【富高地域】八百屋・魚屋・肉屋まとめ(その2)
2023.11.26 06:43
<※「その1」の補足としてのページです>
【リヤカー販売(まわりもん)の衰退】
富高地域は昭和30年代頃まで、リヤカーや天秤棒、あるいは自転車で売り歩く行商人から生鮮食品を購入するという文化がありました。塩見や財光寺方面から「山の幸」を、細島や門川から「海の幸」を、毎日行商または配達にきてくれるため、食料品を保存する冷蔵庫は不要であったほどです。しかし戦後、自動車などによる流通の迅速化や、電気冷蔵庫など画期的な保存技術の登場により、行商人の数は次第に減っていき、昭和40年代~50年代にはもうその姿はほぼみられなくなりました。
【常設店舗の増加】
戦前まで、生鮮食品を扱う店舗はそれほど多くなかった富高地域でしたが、終戦後の人口増加に伴い、個人商店の数は次第に増えていきました。昭和30年代、物量と安値を誇るスーパーマーケットの登場で一時的に個人商店が打撃を受けるものの、昭和40年代の高度経済成長の波を受けて、個人商店もスーパーも愈々(いよいよ)町中にあふれていきます。
~ここでは、富高新町(とみたかしんまち)通りを中心に、戦前・戦時中・戦後~昭和50年代頃までに存在した「八百屋(野菜・青果)」「魚屋」「肉屋」をまとめてみます。(※一部は「その1」で既に紹介しており、重複していますがご了承ください。)
ーおわりー