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日章丸事件

2023.11.22 23:00

日章丸事件


イギリスの影響下にあった
イランは第二次世界大戦後独立していたものの、
    当時世界最大と推定されていたその石油資源は
    イギリス資本たる石油メジャー「アングロ・イラニアン社」
        (BPの前身)の管理下に置かれ、
イラン国民はもとより政府にも

   その利益がほとんど
            分配されない状況にあった。


その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、
     アングロ・イラニアン社の資産を接収する。


反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明する。


事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させた。


これらはアーバーダーン危機と呼ばれ、戦争が近づきつつある情勢となっていた。




一方、日本は第二次世界大戦後、
   イギリスやアメリカなどの連合国による占領を受け、
   占領終了後も両国と同盟関係にあるために
   独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、
   それが経済発展の足かせとなっていた。


イラン国民の貧窮と日本の経済発展の足かせを憂慮した
     出光興産社長の出光佐三は、
     イランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、
     極秘裏に日章丸
    (タンカー・同名の船としては二代目)を派遣することを決意。


イギリスとの衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、
      第三国経由でイランに交渉者として
      専務の出光計助を1952年に極秘派遣。


モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行う。



出光佐三 と 宗像大社

明治十八年

旧 宗像郡赤間村に誕生


真剣勝負と木剣試合

(出典:『我が六十年間』二巻 592~593頁)

私がよく言ってきかせたことがある。

君らの仕事との仕事を、
   剣道の試合にたとえてみれば、
   若い店員は袋竹刀(ふくろしない)の勝負だ。


いくら叩かれたって、
   ああ叩かれた、
   くらいで済む。


その次の連中は木剣の試合くらいで、
    支店長あたりでも、
    木剣で叩かれれば、
    血は出るけれども、

    命までもとられるようなことはない。


しかし
    私は真剣勝負だ。


しくじりをやれば命をとられ
        店はつぶれる。


それだから いつも真剣を抜いてやっておる私と、
      仕事の立場上真剣の抜けない支店長、
      支配人あたりが会得するものとの間には、
      どうしても越すことのできない壁がある。


これはいかんともいたしかたがない、
   私以外には味わえないんだから、
   それはさよう心得ていよと言って、
   よく教育をしたもんだ。


              2023/11/20.  19:44:08


植民地 化しても 尚も その地に 残さない

なんと 愚劣な お国柄 💎  楼

当時の ヨーロッパ諸国は 

こぞって 右へ倣え 




雑学

ヘンリー・アイリング


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