ボージャングルを待ちながら En attendant Bojangles
「ゴドーを待ちながら」というサミュエル・ベケットの作品を大学のころ授業で読んで、内容はほとんど印象に残っていないのだけど、この題名がとても気に入っていました。たぶん私が「待つ」ということが多い性格で(そしてこの性質が引き起こした人生を思い)、なんとなくそれがフィーチャーされた満足感があったせいか、その後もこの題名には好印象を持ち続けています。フランス語で”En attendant Godot”というのですが、この「アナタンダン」という音の感じがいいですね。そして、英語で言う「~ing」なので、待ちながら何をしているのかという主文が無い、そういう扱いもいいなと思うんです。
それで、図書館で見たFIGAROの書評で、この新しく出たらしいフランスの小説「ボージャングルを待ちながら」を知ったとき、たぶんこの原語はやはり「En attendant(アナタンダン)」だろうということが想像され、ボージャングルが何かは全くわからなかったけど、気をひかれました。
フランス語というと人材が少ないせいか、まず翻訳でいろいろブロックがかかってしまうことが多かったりするのですが、この翻訳はとても滑らかにそのハンディをクリアしてくれていると感じました。
この本の中の”ぼく”のパパは小説を書いていて、『しかし編集者からの返事はいつも同じだった。<うまく書けていて面白いですが、つかみどころがありません> こうして断られるパパをなぐさめようと、ママは言った。 「つかめる取っ手がある本なんて見たことある?ありえない!」』。読み始めて、ここらへんで私の心はしっかりと引き寄せられていきました。
一緒に住んでいる《マドモワゼル・ツケタシ》という大きなツルがいいなと思うし、家族3人の価値観が好きです。ま、言ってみれば、「クレイジー」で、明るさと笑いに満ちていてこんな風に生きたいと、今の私が自分の生活の中で抱えているいくばくかの罪悪感も否定してもらえるような気持ちよさもありました。(ちょっと自慢になってしまいますが、我が家も規模は小さいですがこんなところが少しはあります。)著者はスペインでこの小説を書いたそうですが、行ったことないけど私がもつスペインの明るい太陽の光、くったくのなさと情熱を感じます。
実際「クレイジー」は悲劇に変わっていくのだけど、その大きな悲劇さえも、悲劇の解決でも、自己中心的な大団円でもない、もっと大きな世界観を持った広がりのある形で昇華されていく展開となり、この小説のもつキャラクターこその説得力があるエンディングになったと、そういう風に思いました。
普通の明朝体とゴシック太字で書かれている部分があって、この違いについては、何の説明もなく、読者は読みながらそれに薄々気がつくしくみになっていて、そして読み終わった後に、たぶん多くの人がまた最初から読み返したくなるのではないかと思います。そういう構造的な魅力も備わっていて、そう長くもない、どちらかといえば小品の部類に入るものかもしれないけど、小さな作品とは言い難い規模感を持っている。
それは、お話の非現実性のせいかもしれない。でもその非現実性、つまりこの小説の中で語られるウソは、欲のないウソというか、人をだまして自分が得するための嘘ではなく、そうだったらいいなという、イマジネーションの広がりのために発生してしまった嘘と言えるのではないだろうか。これ以上やったら嘘になってしまうというそのラインに立ったとき、本当らしさを守るより、そのイメージをより活性化して広げていくほうを優先するという、当然と言えば当然の選択を行った結果なのです。
モノローグの形式をとっていながら、自己を語るのではない、スコンとした風通しがあって、それはやはりこの非現実性のせいなのか、限られた登場人物しか出てきていないのだけど、内面ではなく視線が外を向いている大らかさが印象的。
中盤でのママに対するパパとぼくの対応にしても、まったく荒唐無稽なようでいて、今たぶん多くの人が体験している病院に入っている家族に対して本当はしたいことだったりするのではないかと思ったりもしました。
そう、この本の中では「ウソをついた」とか一応コメントしているけど、その中身は、ウソを言うことをも恐れない正直さ(だから、元気じゃないのに「元気、元気。」というウソとは違います)というか、そんな明るい思い切りのよい元気を発信している小説だと思います。
今日読み終わって、この家族が踊るときにかける曲、ニーナ・シモンの「ミスター・ボージャングル」をYouTubeで聴いてみました。読みながら想像したものと驚くほど一致しているうっとりさせてくれる素敵な曲でした。
ニーナ・シモン、名前は聞いたことあるけど、魅力的な歌手ですね、ピアノも弾くのでしょうか。これを書きながら「Dynamic Divas of Jazz」というアルバムを聴いていましたが、後ろのほうのピアノの扱いもよかったです。