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七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

206. 伊集院静さん死去 - 2023.11.25

2023.11.25 04:54

 

作家の伊集院静さんが亡くなったと今朝の新聞で知りました。

わたしは伊集院静さんの本は、残念ながら一冊も読んだことは無いです。

ですが 15年くらい前に出張したときに読んだ、飛行機の機内誌の伊集院静さんの巻頭エッセーを、未だに忘れられません。

 

クレジットカードの会員向けの雑誌でも、紀行文を連載されていました。

土地やそこに住む人へのおだやかなまなざしがあって、何か大切なことを見つけようとされている。

その大切なことを、直接には説明しないけれど、その輪郭をなぞるような感じです。

その雑誌の連載を読むと、美しい写真もあって、旅に出たいなという気持ちになります。

そしてそのたびに、その 15年前の機内誌のエッセーを思い出していました。

 

伊集院静さんの機内誌エッセーは、だいたい次のような内容でした。手元に無くて、記憶だけですので、細かいところは間違っているかもしれません。

 

ーー

若い頃、はじめてスペインを旅した。

Xという街で、バスで隣り合わせた自分と同じ年頃の女性と知り合った。

カフェでお互いに住所を交換して、明日の同じ時間に待ち合わせした。

そして彼女にY美術館を案内してもらうのだ。

翌日、待ったが彼女は来ない。

知り合ったばかりの東洋人の約束のことは忘れてしまったのか。

気が変わったのか。

独りで美術館にいく。

どうして彼女に心変わりがあったのだろうと思いつつ、こちらに会おうとしない人に、まさか異国の他人が、こちらから訪ねることもできない。

日本に帰国してしばらくしたら、エアメール葉書が届いた。

なんとあの彼女だった。

あの約束の日の朝、同居している祖母が急病になって、会いに行けなかったことを詫びていた。

あのとき何事もなく彼女が待ち合わせ場所にきていたら、自分の人生は変わっていたかもしれない。

ーー

 

2ページくらいの短文で、本当に上記のようなサラッとした感じでした。

場所はバルセロナだった気がしますが、ちょっと自信が無いです。

 

女性についての描写がほとんど無くて、自分と同じくらいの年という程度と思います。

ですが、また会うことにして、相手のかたからも美術館を案内したいといってもらえるのだから、お互いに良い初対面の印象だったのでしょう。

 

どうしてこれだけの短文が、15年以上たっても忘れられないのか不思議でした。

それでいて、次は小説を読んでみよう、という感じにもならないのです。

 

今回いくつかの訃報のネット記事のなかで

「別離は切ないが、つかの間の記憶でも、人の胸の中に誰かが消えずにいることは素晴らしいものだ」

という伊集院静さんの言葉の紹介がありました。

 

偶然の出会いで、カフェでお茶した女性の記憶も、消すことがないこと。

人にやさしくしたいということや、お互いにわかりあいたいという気持ちを大切にしたい。

それが生きるよろこびでもあると、わたしは共感しているのかもしれません。

  

 

(写真...今朝の東京でのお散歩)