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2018 夏の東北旅

2018.08.20 22:58


今年はバイクを貰ったのもあって、事ある毎にうろうろしていましたが、

今夏はとうとう昔に恒例だった無銭旅へと出てしまいました。

8/10出発だったけれど、天気図を見ながら太平洋側から行こうか、日本海側から行こうか思案し、信越が安定していたので松本経由で日本海ルートに。


予想通りの好天で初日でゆでダコ状態になりつつ松本着。

5月に訪れたのもあり、慣れたもので日中は涼しい草原で昼寝をし、夕刻を待つ。

「夜のマイム」と言われる事が多い自分は、街灯や街の灯り、人の流れで位置を決め、場所替えをせず、街の終わりを見届けるのが自分のスタイル。

そして自分を見る人はいろんな事を教えてくれるのです。

2度目の松本もやはり素敵な街でした。

受け入れて貰えたような気がします。


深夜出発して長野を経由、妙高市にて野宿、星空を見ていて気がついた時にはゆでダコからたこ焼きへと変化。肌の色で「この土地の人じゃ無いでしょ」と言われるレベルへ。。。


そして初新潟市。

予想以上に都市で少し面食らうが、地方出身の嗅覚で下町の銭湯を発見、そしておばあさんに捕まる。。。

自分が九州出身と言うと地震繋がりで中越地震は大変だった、との話になり、記憶の薄れは早いものだと自身に言い聞かせる。

リサーチの為に市内をうろついていると浴衣姿が多数、、、偶然にも花火大会だったようだ。

日没が近付くにつれて、溢れるような人混みになった。

嫌な予感は的中、大きな人の輪が出来てしまいショウ的なものをやらざるを得ない状況に。

なぜ嫌な予感かと言うと、少人数の方が一人一人と向き合えてお互いに会話のように分かり合えるから、

大勢になると小さい反応が出難くなり、大衆迎合に陥りやすくなる、、、まあ、自分も問題ありとは思うけれど。

その土地の生々しいところに触れたいのに、与えられた時間は刻々と過ぎていく。

深夜までやるが余韻は収まらず、またの機会を信じて街を出ようとした時、おばあさんが近付いてきて言い放った。

「この国の平和を守ってくれ、頼んだよ」

俺に何が出来るかな、、、宿題を貰ってしまった。


山形周辺の雨が一休止している事を確認し、いよいよ東北路へ、目前で村上市にて野宿。なぜかカマキリがいっぱい居た。。

日本海沿いに北上、涼しいなぁと思っていたら沢山の海人がいる。

おじいさんと、おとうさんと、ぼうずと、ぼうずと、おかあさん。おじいさんが1番動いていた。人間、歳は関係ないな、と思った。


山形に入る前に友人に、帰省してたらメシでもどう?、と連絡したら拒否られる。つれないのぅ。

そして事前に連絡取っていた友人ファミリーと合流。

至れり尽くせりのお迎えで申し訳ないぐらい。人の歴史を知る事は何よりも有意義なこと、日々みんな歴史を積み重ね、そして受け継がれていくのだ。

友人宅にて、記念すべき一泊目を過ごす。


そして北上、秋田へ。駅前に到着。

なんとも言えないが気が乗らない、疲れて居たのかも知れない。天気も崩れかけているのもあったが。。

こども、大人、若者、じいさん、ばあさん、

世代の幅は広い方が心も広くなると思っています。


秋田はちょっと違った、タイミングかも知れない。嫌な予感がして少し考える。

街を離れるとバイパスがあって沿線に中央資本の街が栄えていた。

すでに夕日が沈もうとしていた。

一路、青森を目指す。


北の道は真っ暗で、本当に人の気配を感じない。

この道は青森に繋がってるのか、とか思いながら、時折ぽつぽつするのを感じる度に、人気が無いのを心細く思った。夏でもそう思うのだ、冬はさぞかし寒さが身に染みるのだろう。

だんだんと頭もおかしくなりつつあった時にふと気がついた。

道路を運転中、何気に白線やキャッツアイ?(蓄光で夜に光る側道の凸凹)があるのだが、新潟辺りから赤白のポールが立ち並んでいて、なんだか鬱陶しく思っていた。

それが秋田から青森の県境になると空中にぶら下がっている。。頭上3〜4mぐらいのところに。。。

積雪で道が隠れてしまうのだ。


ほうほう、と思いながら青森着、23時前ぐらい。時折、突発的な雨が降っていた。人足もほぼ無い。帰省中の若者ぐらいだ。

駅前で地図でも見ようか、と思っていたら声を掛けられる。

北の地は宗教が盛んなようだ。。。資料をほぼ全部朗読し、日付は変わった。人と話す時は自身の言葉でお願いしたい。


時既に遅し、と思いつつも街を歩くと街は縦に長かった。

青森駅から真っ直ぐに続く道は2km弱はあるだろうか、アーケードを抜けると繁華街となり若者たちで賑わっていた。どうも北の地の特徴らしい。秋田は完全に空洞化していたが青森はまだ生きていた。しかし時間帯的に若者の渇きしか残っていない様子。

雨もあり、温泉宿を探すことにする。青森にて2泊目となる。


今回、観光の要素はほぼ無い中で唯一、十和田湖に行きたいと思っていた。

都内の知人が宮城出身で、水場でどっか知らない?、と聞いた時に言っていた場所。

この日も雨が降ったり止んだりを繰り返していたが、そう遠くはなく、脚はすんなりと動いた。

幸い、動き出すとほぼ空は崩れず、奥に入るにつれて人気も薄れていき、静寂が増していく。

途中に小さな道の駅があり、客足もほぼ無かったのだが、店のご婦人2名が会話もなくただぼんやりと半口で階段に並んで座っていた姿に癒される。

しばらく行くと湖面がちらちらと見えてきた。

事前の知識など無く、ただ言われたままに目指した十和田湖はただただ大きく、小さく波打つ様でもあった。

今回は湖西沿岸をしか見ていないが、震災の影響で東岸の観光は衰退し、客船の一部は放置されているとの事。

ただただ美しいこの地に人の手が入ったことが良かったのか何なのかと取り留めもなく思い、ただまた包まれたいと思うこの空気。

今度はいつになるんだろう。


この日は日中の移動だったのだが、思ったよりも人の気配があった。いや、昨晩は気付かなかったのだろう。集落というか、点々と民家がある。街灯も無い道にきっとみんな夜早く朝も早いんだろう。

人は自分の事を野生児と言うけれど、何言う地方の街っ子なのだ。現にすももをもらって皮を剥こうとして、そのままかじるのよ、と言われたぐらいなのだから。

正直、もう旅の目的は果たされた、と思っていた。


人の匂い、寂れた町、自然の恵みと厳しさ、少し感じ取れた様な気がしていたけれど、知らない事はいっぱいあった。

盛岡駅前大通り。この活気、これを探していたんだ、この交わる感。この街のすべてがぎゅっとこの通りに集まっていた。東北には無いんだろう、無くなってしまったんだろう、と勝手に思っていたけれど、ここには本当に自分の欲しいものが揃っていた。水が合う、とは正にこの事。疲れなんて消え去ってしまった。

おじさんが笑い、こどもが泣き、若者がにやにやしている。ご婦人方の貫禄と言うか落ち着きもあって、なんというか、分厚い印象。全体的に体格も大きいイメージで喧嘩も強そうだ。。

一度通り過ぎても道を挟んで振り返ってしばらく見ている人も多い、人懐っこいのかな。

一度離れて随分と見ていた人が一歩二歩とじわりじわり近付いて来る、そして柱の影に隠れながらこっちを見ている、まるでこどもの様に。

あまりに可愛らしくてこちらからも仕掛けてみるとやっと影から出てきたら、

「どっからやってきたの?どっかに行っちゃうの?」

世界に入ってたのは自分だったのかも知れない。

じゃーじゃー麺、また食べにいこう。


仙台までの道中、とうとう大雨に襲われる。

ぼたぼたと打たれて早々に心折れる。しかし休む場所など無く、無心でただ行く。仙台に入ってすぐに3泊目。

いくらか寝たはずなのだがいつまでも眠い。そして雨脚は変わらず追加料金は増すばかり。。

夕方に雨は止み、今しかないと外へ出る。

中心地は大都会だった。人の心は遠かった。

きっと美味しいものも食べたはず、だけどなにか足りないものがある。

街の終わりを待つ、だけどお巡りさんが来た。色白でべっぴんさんだったから街を出ることにした。

途中、寄り道で闇を見る。やはりここは都会なんだ。

脱出後、早々に力尽きる。空を見る事も忘れていた。


またたこ焼きになるかと思ったが、気温は低い。

雨に打たれなかったのが幸いだった。

まっすぐ帰ろうかとも思ったがとりあえずのんびり行くことにした。

Uターンラッシュはとうに過ぎていたが時折渋滞に並ぶ。

脇道に立て看があり、県庁を郡山に、と書いてあったり。実際に福島駅に寄ってみるとさみしい印象。地震の影響もあるのかな。

比較の為に郡山にも寄ってみる、1時間程の距離だろうか、こちらも少し控えめな印象。

東京に近付くほど熱量を感じなくなる。台風のように、ブラックホールの様にいろんなものを吸い込んでしまうのか。

仙台では物足りなかったので、郡山を今回の旅の〆にする事にした。


そして散策、そして昼寝。。

ベンチでくつろぎつつも道行く人々を見る。

ある父子が居た、父は大男で毛深く寡黙で不器用そうである。子は三、四歳くらいで目がくりっと大きく、父とはまるで正反対の人見知りなどしない感じの男の子。おしゃべりではないようだ。

兎に角、可愛らしい。連れて帰りたいぐらいある。

だけど母は居ないようだ、子にも探す素振りはない。ただ何かを食べつつ、都度こぼし、父が怒こる訳でもなくただ黙って拭いたり世話などを焼いている。

横には勉強しているのか、ノートを広げている高校生風のカップル、勿論女子はノートなど上の空である。何度か子を見てはたまらくなったのか、両手で顔を抑えている。そして見て見ぬ振りの男子。

なんという幸福感だろう、この街に留まって良かったと心底思った。

ある人が言う、

「この街を盛り上げてくれてありがとう」

仙台を追い出されたような自分なんぞがそう言われようとは。

すべての人を見送ろうと試みるが、気温13℃、挫折する。

街を離れて星を探す、この夜はたくさん見つけられた。


芸術に乾いていたので、温泉にて身体をほぐして霞ヶ浦沿いのホールにて影絵と音楽を鑑賞する。子どもたちがいっぱい居た。

なんだかこの辺は面白そうなことをやっているようだ。

やはり寄り道が多く、亀有に寄る。。。


4泊10日、1900kmの旅はこれで終わり、次の目的地を目指す道が始まります。

これからも通じ合える道を探して行こうと思います。


追記

盛岡駅前大通は道路を挟んで長々とアーケードが続いていますが、ある一画で途切れています。

大きくなった木の部分だけぽっかりと。

粋だなぁ、素敵だなぁ、と思いこの付近で長居させて貰いました。

いろんなものにエネルギーをもらう、貰ってばかりで恩返ししなきゃ、と思う今日この頃。