教皇庁捕囚1-十字軍後始末フィリップ4世
2018.09.29 11:36
父王3世の崩御の後を継いで1285年、17歳で王位についたフィリップ4世は美男王と呼ばれる、ルイ9世からは孫。ほめ言葉と思いきや、日本で言えば「能面のよう」に無口で、よくわからないという皮肉もあるらしい。フランス王権を高めた名君だが、そのやり方は確かに能面のようにドライである。
彼も王の専制政治を強めたが、特徴は平民の大卒生を法律顧問として重用したとこだ。彼らは「王はその王国においては皇帝である」「王は欲するところは法が欲するところである」とかの、スコラ的標語をつくって、王権を強めたようだ。そしてその欲するところは領土拡張の戦争であった。
1292年、海上での船の小競り合いを口実にして、イングランドのエドワード1に謝罪を要求した。実は戦争はエドワードも望むところで、これに応じず、94年、仏王は英王のフランス領土の没収を宣告したが、待ってましたと、英王のほうが先制攻撃をかけた。しかし王弟ヴァロア伯シャルルが強く、95年全アキテーヌ領土を占領した。
次はフランドル。ここは毛織物生産で豊かだったが、イングランドの羊毛を使い、フランスに支配させたくない。1297年イングランドと結ぼうとしたフランドル伯に先制攻撃をかけ、有利のうちに休戦、娘を英王子と結婚させて動きを封じた。そして1300年にフランドル伯を捕えたが、抵抗が続き「金拍車の戦い」で敗北、結局このフランドル制圧の戦いを長年続けることになり、軍資金が問題となってきた。
下はニケーズ・ド・カイセル作「金拍車の戦い」