喫茶ギャラリームースにて🎷
2023/10/25に岐阜県関市にある喫茶ギャラリームースにて、落語家である桂蝶の治さんの落語会からお声がけいただき、中入り前に演奏をさせていただきました。
恥ずかしながら落語はYouTubeでしか聞いたことがなかったのですが、今日は演奏前に生で聞くことができました。
そこでとても勉強になったことをここに記しておこうと思います。
演者というのは、目の前にいるお客様に対して
「引き寄せる力」
が必要だ。
それは、落語家であってもミュージカル女優であっても、ロックバンドの歌手であっても吉本新喜劇の脇役であっても。そして私のようなサックス奏者や他の楽器奏者であっても。こちらを振り向かせてさらによそ見をしないように途切れることなく集中して見ていてもらわなければその場で伝えたいことが伝わらなくなってしまう。
なので、よそ見をさせないための努力を惜しまないようにこちらが何らかのアクションを起こすなり、この後どうなるのかということを期待させる努力が必要となる。落語家の方も棒読みではお客さんは飽きてしまうだろうし、ミュージカル女優も体の動きにアクセントがなければ伝わるものも伝わらないだろう。ロックバンドの歌手なんかはよく息を切らしていることがある。実際に熱唱して息が切れているのだろうが、本来その息切れした音というのはマイクを通す必要などないと思う。しかし、マイクを通してお客さんにその息切れ音を伝えることによって、お客さんは自分の大好きなアーティストが精一杯気持ちを込めてこの会場に来たファンのために歌ってくれたことに対して感極まる演出にもなる。
今回落語を面前で聴いてその点が勉強になった。
落語には話の流れがとても重要。途中から聞いたのでは面白さが伝わり切れない。前段があるから面白いのだ。その前段でお客さんの集中力を途切れさせてはならない。時には前回も来たお客様に対して同じ話をするときもあるだろう。だけれども、その空間や別のお客さんを交えて、同じ話にならないようにしているような心がけが見て取れた。
では、私の場合はどのような点に注意して演奏をしていけばよいのか。演奏する曲についてはメディアで聴いたことがある曲ばかりだ。実際は歌である曲をサックスで演奏して聴いてもらうということに関してはある程度新鮮さはあると思う。しかしながら、そこに歌詞はない。歌詞がなければ伝わるべき内容が半減してしまうのは言うまでもない。半減では済まないかもしれない。では、どうしたらいいのか。
instrumentalの曲を演奏するように演奏すればいいのだ。
と言いたいところだが、本当にそれだけでいいのだろうか。もちろんその努力は必要だし、歌詞がない以上、音に対する形や弾力、温度、色、表面の感触等は最低限必要だと思う。ただ大切なのは本当にそれだけなのか。
いや、絶対にそれだけではない…。
もっと大きく考えよう。その曲だけでなく、お客さんに姿を見せた時点で、もうすべてが始まっているのだ。ステージの袖から足が見えた時点でお客さんの目はこちらを向いている。演奏が始まったときからではない。その1歩から引き寄せなければならない。さらにいうと一度引き寄せたその目を離さないように、こちらに向けさせ続けなければならない。なので、ある程度の休憩時間というのは、お客様のためだけではなく演者のためにも必要であり、そして曲間のMCについては曲と同じくらいか、もしくはそれ以上に重要なものとなってくるようにも思える。
こんなことを記していると、今までのコンサートはどうだったのかと思い出すのだが、
んー、、、…。
反省しかない。
いつもと違う落語家さんとのコラボはとても勉強になりました。まったく違うものを届ける演者ですが、演者であることは同じで、伝え方引き寄せ方の方法は違えど、すべきことは同じでその時間、空間でいかに世界を作ってのめりこませることができるか演者としての最重要課題であると認識しました。
蝶の治さん、ありがとうございました。