After hours
大人になって随分たっても、まだこんなに胸焦がすことが出来る遊びがある。
その色、艶。
この遊びをしなければ絶対にまぶたに焼き付けることが出来ないその美しさに出会うために、
前の晩から車中で宴を開き、そのまま仮眠を取り、
朝の曙(あけぼの)に、ほんの数時間前の酒やけと、この日の期待を照らされ、
人生の色も、毒も、あらかた一通り経験してきた大人たちは、待ち望んだ流れに身を浸す。
大体、興味がない人たちから見れば、たかだか30㎝前後の小さな魚に昼も夜も忘れるくらい夢中になって、
道具もよほど見る人が見ないと分からないような細かなコダワリを山ほど積み上げて、
衣食住、何一つ不自由のないこの時代に、わざわざ山奥まで出掛けて、汗まみれになり、滅多に報われることのない苦労を重ねる。
しかし、本人たちからすると、自分たちこそが違いの分かる人間だと固く信じて疑わないフシがあるからなおさらタチが悪い。
まあでも、それもしようがないのだ。
甘美、深遠、郷愁。
普段、心の奥底に眠る琴線、感興に触れられると、またたまらなく行きたくなる。
その内、誰が見ているわけでもないのに、身なりにまで気を遣うようになる。
それはきっと、そこにいる目に見えない何かに対する畏敬、感謝、愛情。
背中を丸めてどれだけスマホの画面をいじくり回してみても、この感動は決して得られない。
その場にいなきゃダメなのだ。
台風24号の襲来のため、今季最終釣行となった9月22日、土曜日。
目の前で友人が釣ってみせてくれた宝石魚。
紛れもない秋の雄山女魚。ものの見事に成熟しきった一尾。
直後、同じポイントでペアリングしていたのであろう、彼女を並べて撮った写真がシーズンの締めくくりになった。
よくよく見ると、彼女の尻ビレの辺りには彼氏のものなのだろうか。きれいな噛み跡が付いている。
どうぞ、健やかな営みを。そう願って彼らを流れに戻した。
大の大人が3人揃って、ゲラゲラ笑いながら、時に強い流れに飛び込んだり、山で道を見失ったりしながら釣りをして、
山に息づく美しい女性のような魚を追い求めた半年ちょいの時間は、一旦終わりを告げる。
来年、平成の御代最後の3月まで、別のステージで別のトラウトとのアフターアワーズを味わいながら、長いような短いような季節を過ごすことになる。
しかし、そんな時間も、きっと楽しみながら過ごせるに違いない。
なぜなら、1年の内、限られた季節しか出会えないからこそ、より彼らの美しさに心打たれるのだから。
鮭鱒族を釣るという、このアフターアワーズにとって代われるような素晴らしい遊びは、きっと他にないのだから。
今季行った全てのフィールドに感謝を込めて。
ありがとうございました。
Ronny Jordan- After Hours