主は私の助け手
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」ヘブル13:5
「金銭を愛する生活をしてはいけない」と主は戒めらました。それは、「神を愛すること」と「金銭を愛すること」は逆行するからです。マタイ6章24節で主が「あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と言われている通りです。お金は生活にとって大切なものですが、「金銭を愛すること」が問題なのです。争いごとの多くは大抵お金が絡むことを私たちは知っています。放蕩息子も父から財産の半分をもらいましたが、その大金を遊びのために湯水のように使い果たし、生活に困ったあげく、父のもとに帰りたいと悔い改めました。だから、金銭を愛する生活をしてはいけません。「今持っているもので満足すること」が大事です。なぜなら、主は「決してあなたから離れず、あなたを捨てない」お方だからです。もし、あなたが主としっかり繋がり、主と親しい関係にあるなら、あなたは決して不満足に陥ることがありません。しかし、もしあなたが主から離れ、主との関係がなくなれば、いつでも不満が残り、何をするにしても満足できず、結局、お金やモノで心を埋めようとするわけです。しかし、あなたがキリストとしっかり結ばれているならば、あなたの心は満たされます。
あなたの新婚時代のことを振り返ってみてください。皆さんにも新婚の時代があったはずです。もう何も無くても幸せでした。同じ屋根の下に2人一緒にいるだけで幸せだったはずです。それなのに結婚してしばらくすると、ちょっとしたことでも嫌になって文句を言うようになります。その愛から離れてしまうからです。愛があれば必ず満足することができる、、、信仰生活も同じです。主が一緒ならば、どんな時にも心は満たされるのです。ですから、主は6節で手紙の著者にこのように語らせました。「主は私の助け手です。私は恐れません。、、、」あれがない、これがない、とあれこれ心配するのはやめて、神が必ず必要を満たしてくれると確信しましょう。心配すれば恐れで暗くなりますが、確信に満たされるならば心は明るく保つことができます。
この手紙の受取人であったユダヤ人クリスチャンたちは、迫害によってすべてを失った者がいました。しかし、彼らには主を信じる信仰がありました。それは、主が彼らと共におられるということです。彼らはすべてを失いましたが、一番大事な主を持っていました。主を持っているということは、すべてを持っているということです。なぜなら、主を信じることは永遠のいのちを持っていることだからです。たとえ、この地上ですべてのものを持っていたとしても、主を信じていなければ悲惨です。この地上のものはすべて一時的なものであって、どんなものでもすべて過ぎ去ってしまうからです。この主がともにおられることこそ、私たちが勝利ある人生を歩んでいく秘訣なのです。あなたはイエス様にしっかりつながっていますか。主があなた共におられるなら、あなたはそれで十分です。なぜなら、主はあなたの、私の助け手だからです。