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田を植ゑてより高天原そよぐ

2023.11.29 07:42

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/327120 【地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」】より

 「国譲り」によって高天原に返還された「葦原中国」。次なる国作りの主として天上の世界から降り立つのが、アマテラスの孫である天孫ニニギです。アマテラスのパワーを父神よりも濃く受け継いだニニギは女神の名代となり、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」と改名した国土で稲作プロジェクトに挑みます。貴重な稲をもたらす「五穀豊穣の祭り主」を地上に送り出したのが「天孫降臨」なのです。『古事記』講読の授業を長年担当する神道文化学部の武田秀章教授(神道史)は「国つ神の協力を得て、地上に第二の高天原を作ることがアマテラスの与えたミッション。稲作は、天つ神(中央)と国つ神(地方)の共同事業によって日本に根付いた」と話します。

①「ヒーロー爆誕」「人生大逆転」 『古事記』は面白い

②失敗も成功も― イザナキ、イザナミの国生み、神生み

③愛する人との別れで定まった「死の宿命」と「世代交代」

④天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法

⑤暴れん坊からスーパーヒーロー爆誕へ スサノヲの成長譚

⑥スサノヲからオオクニヌシへ 試練と継承の「国作り」

⑦神々の相互連携で進む大事業「国譲り」とは?

⑨「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆

「天孫降臨 クラシカル・バージョン」二宮昌世(125期神道文化学部卒業生)(作品の転載はご遠慮ください)

邇邇芸命の誕生とは?

 大国主神の「国譲り」によって、地上世界(葦原中国)の平定が整いました。いよいよ天照大御神の子孫が、「水穂の国」の新王として天降ることになります。

 天照大御神と高御産巣日神(高木神とも)は、天照大御神のご長男・天忍穂耳(アメノオシホミミ)命に再度、天降りを命じました。ところがそのとき、天忍穂耳命に子供が生まれます。天孫降臨を前にして、大御神の「うまれかわり」のような、すこやかな赤子が誕生したのでした。

 赤子の名は、天邇岐志・国邇岐志・天津日高・日子番能邇邇芸(アメニキシ・クニニキシ・アマツヒコ・ヒコホノニニギ)の命。赤子の母は、高御産巣日神の娘、万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)。父を通じて「日の大神」の恵みを、母を通じて「ムスヒ」の恵みを、ふたつながら身に体したパワフルな新生児の誕生です。それはまさに「新しい時代」の到来を予祝するような、おめでたい出来事でした。

 父神の天忍穂耳命は、自らに代わってこの子を降臨させるべきことを天照大御神に進言します。こうして大御神のみ孫、邇邇芸命が天降りすることになったのでした。

国つ神・猿田毘古神の登場

 ところが、いざ出発という時に、またしても緊急事態が発生しました。天の八衢(アメノヤチマタ)と呼ばれる天上・地上の分岐点に、煌煌と光を放つ異形の神が立ち塞がったのです。高天原の神々は、震え上がりました。

 天照大御神は、岩戸開きで決定的な役割を果たした天上界のエース、天宇受売(アメノウズメ)の神を差し向けます。「面(おも)勝つ神」天宇受売神は、この異形の神を鋭く問い詰めました。すると、国つ神・猿田毘古(サルタビコ)の神と名乗るこの神は、こう答えたのです。

 「天孫ご一行を先導しようと、お出迎えに参上した次第です」

 ここに「天つ神」の御子の天降りに際して、「国つ神」を代表するかのように猿田毘古神が名乗りを上げました。猿田毘古神は、天孫一行の行列を、しっかりと地上の国土に導くこととなります。それこそは、これ以降踏襲されてゆく「天つ神」と「国つ神」の連携、いわば「天地協働」の先触れでした。

 こののち天宇受売神及びその子孫は「猿女(さるめ)」を名乗り、猿田毘古(サルタビコ)の神の末裔たちと相携えて、朝廷に仕えてゆくことになります。

「アメノウズメとサルタビコ」宅野晃裕(神道文化学部学生) (作品の転載はご遠慮ください)

「五伴緒」と「三種の神器」

 こうした経緯を経て、邇邇芸命は、天の石屋戸の祭りで活躍した五伴緒(いつとものお)と呼ばれる神々をお供として、下界に旅立ちました。それはまさに、新生・邇邇芸命を戴く「チーム高天原」の降臨でした。

 その際、天照大御神は、やはり天の石屋戸ゆかりの「八尺(やさか)の勾玉」と「鏡」、ヲロチ退治ゆかりの「草薙の剣」を、邇邇芸命に託しました。この三種の神宝こそ、現在に至るまで皇位のしるしとして受け継がれている「三種の神器」にほかなりません。

 とりわけ「み鏡」について、天照大御神は、こう仰いました。「この鏡をわが魂と思って、わたしを祭るように拝き祭りなさい」。このみ鏡が、大御神のお言葉のままに、わが国第一の聖地・伊勢の神宮にお祀りされていること、いまさら申すまでもありません。

高千穂に降り立つ神々

 天孫一行は、たなびく雲界を押し分け掻き分けして進みました。

 南九州の「高千穂の岳」(「筑紫の日向の高千穂のくじふる岳」(久士布流多気))に降った邇邇芸命は、その巓に立って、高々とこう仰せになりました。

 「此地(ここ)は韓國(からくに)向かい、笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきとお)りて、朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國ぞ。故、此地(ここ)は甚(いと)吉(よ)き地!」

 天上からの「光の恵み」、地上の「国土の恵み」を讃える、壮大な「国見」「国褒め」のお言葉です。天照大御神の子孫の到来は、地上に、「天上の秩序」「天上の稲」「天上の祭」をもたらす端緒となりました。

 それこそは、今に続く「豊葦原の水穂国」の歴史の、記念すべきスタートアップだったのです。