴女の側に居た『サナ』』という言葉に珠莉の息が小さく跳ねる。そう。

彼女から見た『サナ』は……手段はどうだったのかはさておきもう死んでいる。自分自身の手で。恐らく、多くは珠莉の眼の前で。

「ただ、環境も、経験も違う。そんな第三者の私が記憶を振り返って、貴女にひどい思いをさせたと思ったから……気を軽くするためにしているエゴ」

「そ、そんな事ない……! ええと、」

そんな死を見せつけた相手と瓜二つの存在が、気を軽くしたいという理由で呼びつけた時点で、こんなの私の自分勝手な行動でしか無い。それで許しを請うだなんて怒られて当然だろう。

……それでも、耐えられなかった。このまま黙って過ごすことは、今この『現代』に何のわだかまりも持ち越さず、背負い続けてきた黒い翼の呪いもなくなった自分には出来ない。狼狽えるばかりの珠莉の手を取る。呪いがなくなったからこそ、今なら素直に触れられる。

「私の話なんて聞きたくもないかもしれない、今更別人である私が訴えても弁明にもならないかもしれない……でもね、寂しかったの……そんな理由で貴女を見下して罵倒して、傷つけようと足掻いて、利用して……ごめんなさい……それだけ、言いたかった……ごめんなさい……ごめ……っ……」

話していく内に、記憶を共有しただけの『珠莉の知るサナ』は、今この私と一体になっていく。珠莉の手を取って、最初にこの人に触れた時の事を思い出して。気づけば声は濡れて、珠莉の目の前に崩れ落ちる。

「わっ、わわ……」

「っ……!」

その様子を見た珠莉が慌てながらも、崩れ落ちた私を支えるつもりだったのだろう。不意に肩を抱かれて、その感触の懐かしさに息を呑んだ。

私が珠莉の世界で命を落としたのは18歳。珠莉は24歳。珠莉の時間で8年した意地の張り合い。

その間にこうして触れ合った時間なんて……多分最初の1年でも数える程だっただろう。

それでも、その手の優しさを覚えていること、そしてそこまで意地の悪い態度を続けた相手を、まだ支えようと思ってくれることが懐かしく思える。……それだけ、死んだ『サナ』が焦がれた記憶なのだろう。

「……正直状況は全部は良くわかってないけど、謝りたいのは分かった。分かったから落ち着いて。……正直、私、サナの何を知ってて何を知らなかったか答え合わせ出来てないのは確か。……ただ、ちゃんと向き合えなかったのは今ので分かった。それはこっちこそごめん……」

「…………うん」

「例え別の人だとしても、それが本当の言葉なら私も無視したりしない。だからもう、嘘はやめよう……?」

「……ええ…………」

嘘、か……。嘘のつもりは勿論、その当時はなかった。けど、そうか。彼女にとって私の叫び、訴え、足掻き。気を引くための反抗。全部嘘に聞こえていたのか。そう思うと話が通じない理由に近づけた気がして……普段は誰に対してもうまく言えない言葉が自然と口をついた。

「……ごめんなさい……」

「……いいよ」

そうして珠莉が私をようやく抱え起こしたところで、静かに手が差し出された。

きっと、あの時間の私なら、この手を払うか無視していただろう。

一瞬、反射的に抵抗を覚えて、いや、違う。もう呪いはない。勇気を出してその手を握り返した。

「……3日も掛からないで終わっちゃったね」

「…………よくあんな8年も意地の張り合いが出来たわね」

そのあっさりと終わった和解の儀式に、唖然とする珠莉。思わず笑いを零してしまう私。

ほんのりとだけど、珠莉も笑みを零して笑い合った。

「折角だから近所を案内するわ、あんまりNoTeの街と代わり映えはしないけど……それともすぐ帰る?」

珠莉が呼び出された場所は、私の寝室だった。ベッドを指さしながら少しからかい気味になってしまうのはもう癖か。

それでも珠莉は静かに首を横に降る。

「3日間、頑張ってみてもいい?」

「…………正気? 貴女が半日以上起きてるの、見た記憶がないわ」

珠莉の睡眠時間はびっくりする程長い。それはつばさも大概だけれど、珠莉は特に一日の半分程は布団の中に居た気がする。

それどころか気づけばうたた寝していたりして、その態度に飽きてしまって会話の途中で帰ってしまった事もあるし、電話の途中で眠った珠莉を責め立てたりしたこともあった。

そんな相手に今更、起きる事を強要するなんてしたくないし、自分からそうするだなんて言い出すとも思わなくて内心驚いてしまう。

「だって……振ったの私だけど、しかももう別の相手が居るけど……しかも似てるだけの別人かもしれないけど……」

それでも珠莉はほんの少し言い淀みを含みつつも、迷いのない声で続ける。

「死んじゃった元恋人が眼の前に居る夢見てる、って簡単に覚めたくないよね……?」

「……!!」

その声が、ほんの少し。多分私にしか分からないぐらい。嬉しさか、涙か。揺れている事に気づいてまた息を呑んだ。

「そう、思ってくれるの?」

「……失礼だった?」

私はもう、珠莉には愛想を尽かされたものだと思っていた。この謝罪も一方的で、受け入れて貰えないのだと思っていた。

今更なんだと怒られても仕方なかった。珠莉にとっての私の価値がわからなかった。

だから、このチャンスを勿体ぶってくれる事に驚いてしまう。

「……いえ……つばさも私も覚悟も同意もしてる。そうね……」

もう一度、珠莉の手を取る。

そう、猶予は3日ある。

この3日だけは、今度こそこの人は私のもの。

一度は過ぎた関係でも……強く願った過去を思い出すと少し嬉しく思ってしまう。

「夢を見させた責任は取らなくちゃね?」

「責任……」

うっかり普段の調子で言葉を飾ると、珠莉の顔が静かに曇る。

しまった、この言い回しだと恐らく彼女にはこの謝罪が義務的に聞こえるのだろう。

「……あ、ごめんなさい……私遠回しに言う癖があるだけ。私もまんざらじゃない……いえ、嬉しい」

「そ、それ……もしかして最初から……?」

慌てて素直な言葉を探そうとする。けれど、慣れていないせいかすんなりとは出てこない。

ようやく吐き出せた言葉に少しむず痒い思いを抱く。が、ここで強がってはまた結局同じだ。

「明後日まで、私も貴女に応えさせて……頑張ってみるから……」

「……うん」

言葉を飾らない努力を約束する。その様子に珠莉もどこか普段とは違う強い頷きを返してくれた。

サナが暮らしている街を案内してくれる、というのでついて歩くことにした。

町並みは本当に私が知る自分の国の景色と殆ど変わらない。

敢えて言うなら自分が知るよりちょっとおしゃれな家が多いかな……ぐらい。これは国の違いって言うより、サナと私のセンスの差?

先を行くサナの足取りは散歩好きな私に合わせてか、知るよりゆっくりめに歩く。……いや、『歩いてくれている』。

改めてそう思うと、今此処にいるサナは自分の知る時間のサナではないのだと体感で知らされる。

「あっちゃー、サナちゃんなんか大胆な事してる~?」

「デート中よ、お引取り願えるかしら?」

「うわあ、澄ましてる……」

そうしてサナが普段行くお店とか、気に入ってる散歩コースとかを雑談混じりに紹介しながらしばらく歩いた頃。

こじんまりした街の公園を通り過ぎようとしたところで、背の小さい女の子がサナに話しかけてきた。

サナのあしらい方と向こうの絡むような話しかけ方からすると、お互い対応に慣れた顔見知りのようだ。

「噂に聞いてた、って表現でいいかわかんないけど、珠莉ちゃんだっけ?」

「えと……うん……」

その子は次に私の顔をまじまじ見つめると、思い出すように教えてもいない名を呼ぶ。

サナがどこかでこの子に語ったのか、それともサナと同じく記憶をどっかのタイミングで引き継いだのか。

「ややこしい説明しない方がいいよね?」

「多分理解しな……難しいと思うわ」

取り敢えず一言では言い表せない状況ってことだけは、会話が語っていた。

し、多分説明されても私には分からないことなんだろう。サナが早々に説明を諦めかけていた。

「うーん、まあいいや。アメって呼ばれてまーす、元のサナちゃんの前世で、今は親戚ぐらいの距離感だと思ってくれればいいよ~」

「あ、うん。分かった……よろしく……」

「……すごい淡々とした子だね?」

「これでも割と丸くなったし反応良い方よ、良かったわね」

ちょっとぐらい話してくれても……って思わなくもないけど、多分理解できないのは私も見えているのでその説明を飲み込む。

……私もサナにあかりとの事、話してないし……それに近いんじゃないかなと勝手に想像して頷いた。

確かにアメと名乗ったこの人、どっかサナに似てる気もするし、そうでもない気もするし。

流石にその説明に納得を見せるとは思われなかったのか、そこまでノリの良かったアメが若干呆れ顔でサナを振り向いた。

興味は持ってない訳じゃないけど、別に追求しなくていいかなって言うのが本音だけど……興味持った振りしといた方が良かったのかな。会話下手が目立ってしまっていることに内心落ち込む。

「ねえねえ、珠莉ちゃん特殊能力持ってるって本当? それどーやんの?」

「えっと、あの能力は私一人では使わないって決めてて、その……ごめんなさい」

と思いきや、次は向こうが興味を持つ方向へとシフトしたらしい。

いきなりの話題の急カーブに困惑しつつも、なんとか返事を返す。

「えー、じゃあ誰か居ればやれんの? 呼べるなら呼ぶけど~?」

「それはあの、多分、事がややこしく、なるから……ちょっと……」

私の能力はあかりが居ないところでは使わない事にしてるんだけど……ここにあかりを呼んだら確実に事がややこしくなるので避けたい。

というか、私を呼び寄せることが出来たってことは、そうか、他の人が呼ばれる可能性もあるんだ……?

「ここと自分の世界と何か違うとこってある?」

「ええと、そんなに……」

「映画好きって聞いたけどアニメ映画とか見る? なんかおすすめある?」

「ひぃぃ!!」

あまりの会話のテンポの速さに困惑している内にも話はどんどんと切り替わっていって、能力の事を諦めたかと思えば次は国のこと、それもだめなら私のこと……と、アメはもはや私を取り締まる勢いで質問を重ねてくる。それに伴って距離も詰めてくるから、驚いて悲鳴を上げてサナの後ろに逃げてしまった。

「アメ、勝手に尋問しないで。布教のチャンスも伺わない!!」

「バレたか……」

「どうせこの時間に出掛けるって事は、今週の漫画雑誌買いに行くつもりなんでしょう? さっさと買ってきたらどう? カンにネタバレされるわよ」

「やっば!! それな!! ウェブでも読めるけどやっぱ紙面だよね~! じゃあねサナちゃん!!」

サナに促されて、アメは文字通り飛んで去っていった。……あ、あの人も天使だったんだ……。

と思ったところで、遅れてサナが助け舟を出したことに気づく。サナがアメの用事を思い出させなかったら余計に絡まれてた……。

「……身内が失礼したわ。行きましょ」

サナは少し呆れた顔を隠すかのように私の先を歩き始めて、また案内を何事もなく再開する。

その背を小走りに追って、その真意を確かめた。

「ええと……助けて、くれた……?」

「時間が勿体ないし、ああいう賑やかさは得意じゃないでしょ?」

ようやく、サナが少し困った笑顔を私に向ける。

……いや、困った……というより、照れてるっぽい?

「……うん。ありがとう」

「いえ……どういたしまして」

そこまで分かっててくれたんだ。その上でちゃんと助けてくれた。

……ちゃんと、優しさのある人だったんだ。

私の記憶の最期に残る、意地悪できつい言葉しか言わないサナの記憶が脳裏を過る。

素っ気なくて、冷たくて……本当にそうだっただろうか。

今みたいな、しれっとした優しさに私が気づかなかっただけ?

どっちにしても今となってはもう、確かめようもなかった。

それから、サナと近所をしばらく巡ってから家に帰ってきた。気づけば日も暮れて……当たり前のようにサナは私が泊まる準備をしている。夕食を用意して、今夜はどう過ごそうか? なんて聞いてくれた。私は夜更かしという未知の領域に少し緊張しながらも……ここはサナとつばさの家だという事を改めて確認した。

つばさとは大丈夫? と聞けば、あの子の会社って結構忙しくてね、帰ってこない日も結構あるから、なんて言ったけど……流石に丸3日も居ない事なんてないよね……?

……改めて、この3日が限りあるものだという事を胸に刻む。

その夜はサナと夜通し映画を見た。眠くなんて全然ならなかった。

サナが感想を交えつつ、ずっと雑談を交えて声を掛けてくれていたから。

その日、気づく限り、サナがちゃんと映画にも私にも寄り添ってくれたのを初めて見た。

翌日。2日目の『夢』だ。

バイトとレコーディングが入っていたけれど、珠莉はそれにも付いてきた。バイトの間は店の様子を伺いながら近くで待ってくれていて、レコーディングもスタジオで待っていてくれた。音楽に苦手意識のあるあの子の前で歌うのは気が引けたけれど、その間一つも嫌な顔をしなかった。

一晩起きた後で少し辛そうなのも表情のわかりにくいあの子の顔色に混じっていたのに、それでも真剣にこちらの作業をじっとみて、本当にこの3日を逃さまいとしてくれている。

『新月さん』とこんな時を過ごしたことがあっただろうか。そう思うとちょっと嬉しさと悲しさが交じる。

これは夢で、しかも期限付きじゃないとしてくれなかったであろう配慮。

それが改めて……この関係が維持できなかった現実を見せつけてくる。

「付き合わせてしまってごめんなさい、貴重な時間なのに……休めばよかったわね」

「ううん……流石に仕事まで潰すのは私が申し訳ないから」

それだけ耐えてくれているのだと知ると申し訳無さの中に、少し怒りか、寂しさか、良くないものが交じる。

恐らくあの時の私ならここで拗ねて見せて珠莉を試そうとしただろう。

……けど、それが悲しくも無意味だということはもう答えが出ている。一瞬飲みかけた言葉を、慎重に吐いた。

「……ごめんなさい、言い方を変えるわ。我儘、もう少し言って欲しかったの。まるで私が必要ないみたいに聞こえちゃうから……」

その言葉に、半歩先を歩いていた珠莉の足が止まった。

振り返るその顔は普段となんら変わらず、相変わらず顔色がわからない。

「サナこそ、バイトも趣味も音楽やるぐらい好きなのに、私の前で遠慮したんだよね?」

「…………貴女が、嫌がると思ったから……嫌われたく……なかったから……」

「……そこまで尽くそうとして疲れちゃった、って事で合ってる?」

それでも違ったのは声色。私の真意を確かめるための聞き方だった。

記憶上は既に24歳の大人の珠莉。この世界では18歳、あの時間と同じ年齢の私。

大人と子供という構図はあの時のまま変わっていない。

あの時はこの、不釣り合いな構図が大嫌いだった。

「合ってる。でも、それを探られたくも知られたくなかったの。格好悪いし、貴女に気を使わせたくなかったし、玲子やあかりからも疎まれてたから言い出せなくて……でも、気づいて欲しい気持ちだけはあって……段々意地になっていった。興味を持って欲しくて、痛みで気を引こうとしてた……」

けれど、こうして向き合えば……それが正しい構図だったと分かる。

珠莉は大人としての譲歩で私の話を聞き入れようとしていた事。それに反抗することにばかり私が必死で、背中ばかり向けてたこと。

背中を追って貰おうだなんてずるいことを考えたのは私だった。

その背中に不気味な羽根があることも忘れて。

「そっか、ありがとう。我慢してくれて」

「怒らない?」

「怒ったらまた前と同じになるから、今は同じだけ我慢する」

そんな大人としての立場を振る舞おうとし続ける珠莉の前で、私はどうしても子供になってしまう。

気づけば甘えたみたいな本音を零して、泣きそうになるのはこちらだった。悪いことをしたのはこっちなのに。

「……案内されてわかった。楽しそうで良かった。例え今のサナがNoTeに関係なくても」

それでも珠莉はまるで安心したみたいに私に、心底嬉しそうな顔を見せる。

その顔だけで、反発する私を、自分を傷つけまくった私を、挙げ句失ってしまった相手を、不器用なりに心配していた事に気づいてしまってはまた罪悪感が湧く。

「羨ましい」

「え?」

「そんなに簡単に他人の幸福を願える人だった事……」

ふと、零した言葉はそれだった。珠莉が零す何故、とでも言いたげな返答がまた私を責める。

正直、昨日今日、私はあまりにも気が重たかった。

いっそ恨んでる、なんて言われた方が気が楽だったとすら思う。

だって、今この関係も互いの我慢で成立している。

謝って、譲歩して、譲り合っても尚、お互いに『合わなかった』可能性しか見えてこないことしか分からない。

「私は嫉妬しか出来ないもの……」

「…………ごめん」

そんな状況でもよかった、なんて自然に零せる珠莉が羨ましいし、疎ましいし、眩しい。

「ずるい…………」

たぶん、初めて、この人の前で素直に泣いた。

3日目。今晩が最後の『夢』。もう、限界は近かった。

2日目の夜はサナが作ったという曲を流しながら、色々な話をした。

音と声が混じり合うのが少し苦手でその環境は苦痛だったけれど、サナが歌詞の意味を解説する時間、サナが普段口では話さない感情を言葉を探し探し話す姿だけは一つも取りこぼさないように耳を傾けた。

いつもは口の上手いサナが、素直に話そうとすると言葉に詰まる様子は少し滑稽な気がして、でも躓く様子を見ると少しだけ気分が良くて。ちょっと意地悪だな、なんて自分に失望して……サナがしたかった意地悪の意味をほんの少し理解した気がした。

「……珠莉」

「ん、大丈夫……」

そんな時間に体力を割いて、朝日が登る頃には眩しさでぐわんぐわんする頭。ふらつく肩をサナが支える。

気を抜けば倒れてしまいそうだけれど、まだ……まだ半日もある。その気持ちでどうにか手足に力を込めて立ち上がろうとするのを、サナが押さえつけた。

「そうは見えない……顔色も酷いわ。ね、もう早いけど終わりにしましょう。貴女はにしてはよく耐えたと思う」

「嫌、だ、まだ今日のうちは……『終わらせる』なんて二度と言わないで……」

その言葉にカチンと来て、眠気と疲労に任せて言い返した。舐めないで欲しい。

『私にしては』だなんて言わないで。サナがいつも私を下に見てたことを知らないわけじゃない。

確かに自分から下げたんだけど、だからと言って勝手に終わらせようなんて言わないで。

そこまで口は回らなかったけど、珍しく強気な私を見てか……サナは苦しげな顔で私を抱きしめる。

その言葉はストレートに、自身を自分から終わらせたサナを責める言葉だったから。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。貴女を傷つけたくて足掻いた結果がこれだなんて……」

「……やっぱり、私が憎い? 嫌い? それとも、自分……?」

その言葉に自分がしたことを改めて認識したのか。それとも私の意地悪な言葉に傷ついたのか。

サナは複雑そうな顔を私の肩に埋める。

「いえ、間違ってはない、でも、不謹慎だけどちょっと嬉しいの」

「……嬉しい……?」

そうして耳元で、サナも眠気混じりの声を零す。その答えは意外なものだった。

「貴女がくれた自由があまりにも手放しなのが寂しかった。でもそれを自分から求めるには、あまりにも貴女の親切を跳ね除ける行動で自分からは出来なくて……貴女が気づいてくれるのを待って、待って、疲れ切って……気づいてくれない事に疲れ切って……その内に貴女を傷つけたら、貴女の中に居場所が出来るって思ったの。好いてくれないなら嫌われればいいって」

そうしてサナの抱きしめる腕の力が一層強くなる。優しさはそこにはなくて、痛くて苦しいハグだった。

けれど、恐らく……あの時……制服を着崩して髪も結わず、授業にも出ない、誰の言葉も聞かない……ただ私だけを追い求めたサナの理想は、今此処にあるんだ、と私でももう気付ける。

今、あの時のサナは求めていたはずの『サナだけを見ている私』という存在は、サナの腕の中にあった。

「でも貴女はいつからか振り向くどころか取り合ってさえくれなくなった。誰でもない、私のせいで……だから、貴女にも自分にも絶望して、全部に逆らって……その最後に引っかき傷が残せたらいいなって思ってしまった」

「サナ……」

サナはそう言って私を捕まえていた腕をそっと離した。

その顔は全然嬉しそうじゃなくて、痛みと悲しみに歪んでいた。

「でも、もう充分……貴女の苦しむ顔が見れた……見たいなんて思ってごめんなさい……」

……その答えの意味が、察しの悪い私にもなんとなく分かる。

多分、サナの求めるものは私にないって、サナは気づいてしまったんだ。

「傷の残った貴女の姿を見るのが念願だった、3日間だけでも……それは本当」

「…………それは、意地が悪いね」

「珍しく察しがいいわね」

私が零した回答に、サナもふっと笑う。

それから一日、サナはもう動けない私の側に居てくれた。

じっとしてるのが好きじゃないサナが、ずっと隣に居た。

私は意地でも目を開けて、その姿を見て声を聞いた。

「……サナはやりたいこと、出来た……? ……私が、してあげられなかったこと……出来た……?」

「どうかしらね?」

「……素直に言ってくれるんじゃなかったっけ?」

けど、限界も、タイムリミットもやってきてしまう。

日付が変わりかけた頃、私も、そしてサナも限界そうだった。

「……疲れちゃった。そのぐらい自分で考えてみたらどう?」

「……そっか。じゃあ……都合のいいように受け取っておく……」

最後に答え合わせが欲しいなと思って呟いてみたけど、もうサナは優しくなかった。

から、私も敢えて意地悪に答えた。

サナが泣いていたのか、怒っていたのか、喜んでいたのか、眩む視界では覚えていない。

「最後まで、側に居て……」

「ええ」

「サナ、ばいばい……」

「うん……ばいばい……」

ただ、最後まで隣で握っていた手の温度だけは覚えてる。

珠莉さんを呼び寄せる魔法が解けた翌日、サナさんが一人で起きてきた。

隣にいた珠莉さんも、その形跡も、すっかり無くなってこの世界はまた同じく回る。

恐らく、夢を見終わった珠莉さんも自分の物語を変わらなく回していくだろう。

ただただ、悲しいような良かったような、悪いような楽しかったような、そんな夢を見たんだろうという余韻だけを残して。

「いい夢は見られましたか?」

ちょっと意地悪を聞いてみると、サナさんはまだ眠そうな顔で私の方に腕を回した。

そのまま抱き返して背を撫でれば、サナさんは柔い笑顔を上げる。

「ううん、いい夢じゃなかった……」

その笑顔は見栄だろうか。その態度はもう、いつものサナさんだった。

「痛かったし苦しかった、悪夢だったわ」

その言葉が本当なのか、嘘なのか。私は敢えて追求しない。

「ただいま、つばさ」

「おかえりなさい、サナさん」

ただ、この傷もきっと、この先サナさんの何かを磨いて輝かせる、小さな傷の一つになるのだろう。