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一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

vol.16「井原西鶴」について

2023.11.24 21:15


ではでは、綱吉の誤解も解けて良かった良かった、ってなことで、ここからは元禄文化にフォーカスしたシリーズに、しばし凝ってゆくことと致します。


元禄文化で、真っ先に挙げられるのが「井原西鶴」が興した文学「浮世草子」でありまして。このへんは受験に出たんで『好色一代男』とか『日本永代蔵』や『世間胸算用』あたりは、一応暗記はしとりました。しとりましたが、実際に読んだことはねぇもんですんで kindleで、ものは試しとばかりに読んでみたんですがね。『好色一代男』は現代語訳版でも「ちょっと何言ってるか解らない」状態で。。 内容についても、勝手にもっと過激な感じのヤツを期待してたせいか、どうも肩透かし食らって入り込めず、途中で投げ出してしまいました。誠に面目ございません。。


けども『日本永代蔵』の方は、まだそこまで「読みにくい〜」ってこともなく。何言ってるかは一応理解できやして。なんとなく現代のビジネス極意本にも通ずるとこもあったりして、割かしスイスイ読めましたよ。とりあえず、1巻は。


いやいやいや、2巻も3巻もこれから読みますよ。読みますけど、6巻もあるんで、なんつーか、先が長くて。読む気はあるんですがね。なんつーか結構、根気がいるっつーか。そこまでのめり込めないっつーか。まあ地味にコツコツそのうちいつか読みますって。ホントに。読む読む。読むよ。だから読みますっつーの!!(絶対に読まないパターン)


まーまー、それより今日も天気が良いですね。天気が良ければ何でもできる! 天気が良いなら散歩もできる。散歩と言ったら日本橋。日本橋と言ったら三越。あ、そうだ三越の話しましょう、三越。三井高利(みつい たかとし)なる人が、元禄時代に「店前(たなさき)売り」と「現金掛け値無し」で大ブレイクさせた、あの「越後屋」ですやん。



● 以下コピペですけども

当時、一流の呉服店では、前もって得意先の注文を聞き、後から品物を持参する「見世物商い」と、直接商品を得意先に持参して売る「屋敷売り」が一般的であり、支払いは、盆・暮の二節季払い、または12月のみの極月払いの掛売りが慣習であった。

高利はこの制度を廃止し、店前売りに切り替え、商品の値を下げ、正札をつけて定価制による店頭販売での現金取引を奨励した。呉服業界においては斬新であり、顧客に現金支払いを要求する一方で、良質な商品を安価で販売した(ツケの踏み倒しの危険性がないためにそのリスク分を価格に上乗せする必要性がなかった)ために、顧客にとっても便利な仕組みだった。

もうひとつは呉服業者間では禁じられていた「切り売り」の断行である。当時は一反単位の取引が常識で、どの店も一反から売っていたものを、客の需要に応じて必要な分だけ切り売りし、江戸町民の大きな需要を掘り起こした。

このほか、「即座に仕立てて渡す」というイージーオーダーである「仕立て売り」も好評を呼び、越後屋はやがて江戸の町人から「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と呼ばれ、1日千両の売り上げを見るほど繁盛した。


ってことで、越後屋の大成功ぶりは、井原西鶴の『日本永代蔵』にも詳しく書かれるほどで。要は今をときめく町人ものの浮世草子には、うってつけの「実録・江戸リアンドリーム物語」だったわけですな。

ちなみに ↓ このサイトが永代蔵をさらに現代語調でまとめてくれてて、読みやすい。最初からこっち読めば良かった気もする。

http://saikakuihara.blogspot.com/2016/10/blog-post_49.html?m=1



● 浮世草子とは、これまでの「憂き世(辛く、はかない世の中)」が「浮世(楽しむべき世の中)」に変わった元禄の時代を象徴する文学であり、人々が体験してみたい成功物語だったり、他山の石として疑似体験だけしてみたい失敗物語だったりするのが特徴、なのかな。

それだけこの時代には、自分の生き方次第で大儲けも大損もできる可能性と、夢があったわけで。西鶴の作品は、そのどちらもが味わえるからこそ、ノンフィクション的でありながら、読んで楽しい娯楽性が詰まってたんだと思われる。軽く読んだだけですが。たぶんそう。違うかもしれないけど、そうってことで。



● あと西鶴は、文体がリズミカルで良いっすよね。あの「太宰治」も、西鶴に影響されとるとか。影響されとるどころか「西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ」と大絶賛した上で、西鶴の作品を自分流にアレンジして『新釈諸国噺』なる短編集まで作っちゃうほど。


こちらは太宰治によって厳選された「西鶴の傑作集」みたいなもんだから、どの話も非常に面白くて12話ぜんぶ一気読みできましたよ(えっへん)。文体も、太宰流の落語みたいな言葉に変換されてるので、とても読みやすくて素直にクスクス笑えます。でも、こんな風に他人の作品を勝手にリメイクしちゃうのとか、アリなのだろうか? 普通ダメじゃない? それがアリなら私が『風の又三郎』を現代の中学生版とかで書いても良いってことになっちゃうわけで。ダメなことをやっても許される文豪同士の、世代を超えた不思議なリスペクト関係も(一方通行ですけど)興味深かった。

https://note.com/aoyadokari/n/n3b8cd72fd680



ちなみに、オサムちゃんは西鶴の「ダメ男シリーズ」が大好物だったご様子。成功者の話よりも、不器用で、貧乏で、うだつの上がらない、けれどなぜか憎めない、そんなダメ男の話ばかりを集めている。

「西鶴と太宰の共通点は、金に対する未練と諦念が交差していくところなのかもしれない」

↑ と、どなたかの考察を拝借。たしかにたしかに。

金ないくせにプライドばかり気にする貧乏武士の空威勢とか、そのくせ後悔してジタバタする情けなさとか、コメディ要素の中に哀愁感も漂ってくるあたりが、滑稽だけども人間らしくて味わいがある。


そう言う意味で、西鶴はこれまで主役に据えられなかった町人や下級武士などを主体に、江戸の庶民の日常を面白おかしく物語化してくれたわけで。そりゃ読者のハート鷲掴みですわな。だって親近感わくもの。きっと「この話って俺モデル?」とか「これ私の話じゃないのさ」て、なったことでしょうよ。



と、言うわけで、浮世草子なる文学ジャンルを開拓した井原西鶴と、その時代に町人ドリームを体現してみせた三井越後屋の勉強をしておりましたら、なぜかいきなり太宰治が乱入してきて、時間軸もぐちゃぐちゃなマルチバースが展開しちゃって、どうまとめりゃ良いのか皆目見当付くかなくなってしまったので、これにて終わりにします。文才なくてスミマセン。私も「うだつの上がらない」ダメ男であります。



● おまけ「うだつが上がらない」とは

https://gogen-yurai.jp/udatsugaagaranai/