【富高地域 】 商店/スーパー・百貨店/デパート<補足編>(※随時更新)
以前アップした「【富高地域 】 商店/スーパー・百貨店/デパート」の項目を補足するページです。随時更新していきます。
(1)<戦前の個人商店「松田百貨店」について>:創業年は不明ですが、少なくとも昭和ひとケタ時代から昭和10年代半ば頃まで、駅前通りの四つ角に存在したのが「松田百貨店」です。その東南カドの位置には昭和20年代に「竹島食堂」が店舗を構えることから、この松田百貨店さんの営業期間は戦前から終戦にかけての十数年ほどではなかったかと思われます(これは推測です)。戦前を知る古老への聞き取りでは、この商店が何を扱っていたのかはハッキリしませんでしたが、百貨店という名称から、食品や日用雑貨など多岐にわたる様々な品が店内に並んでいたのではないかと思われます。
また、松田百貨店さんは店舗の一部分(東側部分)が別の店になっています。昭和時代には、このように「軒先(のきさき)を貸す」(自宅の1フロアを貸す)というかたちの賃貸業がよくみられました。各種写真集にて、このお店の貸家部分の往時の状況を確認しますと、S10年頃の写真(ここにアップした写真;店名不明)と、S14年頃の写真(薬店が入居している)では写っている店が異なっており、入れ替わりの激しかったことが想像されます。
さらに、写真をよく見ますと、看板に2ケタの電話番号が書いてあることから、この店には電話がおいてあり、上町における電話の取次ぎ所として、重要な役割を担っていたのではないかと思われます。戦前から昭和30年代頃まで、自宅に電話を引いている家は実に少なく、一部の富裕層や仕事上必要な商売人くらいのものでした。商店街の商店の中でも、電話のある店は数えるほどしかなかったようです。交換手の方から「△△商店さんですね、〇〇さんを呼んでもらえますか?」と電話がかかってきたら、近所に住んでいるその人の家まで知らせに行ったりと、なかなか手間のかかる時代であり、松田百貨店さんはそのように地域に貢献するお店の一つだったといえます。(終)
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(2)<スーパー細島 南町店>
好景気にわいた昭和後半、日向市内で営業している地元商店(地元スーパー)が、他の地域に支店を出すケースが幾つかみられました。「マルイチストア」さん(江良)が財光寺地区や大王谷地区に出店したり、「スーパーニシムラ」さん(ニシムラ&よしむね/美々津)が日知屋地区や財光寺地区に出来たりしました。
そのような中、細島に本店のあった「スーパー細島」さんが、富高地区の南町に一時進出していたことを覚えている人は意外に少ないようです。塩見橋の北袂に近い場所にあったそのスーパーは、昭和50年代半ば頃に「スーパーニットー」(スーパー日東)としてオープンし、昭和56年頃より「スーパー細島」となって昭和59年頃まで営業しました。高い天井に広大な店内、さながら巨大な物流倉庫といった雰囲気で、たくさんの商品が並んでいました。その当時の富高新町商店街および周辺地域の状況を振り返りますと、都町にアピロス、上町にサンリブマルショク、原町にアヅマヤ、本町に日向大丸、鶴町に旭化成サービス、などと大型ショッピングセンターが日向市駅の周りにひしめいていましたが(寿屋は、まだありませんでした)、喧噪から少し離れた南町に大手スーパーは無く、充実したお買い物を楽しめる唯一のお店といってもよい貴重な存在でした。スーパー細島が営業を終了したのち、空き店舗はそのまま紳士服販売の「エフワン丸岡」となりました(元々この付近に昔から「丸岡洋品店」さんがありました)。建物自体は2000年頃、南町の土地区画整理事業(塩見橋の架け替えや、その周辺の道路拡幅工事など)に伴って解体されました。
<おわり>