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ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~飛騨に秋の訪れを告げる~「秋の高山祭(八幡祭)の始まり」

2018.10.03 15:55

このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風21号並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


高山祭

春の高山祭(山王祭)・秋の高山祭(八幡祭)

春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。

【壮観】平成29年4月29日・30日に特別開催されたユネスコ無形文化遺産登録記念
「高山祭屋台の総曳揃え」。来年は是非、改元記念行事として再び開催してもらいたいものです(外野席)

秋の高山祭(宵祭)


祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。


高山祭には動く陽明門とも称される「祭屋台」が春には12台、秋には11台曳き揃えられ、その豪華絢爛な姿を披露してくれます。また、総勢数百名におよぶ祭行列は、闘鶏楽や裃姿の警固など伝統の衣装を身にまとい、お囃子や雅楽、獅子舞に先導され祭地域をまわります。夜になると各屋台はそれぞれ100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。


秋の高山祭(八幡祭)とは

毎年10月9日・10日開催

布袋台のからくり

高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である櫻山八幡宮の例祭です。毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側に11台の屋台が登場。屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。


伝統を受け継ぐ祭行事の見どころ

御神幸(祭行列)


闘鶏楽(とうけいらく)、裃姿(かみしもすがた)の警固など伝統の衣装に身をつつんだ総勢数百名の大行列が、お囃子や雅楽などを披露しながら町を巡ります。9日は午後に八幡宮を出発し町を巡ります。10日は午前に八幡宮を出発し、お旅所を経由して八幡宮へ帰っていきます。

9日

午後1時頃に八幡宮表参道を出発。 

10日

午前8時30分頃に八幡宮表参道を出発、午後1時30分頃にお旅所を出発。


屋台曳き揃え

秋の空の下、国の重要有形民俗文化財である八幡祭の屋台11台が曳き揃えられます。9日・10日とも布袋台は八幡宮境内に、他の屋台は表参道に登場。屋台彫刻や見送幕、構造の細部まで鑑賞できる機会とあって、多くの人々が屋台を囲み感嘆の声をあげています。

9日

午前9時頃から午後4時頃まで(表参道)

10日

午前9時頃から正午頃まで(表参道)

正午頃から午後4時頃まで(表参道、各屋台蔵前、江名子川沿い)


からくり奉納

八幡宮境内では9日・10日とも1日2回、布袋台によるからくり奉納が披露されます。2体の唐子が棒を渡って布袋様に飛び移り、布袋様が軍配を一振りする巧妙なからくりが見どころ。綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されます。

9日

八幡宮境内にて、正午頃と午後2時頃から。

10日

八幡宮境内にて、午前11時頃と午後1時頃から。


宵祭

高山祭のもう一つの魅力を教えてくれるのが、9日の夕方から始まる宵祭。それぞれ100個もの提灯を灯した屋台が町を巡り、伝統の曳き別れ歌「高い山」を歌いながら、各屋台蔵へと帰っていきます。ゆらゆら揺れる灯りが闇夜に映え、秋の情感をかきたててくれます。

9日

午後6時頃から午後9時頃まで。

八幡宮表参道

下一之町、安川通り、下二之町、下三之町、安川通り、下一之町へ。



櫻山八幡宮

仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。

征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。

武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。

その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。

大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。

元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)。

飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。

神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。

戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増。  


ご案内とお願い

雨天の場合

祭 開催の有無は、当日の天気の状況を見て祭の主催者である年行司が判断します。

判断の結果は確定次第、当ホームページでお知らせします。

からくり奉納・御神幸・屋台曳き揃え・屋台曳き廻し・宵祭は中止となります。また、中止となった日程の順延はありません。

雨天の場合でも天候によっては、各屋台が屋台蔵に入った状態をご覧いただけることがあります。


昨年(2017年10月)開催案内の「秋の高山祭」です。ご参照ください。

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3063756


古い町並み(上三之町)


追憶~上三之町

春は桜、秋は全山見事に紅葉し、その中を屋台とからくりが舞踊る恒例の高山祭。

山車と演者と見物客が一体となって盛り上がるあの、賑わいと興奮と喧騒は嘘のように終わりを告げると…人々は一体何処へかき消えたのか〜あれは、夢か現か?ひどく虚無感に襲われる。

一風呂浴びた後、ドテラを着込んで温泉宿を抜け出しそぞろ歩く、石畳を踏む下駄音がカラ~ンコロ~ンと古い町の軒先に響いた。

高山の夜更けは特別に底冷えがするのである。居酒屋の赤ちょうちんが心なしか揺れて見える。

男たるもの、いつの間にか、縄のれんを掻き分け、カウンター客に収まる仕掛けに他愛もない。

定番は朴葉味噌と一夜漬けを肴にチビチビと杯を重ね、仕上げはご存知高山ラーメンだ。

秋の夜長は時間がゆっくりと漆黒の闇に溶けていく・・・ 勘定済ませると、カウンター越しの女将にだったか…?隣の酔客にだったか…

別れ際に掛けた言葉は「またあわまいか・・・」だった。 


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力

高山市役所〒506-8555 岐阜県高山市花岡町2丁目18番地 電話:0577-32-3333

文化庁 〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号 03(5253)4111


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