新しい楽器と古い楽器(Ryoshiro Sasaki)
旧くから「女房と畳は新しい方が良い」などと申します。私なんかも、女房と連れ添ってもうかれこれ18年ほどになりますが、やはり女房も来たばかりの頃は今とは趣が違ったものですな。
あの頃は、私が縁側で釣竿の手入れなんてしておりますと、「あなた、お昼はもう召し上がりましたの?」なんてこえをかけてくれまして、「ああ、おまえ、食べたよ」なんて答えますと、「まあ。それじゃあ私はちょっと買い物に行ってまいりますので、その後一緒に映画なんていかがかしら」などと話したもんです。
それが今時分になりますと、「あんた、お昼はどこかで食べてきてちょうだい」なんて、素っ気ないもんであります。
やはり、「女房と畳は新しい方が良い」というのは、なかなかうまいこと言ったもんで。
一方、外国なんかに行きますと、女の人に対する考え方も少々違ってくるようですな。ヨーロッパなんかに行きますと、「女とワインは古い方が良い」などというようで。これは、ふらんすの諺と聞いておりますが、なかなかお国柄というものが出ております。ふらんすはワインの国ですから、女性にもワインにも一言あるようですな。
私どもは、酒と言ったらこれは日本酒ばかりいただきますが、たまにはワインなんかもいただきます。やはり古いワインというものは趣がありますな。なんというか、この、角が取れたと申しますが、角が取れていながら味と香りに深みが出てまいります。それというのも、タンニンというものが落ちてきて、たいへんいただきやすいようになってくるからでありますな。私は詳しいことはわかりませんが、古いワインというものは、新しいものとは違ったものがありますな。
女性についても、私は詳しいことはわかりませんが、やはり年増の女性というのは色気があるもんで。若い時分は女性なんていうものは若い方が良いと思っておりました。20代の小股が切れ上がった女性なんかに魅力を感じておりましたが、この齢になってまいりますと、どうも若い女性では物足りないと思う節もあります。年増の女性というものも、これはこれでオツなもんですな。まあもっとも、江戸の時代には数えの二十歳で年増とよばれていたようで。
女性や畳やワインだけが新しい古いで良し悪しを語るものでもないもんで、こと楽器なんかにつきましても、古いものよりも新しいものを、もしくは新しいものよりも古いものを、などとおっしゃる方もいるようで。これも、人それぞれにおもうところがありますな。新しい楽器には、新しさの良いところがあるもので、また、古い楽器には古い良さがあるもんですな。
新しい楽器というものは、今の音楽を奏でるには最適でして、中には新しい楽器でなければ演奏が困難という楽曲もあります。例えば、1980年代からエレキギターにつくようになりました、フロイドローズというトレモロユニットがございます。これは、ギターの弦の両端をネジでかしめて固定してしまうことにより、調弦の狂いを最小限に抑えつつ、ダイナミックなトレモロ効果、専門用語で申しますとアーミングというものを可能にしたもんですな。代表的な音楽では、ヴァンヘイレン(ベ平連ではありませんよ)なんかがこのトレモロユニットを使いまして、やかましくて過激な音楽をやっております。ヴァンヘイレンの音楽は、このフロイドローズなくしては、ほぼ演奏不可能です。
新しい楽器のもう一つの良さというものに、安心感というものがあります。古い楽器は、どうしてもその古さから壊れる箇所が増えてまいります。木部の劣化や金属疲労、サビなんかの影響で楽器に狂いが生じてまいります。どうしても、それは古い楽器の宿命でありますな。電気楽器なんかになってまいりますと、ここに電気パーツの劣化というものも加わってまいります。電子部品はどうしても経年劣化が避けられないもので、木部や金属の劣化に比べても早く、パーツそのものの修理ということができません。致し方なく、交換ということになりますな。この辺りは、アコースティック楽器の良いところで、古くはストラディバリ
なんかはもう既に数百年の月日が流れておりますが、未だに木部の小さな修理だけで十分問題なく使えている個体も多くあるそうですな。
その一方で、古い楽器の良さというものもあります。
古い楽器というものは、先ほど申し上げましたように、壊れやすいという難点もありますが、その一方で古い楽器にしか出せない音というものがあります。どうしても今日の楽器ではこういう音が出ない、ということはしばしばありますな。
私なんかは、商売柄古い楽器も扱ってまいります。例えば、1830年代に作られたフォルテピアノというピアノのご先祖様のような楽器も度々拝見いたします。
先日なぞ、神田は一ッ橋の如水会館というところで行われました「一橋大学開放講座 ピアノの歴史〜技術革新が拓いた魅惑の世界〜」というのに行ってまいりました。
一ッ橋という場所はどうも、慣れないもんですな。お隣町の神田は神保町には月に二度三度参りますが、これは、古書の街ですな。古い本なんかは、なんでも揃っております。私どもも、古書ではありませんが古賀書店というところにしばしばまいります。楽譜、楽器、音楽についての本、世に言う音楽書ですな。これが盛んに置いてあります。店のオヤジなんかも、決して愛想の良い人ではありませんが、これが商売柄たいそう音楽に造詣が深い方のようで、いつも新しく入ってきた音楽書の頁をめくっております。値付けをしているのでしょう。これが、どれも適切な値付けがされている。中には魅力的な価格のものもあります。どうも、見事なもんです。音楽が好きな方は、一度お立ち寄りください。音楽書の他にも、古雑誌やら、画集、写真集をあつかっている店もありまして、私は、その店先を見て回るのがどうも好きです。
どうも、話がはずれてしましました。
開放講座でした。その、開放講座で19世紀のフォルテピアノと、20世紀初頭のモダンピアノの弾き比べを聴いてまいりました。特に、モーツァルトのご存命の頃に使われていた、アントン・ヴァルターというフォルテピアノのレプリカを聴いたのですが、小倉貴久子さんというピアニストが弾いたモーツァルトの「ロンド ニ長調」を聴いたときに、私は驚いてしまいましたな。ピアノ曲でありながら、書かれた音符がそれぞれ弦楽4重奏の、ときには室内楽オーケストラの各パートを思わせるように、役割を持ってきこえるのです。右手で奏でられるある旋律は、あたかもヴァイオリンのように、それに対する左手はチェロとヴィオラのアンサンブルで奏でられているように聞こえるのですな。モーツァルトのロンドは現在のピアノで演奏されたものは幾度か聴いてまいりましたが、あのようにはっきりとそれぞれのパートが分かれて、そして幾重かに重なって聞こえてきたことはほとんどありませんでした。一曲のピアノ曲が、とても一台のピアノで演奏されているようには聞こえない。いや、冷静になって聴くと、やはりピアノ一台で弾いているんですが、こちらは、もはや冷静ではありませんから、そのようにはどうも聞こえてこない。これは、新鮮な体験でした。
また、アントン・ヴァルターのレプリカの音色も独特のものでしたな。低音部は今のピアノと違い、まるでチェンバロかのようにジャリジャリしたところを残しながらも、硬さがなく、木が十分に鳴っているかのように聞こえました。中音域の、柔らかさ、ふくよかさは、現代のピアノにはない優しさというものを備えておりました。高音部の瑞々しさは、これまた現在私たちが想起するピアノの音色とも少し趣が違っておりまして、今のピアノの透き通っていて、はっきりとした発声ではなく、どこかコロコロとしていながら、甘く、それでいて儚い音色でした。
これは、古い楽器ならではの音楽表現を聴いた気が致しました。
開放講座の休憩時間なんかになりますと、講座を聞きに来た皆さんが、舞台の上の楽器に集まってまいります。どうも、普段あんなに至近距離で拝めるような楽器ではありませんから、物珍しさも手伝って、舞台は黒山の人だかりで大にぎわい。
(※編集注:お顔が写っていたので一部加工しています。)
「さー、みなさんお立会い、こちらは1845年製の跳ね上げ式アクションのヨハン・バプティスト・シュトライヒャーだ」
「こちらは、1923年製のベヒシュタインだよ。東京商科大学のお宝だ」
などという雰囲気であります。
私も、その人だかりに混ざり、パチリパチリと写真を撮ってまいりました。
まあ、その解放講座では150年以上も前の楽器を聴いてきたわけですが、古い楽器というのは、そこまで古くなくてもなかなか趣があるもので、私も個人的に幾つか手元に置いて、愛でております。
1950年代のギブソンのジャズギターやら、1940年代のレイノルズというアメリカのトランペットが最近までは、私の持っている最も古い楽器の部類でしたが、先月1920年代の楽器を手に入れまして。
ライオン・アンド・ヒーリーという今はハープを作っている会社があります。グランドハープの世界では最高級品を作るブランドです。1860年代に設立され、その経営者のジョージ・ワッシュバーン・リオンとパトリック・J・ヒーリーの名を取ってライオン・アンド・ヒーリーとなったんでありますな。
その、アメリカはシカゴのライオン・アンド・ヒーリーの作ったブランド、ワッシュバーンのウクレレをひとつ手に入れてまいりました。
これが、1920年代という時代はハワイアン音楽が盛んに演奏されておりまして、ハワイの演奏家だけではなくて、アメリカ本土でも数多くのウクレレプレーヤーが大人気で、一斉を風靡しておりました。その時代に作られたウクレレですな。
現在とは違い、木材なども、良い木材が潤沢に手に入った時代でしたから、このウクレレにもカーリーマホガニーという、杢が入ったマホガニーが贅沢に使われております。そのため、地味な外装でありながら、とても見事な仕上がりになっております。私などは、この楽器を眺めているだけで、遥か100年ほど前に想いを馳せることができます。
もうひとつ、この楽器を特別にしているものは、この楽器がかつては有名なハワイアン楽器のコレクターの所蔵だったものだということですな。Tony Kuこと内崎以佐美氏のコレクションからの一台です。彼のコレクションは、図録が出ているので、その全てを写真で見ることができますが、その中の一台を手に入れまして、時折出してきて、弾いております。現在でも十分に演奏できる状態です。
古い楽器というのは、この楽器のように、それぞれにオリジナルオーナーから続く、今までどのような人たちにどのように扱われてきたかの遍歴が詰まっております。いわば、楽器の履歴書ですな。あるギターは、ネック後ろの高音弦側の塗装が大きく剥げております。これは、前のオーナーが、薬指に結婚指輪をはめていたのでしょう。同じく、ボリュームノブの周りの塗装も剥がれております。これは、右手の小指にも指輪をはめており、ボリュームノブで始終音量調整をされていたということを表しております。おそらく、ジャズかカントリーのバンドで、リードギターとリズムギターを一人で兼任していたのでしょう。相当良く弾き込まれていたようで、1弦側の指板がえぐれている箇所もあります。
あるピアノは、鍵盤に焦げた跡があります。おそらく、框に灰皿を置いて、くわえタバコで演奏していた時に灰を落としたのでしょう。くわえタバコでピアノを演奏するとは、なんともけしからんと思う方もいらっしゃるでしょうが、これが案外といらっしゃるようで。ビルエバンスやら、ファッツウォーラーなどのジャズのピアニストがくわえタバコで弾いております写真をよく見かけますが、アルゲリッチがくわえタバコでスタインウェイを弾いている写真もどこかで見たことがあります。
古い楽器と出会うと、それがどのように扱われてきたかが伺い知れるのも、また趣がありまして、そのような、楽器のこれまでの歴史に想いを馳せることができるのも、古い楽器の魅力ですな。
新しいものにも、古いものにもそれぞれに魅力があります。本番の演奏で使う場合は、その信頼性の面からいっても、新しい楽器の方が安心できますな。また、楽器店から届いた新品の楽器というものも、どうも心持ちが熱くなってきて、それではひとつこの楽器で世界を変えてやろう、という気分にさせられますし、一方で古い楽器というのは、それぞれが持つ歴史と文化がありますな。それはそれで、オツなもんです。
楽器というものも、生身の人間と同じように新しい、古いでそれぞれ趣というものがありますなぁ。
こんなことを、考えて悦に入っておりましたら、女房から「そんなことは今はどうでも良いから、再来週のライブに向けて練習をしたらいかがですか」などといわれてしまいました。
やはり、長い付き合いになってまいりますと、適切なアドバイスをいただけるもんです。うちの女房ばかりは、これは古い方がよろしいのかもしれません。
Ryoshiro Sasaki