第24回『弁天島』~吉田松陰が黒船に乗り込もうとした島
『思想を維持する精神は、狂気でなければならない。』
これは、幕末の思想家である吉田松陰の言葉です。
今年は「花燃ゆ」で伊勢谷さんが演じておりましたね。
その言葉を象徴する彼のエピソードが
『伊豆下田に停泊する黒船に幕府の許可なく乗り込もうとする』
お話です。
開国の和親条約が結ばれた約一か月後。
時代は黒船の来航に混乱していた世情です。
当時、吉田松陰は悩みました…
「このままでは、日本は欧米列強に支配されてしまう…うん。やばい。」
そして、彼は考えました。
「敵の国に渡って、その技術、知識を学びとって、日本に持ち帰り、日本も学ぶことで列強と肩を並べで、支配を防いでいかなければ」
そこで、彼は行動しました。
「よし!!黒船に乗り込もう!! (ダメって、どうせ、言われるから、幕府には内緒で…)」
嘉永7年3月27日(1854.4.24)、弟子の 金子重輔とともに下田にある柿崎弁天島の祠に隠れ、夜になるのを待って、小舟で黒船に乗り付けました。
■向かって、右の祠が潜んでいた祠です…
結果は…失敗です…。
すぐに、下田に逆戻りとなりました。
ちなみに、下田にはこのとき捕まった場所も史跡として残っています。
この結果、松陰は江戸に護送された後、郷里の萩に 幽閉となりました。
幽閉後、実家へ蟄居となり、そこからあの有名な松下村塾につながっていくのです…以降はまた別の機会にでも…
というわけで、
『伊豆下田に停泊する黒船に幕府の許可なく乗り込もうとし、失敗したお話し。』
でした。
そりゃそうでしょう!!
という感はありますが…
今でさえ、海外の船に乗り込むなんてありえないのに…
まして、当時の黒船は今でいうとUFOくらいのインパクトもあったろうに…
その無謀さ、いや、日本に対するアツイ思いには素直に感服です。
ちなみに、ペリーさんの遠征記では以下のように評したそうです。
「この事件は、日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、興味深いことであった。日本人は疑いなく研究好きな国民で、彼らの道徳的、知的能力を増大させる機会は、これを喜んで迎えるのが常である。この不幸な二人の行動は、日本人の特質より出たものであったと信じる。国民の抱いている烈しい好奇心をこれ以上によく示すものはない。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるものであるか、その前途は何と有望であることか。」
在NY日本領事館HPより
最後にもう一度
『思想を維持する精神は、狂気でなければならない。』
行きすぎかもしれませんがこんな気概で人生望みたいものです。
そんな歴史のアツイ舞台に訪れてみては?
[参考]
吉田松陰.com
[参考]
在NY日本国領事館.com
http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150th/html/exepi1.htm