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南三陸 2014年9月

2014.09.14 15:00

去る9月13~15日に、宮城県南三陸町のボランティアに参加してきました。 

私がボランティアに初めて行ったのは、震災から約2か月後の2011年5月。
そこから、チャリティーコンサートの時期のたびに、その時の被災地の現在を感じるために、
毎年参加しています。 

せっかくですので今年のBrass for Japanに参加いただきました皆さんにも、
少しだけ“おすそわけ”したいと思います。どうぞお付き合い下さい。

今回の体験の中で見聞きした限りにおける被災地の現状としては、
やはり復興まだ道半ばといったところでしょうか。
街は確かにきれいになり、まだ寸断されているものの道路もかなり整備され、
また土地自体を高くするための「かさ上げ」と呼ばれる大規模な工事も
あちこちで進んでいる様子が見て取れます。

また、南三陸町では、今年の9月から震災復興住宅への移設が開始され、
仮設住宅に住んでいる方の住み替えが始まっています。
しかし、山の高台を切り開いて作られた復興住宅は、生活をするためのお店がない。
街の人たちが暮らしていくために必要な、仕事をする場所がない。 

例えば、今回私たちがお手伝いした漁師の方。 
南三陸は全世帯の7~8割が漁業をしているという漁業の町です。
鮭をとったりホタテやワカメなどを育てたりして暮らしています。

ホタテやワカメを育てるには大量のロープなど資材がたくさんあります。
それらはもちろん代々受け継いできたものですが、それがすべて流されてしまったため、
漁師の方たちが漁業を再開するにはそれを一から集めなければいけません。
ロープだけでも何百万、資材を買うために借金をしている人たちがほとんど。

 資材だけではありません。漁業はとても人出が必要な仕事です。
今回私たちがお手伝いしたような、土嚢作り(ワカメを育てるロープを海に沈める重石にするために、袋に小石を詰める作業)や、浮きにびっしりついたフジツボをとる作業(これがとっても手ごわいんです!)とか、とにかく手間がかかります。
以前なら、ご近所や同業の方で集まって一気にやっていたのでしょうが、今は人も減り、同業の方の中でも漁業を再開できた人はまだ少ないのが現状、ボランティアの手を借りてやっと、という状態なのです。

例えば、私たちが秋のお祭りのお手伝いをした、
上宮八幡宮(かみのみやはちまんぐう)という神社。 

震災前はたくさんの氏子さんが協力してお祭りの準備をしていたのですが、今は氏子さんも少なくなってしまい、ボランティアの手を借りなければお祭りをすることも難しくなっている。


もちろんそれだけでは生活できないわけで。

復興住宅によって、3年半たってやっと衣食住が整った段階ですが、
働くところ、買い物するところ、人が集うところ。

街のそういった活き活きとした姿が戻ってくるには、まだかなりの時間がかかりそうです。 


それが、3年半後の現状。



上宮八幡宮の宮司さんの娘さん、工藤真弓さんといいます。
旦那さんと息子のゆうすけ君(当時4歳、いまは生意気盛りの7歳)、ご両親との5人で、いまは仮設住宅に暮らしながら、毎日神社に通ってお勤めをされています。 
いま工藤さんは、震災の体験を紙芝居で読み伝えるという活動をされています。 

「ぼくのふるさと」と題された紙芝居。 
私たちも実際に聴かせていただきました。
実際に体験した身だからこその声に、聴いている私たちは圧倒されます。

その紙芝居に「ぼくのふるさと」という名前がついたきっかけを教えてくれました。 


震災直後、大人たちが“自分たちのふるさとがなくなってしまった”という思いで暗く沈んでいる中、子供たちは実に明るく、避難所でも仮設住宅でも笑って過ごしているのを、真弓さんはずっと不思議に思っていたそうです。

そんな中、ふとゆうすけ君がつぶやいたひとこと。 


「ゆうくんには、ふるさとが、あるんだよ」 

「え?ゆうくんにはふるさとがあるの?」 

壊れてしまったとしても、子供たちにとってはかけがえのないふるさと。 

私たちの演奏する「ふるさと」に、このゆうすけ君の思いを
少しだけでも乗せられたらな、と思います。

ちなみに工藤さんは、山にツバキを植える活動にも取り組んでいます。

津波の後、枯れてしまった草木の中でツバキだけが生き残っているところがたくさん見つかり、ツバキは塩害に強いことがわかったことで、今後津波が襲ってきても、避難する山道がわかるように、避難道の両脇にツバキを植えていくのだそうです。 

津波という自然と常に隣り合わせで暮らしてきた南三陸の人たちは、この悲劇を乗り越え、次の世代のために知恵を残していく。 


この地で生きていくことの覚悟、を感じます。

南三陸の人たちは、来訪者に対してほんとに自然に、気軽に話しかけてくれます。 
散歩していても「どっから来たの?」「あそこで今魚の荷揚げやってるよー」とか。
また、津波があのあたりまで来たんだ、その時私は・・・など、震災の話も自然と話されます。
この地に住む人たちにとっては、ボランティアでも観光客でも、訪れてくれる人がいる、ということがほんとにうれしいんだそうです。 


震災があろうがなかろうが、南三陸はすばらしい街です。
風景はきれいだし、食べ物はほんとにおいしいし。 


食べ物といえば、こんな話があります。 
今回お手伝いした漁師さん、先ほどいったようにホタテやワカメを作ってるんですが、仲間うちと北海道にツアーで旅行する機会があったそうで。 

「北海道だからな~、なに食べられるんだろう?」
「やっぱりジンギスカンじゃないか?」

 で、楽しみにしていた食事に出てきたのは、ホタテがたっぷり乗った海鮮丼。
 仲間うちでため息が聞こえます。(なんでここまで来てホタテ?)
 しかも、どうもそのホタテがお気に召さなかったらしく。
そりゃそうですよ、彼らは毎日獲れたて新鮮なホタテしか食べてないんですから。
そしたらその漁師さん。 「これ、うまくねえな~!」って店中に響き渡る声で言ってしまったんだとか。 


それくらい、素朴で素直な人たちの住む街なのです。(フォローになってるか?)。

被災地の復興は道半ば。けど、人々はみんな元気でたくましい。

 ボランティアでも、観光でも。

もし機会があれば、ぜひ東北に足を運んでみてください。 

そして、私たちの演奏が、聴いてる人に東北の地への思いを巡らせる、
そんな寄る辺になりますように。