神に知られている
ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。ガラテヤ人への手紙4:9
パウロには理解できないことがありました。それは、キリストの救いを信じたはずのガラテヤの異邦人クリスチャンたちが、(信仰的に)逆戻りして、律法を重んじて救いを得ようと考えたことがどうも理解に苦しむ出来事でした。
なぜならば、パウロにはある「こだわり」があったからです。それは、キリストの救いを信じた者が、逆戻りして、キリストの救いから離れるわけがないという「こだわり」です。ガラテヤのクリスチャンたちは、救われる以前には、様々な神々(偶像)の影響を受けていました。ちょうど、私たち日本人が日本社会に根付いている多くの仏式慣習によって影響を受けているのと似ています。しかし、パウロによって「キリストの福音」を知り、キリストを救い主として信じ、これまでの様々な悪しき習慣から解放されて自由にされたガラテヤのクリスチャンたちが、(ユダヤ系クリスチャンたちの影響を受けて)、なんと律法を重んじて救いを求めるようになってしまったことを(パウロは)嘆いているわけです。
パウロのこの「こだわり」は、彼の劇的な救いの経験から来るものです。彼はかつて教会やクリスチャンたちを迫害した人物です。その時のパウロは、救われる前で、御子キリストが神であることがわからなかったからです。彼にとって、教会やクリスチャンたちは(神に反逆する)存在だったんですね。しかし、復活されたキリストが彼の前に現われ、彼を裁くどころか、かえって彼の罪を一方的に赦してくださったのです。この主に赦された「経験」で、パウロは(これまでの生き方を)心から悔い改めてクリスチャンとされ、素晴らしい主の働き人となったのです。そのようなパウロにとり、主の救いを信じてクリスチャンとされた者が、逆戻りして、律法を重んじて救いを求めようとすることが理解できなかったのです。
しかし、みなさん、主を信じて(しっかり)救われている者ならば、逆戻りして、主から離れることは絶対にありません。主の12弟子たちのことを振り返ってください。彼らは主から召命をいただいて救われていた人物たちでしたが、十字架を前にして主を裏切りました。しかし、復活のキリストが現われ、十字架の傷を示して罪の赦しを宣言し、弟子たちが立ち直れるよう励ましました。弟子たちは「主から赦されている」ことに気づかされ、しっかりとした信仰=救いの確信に至ったのです。そんな弟子たちは、そののち、信仰が逆戻りすることはありませんでした。
あなたの信仰はいかがですか。しっかり主の救いに与(あず)かっていますか?しっかり救われるためには、、、しっかり悔い改め、主の十字架で(すでに)赦されている経験が大切なのです。しっかり救われているならば、あなたは神のものです。どんなことがあっても、キリストからは離れません。あなたは神に知られ、見出されたものだからです。