左肩が痛いと言います。
左肩が凝っていたい。
一見すると大したことない症状だと思いますよね。
しかし、人によってはそれがものすご~く苦痛に感じます。
その苦痛を取り除く必要がありますが、単純に取り除いただけでは面白くありません。
どうやって取り除くのか?
まず痛みの場所を聞きます。
ちゃんと聞いてあげる。
どんなふうに痛いのか?
動かして痛いのか、動かさなくても痛いのか?
身体を観察してみますと胸、脇、上腕、前腕、足、背中、側頸部、咽にも部分的に緊張があります。
それを見つけて、そこを押さえてみると圧痛がある。
でも、それを確認してもらっている最中にも「肩が痛いんです」と言います。
余程気になるんでしょうね。
肩が犯人だと決めつけている。
これって思考停止状態です。
でも胸も緊張して痛みがありますよ。
前頚部も痛い、足も痛いですよ。
って話しをしてみると、ポカンとした顏をしています。
その間も肩が痛いって訴えるんですよね。
「肩ばかりを気にしていますが、肩は犯人じゃないそうです」
「もし犯人が胸だったらどうですか?」
胸を意識してあげなければ駄目ですよね。
しかし、あなたが肩ばかりを意識するので、犯人が肩だと決めつけている訳です。
そりゃ~肩は怒りますよね~。
私は犯人じゃない!!
胸かもしれんし、腕かもしれん、咽かもしれんのですよ~。
でも肩が痛い!!
と言い張ります。
もっと胸にも腕にも咽にも足にも注意をしてあげてください。
今からそれじゃ~胸の一部(圧痛のあった場所)を撫でて聞いてあげてください。
「あんた犯人なん?」
あんたが犯人の証拠に押さえると痛いやん!!
って証拠を脳に送って上げる訳です。
実は犯人でした。
と自供しはじめます。
当然肩の痛みはなくなってきます。
そうなんです。
痛み症状が出ている場所が犯人だと決めつけているうちは良くなりません。
もちろん肩はパンパンにはってましたよ。
流行りの筋膜剥がしとか色んな手技をやると痛みが楽になるかもわかりません。
しかし、これって犯人じゃない人に自供させ、良い待遇にしてあげるから白状しなさいと司法取引しているようなもんです。
肩にとっては汚名をかぶったまま生きることになります。
当然ですが、肩は一生恨みます。
だからまた痛くなってくる。
やってないことをやったと言わされる訳ですよ。
また暴れ出します。
暴れるのは肩じゃなく腰かもわかりません。
肩は無罪だ~と腰が訴えるかもわかりませんよ。
それでいいんですか?
それをやったらあかんでしょ?
ってことです。
ちゃんと聞き取り調査をして、言い分を聞いてあげて証拠を固める。
真犯人は絶対に隠れてますからね。
簡単には自供しません。
動かぬ証拠をつきつけて初めて真犯人が自供しはじめます。
「わる~ございました。私が犯人で御座います」
ってね。
身体に起こる現象も日常生活と同じです。
日常生活に当てはめるともの凄くわかりやすい。
東洋医学にはそういう人間としての物語があります。
だから昔から続いてきた訳です。
科学は大事ですが、科学のみ重視しているとこういう落とし穴が一杯一杯あります。
冷静に判断することが大事ですが、その判断の仕方をわかってない。
犯人捜しの方法が西洋医学以外の方法はわかってない。
どれだけ陰陽五行説がとか言っても、それは証拠を追求する方法にはなりません。
一つの考え方というだけです。
なぜそれに気づかないのかわかりません。
考え方に溺れるからトンチンカンな答えを出し続け真犯人を自白させられない。
それに早く気づいてわかりやすい方法を考えていかないと衰退します。