鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
因習村というワードが生まれたのはいつ頃だろうかと調べてみたら、どうやら2014年時点で存在は確認され、2021年付近で広まったらしい。
言葉は分かりやすくて使い勝手が良くて簡単な方が特にインターネットではよかったりするのだけれども、久々にこういうのを見ると「あー、邪魔だなこの言葉」って思いが発生する。良くないよね。でも本当に邪魔だし良い感じに滅ぼせる方法ってないのかな。
そんなわけで鬼太郎誕生。キャッチコピーが「鬼太郎の父たちの物語」であることから分かるように、別に鬼太郎が誕生する必要性は特にない。でもこの映画は「ゲゲゲの鬼太郎」なので鬼太郎が誕生しないと困るんですよ。
実際、鬼太郎はそんなに関係なく鬼太郎の親父が活躍する話なのでそこら辺はあしからず。鬼太郎がそんなに関係ないってことはねこ娘もそんなに関係ないってことです。
仕事先のお得意さん一族の長が死んだという一報から、成り上がるために本家に突撃した水木青年が出くわす、なにやら怪しげな村と白髪の男の正体とは。といった話なんだけど、シナリオ面がすごいシステマチックというか、「こういう展開にしたい」から「こういうキャラを配置しました」というのが見えるというか、私を東京に連れて行ってと願う田舎娘が出てきたあたりでこの子の結末は察せられるし、鬼太郎の親父が嫁を探しに来たというあたりで嫁がどういう扱いを受けてるかもまあ察せられるじゃないですか。察せられる形をきちんと察した通りに使い潰してくれるので、そういうイヤな話部分は安心して見れる。
個人的には原作鬼太郎にあった要素をちゃんとオマージュしつつ妖怪をあるものとして扱い、人間のエゴによって発生したしぼりかすによって陰惨な結末をむかえる流れはとても綺麗だったと思う。
そこで選んだ妖怪が狂骨なのもいいですね。狂骨ってなに? と言われると井戸から現れる怨みをもった存在です。それって怨霊じゃねえの? って思います? 俺も思うんすけど、初出が鳥山石燕の妖怪画集だし、どうやら妖怪っぽいんすよね。じゃあ妖怪か……。
ところで、どうして狂骨はあんなに串刺ししたがってたんでしょうね。と思ってたら、どうやらミシャクジ様を祀る神事として蛙やウサギを串刺しにする儀式があるらしいというのを見かけて、それが合ってるかどうかはよく分からないけど、だとすると最近よくミシャクジの話を聞くなあ。なんだっけ。あれでも思ったんだ。ザリチュアル。海外作品で?
まあぶっちゃけると素直ではあるけれども、素直なまでの話であるのは確かで、習わしで縛られた村のそれをそのまま書いている部分が強いので(というか、そのままなので「なぜなに」に期待はしない方がいい)村を支配してる一族の身内いざこざと殺人ホラー(お化けも出るよ)系が好きなら見ても損はない。それぐらい。