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命とは「いま、いま、いま」の連続

2024.07.12 05:35

Facebook長谷川 淳史さん投稿記事

谷底へ落ちたら谷底でしか見られない景色がある。病んだ時は病んでなければ見られない景色があるのです。どういう状況にあっても、そこでしか見えない景色を楽しみ、気づかなかったことを学ばせてもらいましょう。

     ―――青山俊董

https://www.chichi.co.jp/web/20220525_aoyama_shundoh/ 【命とは「いま、いま、いま」の連続——青山俊董老師が選んだ人生の結論】より

いただいた、たった一度の人生を何に懸けるのか――。日本を代表する尼僧・青山俊董老師が若き日に選んだ人生の結論は、尼僧として仏法に生涯を捧げることでした。愛知専門尼僧堂での日々の厳しい修行を通して自らを掘り下げながら、多くの雲水の指導、執筆、講演など仏法の伝道に努めてきた青山老師に、その求道の歩みと人間が根を深めるための要訣を伺いました。

塩によってぜんざいの甘みが増す

――……お話を拝聴しながら、青山老師が厳しく自己に立ち向かいながら、自らを深く掘り下げていらっしゃる姿が伝わってきました。

〈青山〉

たった一度の命をどう生きるか。結局はそのことに尽きるでしょうね。

選ぶ人生、授かりの人生という話をしましたが、命というのはいま、いま、いまの連続です。いまここを、いただいた命に相応しい生き方として選んでいく。そのことで人間が磨かれ、人間としての根が深まっていくと思います。そして深まるほどに、足らない自分というものに気づいていく。

何事も一所懸命に打ち込もうとする姿勢はもちろん大事だと思いますが、それだけではくたびれてしまいます。しかし、生かされた命ということが本当に分かってくれば、自ずからそれに相応しい生き方をしないではおれなくなる。学ぶほどに足りない自分に気づけば、限りなく学ばないではおれなくなる。

そうすれば学ばせていただくこと自体が大きな喜びですわな。「遊化(ゆけ)」という言葉がありますが、私など毎日、知らなかった、足りなかった、気づかせてもらえたと、その喜びばかりです(笑)。

ー人生が一度きりであることを強く自覚することが、より人生を豊かにしてくれるということなのですね。

〈青山〉

そう思います。人生は一度きり、それをどう生きるかという自覚が生まれれば、吉川英治さんが「我以外皆我が師」とおっしゃっているように、よいことも悪いことも、自分の心次第ですべて人生の根を養う材料にすることができます。

こういうことがございました。私は42歳の時、ならざるを得ない格好でこの尼僧堂の堂頭になりました。開闢(かいびゃく)四恩師(尼僧堂を開いた4人の尼僧)の流れの方で、しかも70歳、80歳の高齢の人が堂頭になるという伝統の中で、若く、四恩師の流れでもない私が堂頭になることに強く反対する一部の方たちがおられ、相当長い間、活動を妨害されました。

古くなった尼僧堂の建物の改築を検討する時にも会議の議長が反対派に取り込まれ「青山さんが堂頭である限り、絶対に手伝わないと言うメンバーがいる。いい顔して手伝う者ばかりではないから、そのつもりでいろよ」という言葉を投げ掛けられ、相当に堪えたこともあります。

そういう中で私を支援してくださった方、心配してくださった方も多くおられました。ありがたいことにたくさんの寄付をいただくこともできましたが、ある教え子から

「堂頭さん、ご苦労が多いですね。しかし、ご苦労されることで人間が大きくなりますね。ぜんざいの甘みを添えるのは砂糖よりも塩が大事だと言いますね」

と言われ、「ああ、全くその通りだな」と教えられました。

それからは反対派の人たちは私の人生の根を深める塩の役を務めてくれたんだと思って、拝んでいくことを決意したんです。

(本記事は月刊『致知』2020年11月号 特集「根を養う」より一部を抜粋・編集したものです)

◉2022年10月号には、講演や数多の著作で広く知られる青山俊董さん(愛知専門尼僧堂堂頭)に、弊誌でお馴染みの横田南嶺さん(臨済宗円覚寺派管長)とご対談いただきました。5歳で禅門に入り、今日まで80年以上、求道一筋に生きてこられた青山老師。思い出深い師僧や歴史に残る名僧の言葉を交え、この世を生き抜くコツを優しく説いてくださいました。

 記事詳細はこちら(全文は致知電子版でお読みいただけます)

◎青山俊董さんも、弊誌『致知』をご愛読いただいています。推薦コメントはこちら↓↓◎

 この頃しきりに良寛さまの「人間の是非一夢の中」の一句が脳裏を去来する。人類の歴史は、小さくは個人から大きくは国と国との関係まで、勝つか負けるか、成功するか失敗するか等の追っかけっこといえるのではなかろうか。人間の是非は立場が変わると逆転する。正義の名のもと、神・仏の名のもとに限りなく争いが繰り返されてきた。

 かつて「勝ってさわがれるより負けてさわがれる力士になれ」の一言で講演の結びとされた二十八代立行司、木村庄之助氏の言葉が忘れられない。勝ってさわがれるのは技と力の世界。負けてさわがれるのは勝ち負けを越えた世界をにらんで生きる世界。時と処を越えて変らぬ永遠の一点をみつめて生きる。それが「人間の是非」を越えた世界ということであり、『致知』のめざす「木鶏」が語ろうとしているのもこの一点ではなかろうか。

◇青山俊董(あおやま・しゅんどう)

昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。