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福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】

「旧約と新約をつなぐ系図」

2023.12.03 09:16
マタイの福音書 1章1―17節
1. アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。2. アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、3. ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、4. アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、
5. サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、
6. エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、

7. ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、

8. アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、

9. ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、

10. ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、

11. バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。

12. バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、

13. ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、

14. アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、

15. エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、

16. ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。

17. それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。 

第Ⅰアドベント聖餐礼拝メッセージ

2023年12月3日

マタイの福音書 1章1―17節

「旧約と新約をつなぐ系図」


今日からクリスマスに備えていくアドベントに入ります。1本目のキャンドルに火が灯りました。「アドベント(Advent)」は、ラテン語で「到来」・「来臨」を意味する「アドベントゥス(Adventus)」という単語が語源とされています。日本語では「待降節(たいこうせつ)」、「降臨節(こうりんせつ)」、「待誕節(たいたんせつ)」などと呼ばれます。私たちはこの期間、いつも以上に主イエス様を待ち望みます。

まず「すでに」来られた主イエス様を:約2千年前、私たちを救うためにこの地上に人となって生まれて来てくださった主イエス様を心に覚えましょう。

よみがえられ「今も」生きておられ、私たちに寄り添ってくださる主イエス様を見つめて、祈りましょう。

そして「やがて」再びこの地上に来られる再臨の主イエス様を信じて、心備えて、待ち望みましょう。

 今朝はマタイの福音書の冒頭、主イエス様の系図を開いています。カタカナばかりのよく分からない人の名前が次々に出て来ます。「誰々が誰々を生み」と続いていて意味が分からない。そう感じてしまうかもしれません。

作家の三浦綾子さんも『新約聖書入門』という本の中で、この系図について、こう述べておられます。

いかがであろう。この系図を一字も飛ばさずに読まれた方は、幾人いることだろう。私は、前川正さんと聖書を飛ばさずに読むことを約束したから、しかたなしに読んだ。とにかく一字も飛ばさずに読んだ。これだけ読むにも、人間はずいぶんと退屈することを知った。それで途中から、自分の恋人にするならば、どんな名がよかろうと、まことに不真面目な態度でようやく読んだのである。「ウジヤなんて、いただけないな。ゾロバベルなんて、気持ちが悪いな」などと心の中で思いながら読んだものだ。だがあれから27年経った今は違う。それは、私たち日本人が「織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康」と羅列されただけで、それが天下を取った順であり、一人ひとりの性格や、事件やエピソードを鮮やかに思い出すのに似ている。つまり今は、私は退屈を感ぜずに、むしろ興味深くこの系図を読むことができる。

三浦綾子さんは、マタイの福音書の冒頭の系図を最初に読んだ時のとまどいを正直に語られます。そして、聖書によく親しまれるようになってからは、この系図の見方が、がらっと変わったのです。『新約聖書入門』は、こう続きます。

民族の純血を尊(たっと)んだユダヤ人にとって、その人物がいかなる家系に生まれたかということは、重要であった。イエスという三十そこそこの青年が、いかなる系図を持っていたか、このマタイの福音書の第1ページを読む時のユダヤ人の表情が想像される。ユダヤ人たちは、旧約聖書に明るかった。旧約聖書に現れる王や、人物の名前はよく記憶している。その王たちの名が次々に出てくるイエス・キリストの系図は、非常に重みのあるものであったにちがいない 。 三浦綾子『新約聖書入門 心の糧を求める人へ』(1977年、光文社)、16,17ページ。

そんな特別な系図がマタイの福音書1章1節です。アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

この系図は、創世記の最初から(いや実は永遠の昔から)神様がご計画されたことが、その通りに実現したと証言しています。マタイは宣言します。旧約聖書の中には、そこかしこに、これから来られるお方=救い主イエス様の姿が預言されていると。その約束が実現したのです!!

まずアブラハムから見てみましょう。アブラハムはイスラエル民族最初の人でした。神様から選ばれ、すてきな信仰を与えられた人でした。偶像で満ちていた故郷を離れ、どこに行くか分からずに旅を始めます。創世記12章1節からです。

1. 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。2. そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3. わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

名前がまだアブラムの時でしたが、神様はアブラハムを大いなる国民にする。あなたを祝福するだけでなく、地のすべての部族があなたによって祝福されると約束してくださったのです! 神様の祝福は、アブラハムの子どもたち・孫たちであるユダヤ人だけにとどまらず、地上のすべての民族に及びます。事実、アブラハムの子孫として救い主イエス様が生まれて来てくださり、イエス様のおかげで神様の祝福・救い・永遠のいのちが、今、私たちにもたらされているのです。

 続いてダビデに語られた神様の約束にも目を留めてみましょう。サムエル記 第二 7章8節と16節です。

8. 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の主はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。16. あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」

ダビデの王国は、とこしえまでも確かで、その王座はとこしえまでも堅く立つと、神様は約束してくださいました。

けれども地上でのダビデの王権は途中で途切れてしまいます。ダビデの子どもソロモンが引き継いだイスラエル国家は、ソロモンの子どもの代には南北に分断し、北はアッシリヤ帝国に滅ぼされ、南もバビロン帝国に滅ぼされます。地上の王権は途切れますが、全世界のまことの王がダビデの末裔として生まれて来たのです。イエス様の王権は、永遠に続いています。今もこの世界に主は臨んでくださっています。やがて新しい天と新しい地=天の御国で、私たちはまことの王=主イエス様の前にひざまずき、イエス様をほめたたえるのです!

アブラハムの子孫として、ユダ部族から、またエッサイの根から、そしてダビデの王権につながるものとして、先ほど交読したイザヤ書に代表される旧約聖書の預言通りに、主イエス様は生まれて来てくださったのです。

マタイの福音書の系図は、神様のご計画は寸分の狂いもなく実現することの確かな証拠です。そして旧約聖書と新約聖書をつなぐ神様の変わらないご計画が実現したこと、今も実現していることの確かな証拠なのです。表にまとめました。

この表から、私たちは神様の完璧なご計画と、それが必ず実現してきたこと。今もこれからも実現することを知ります。また、この神様のもとにいるべき人間が、どれほど神様から勝手に離れ、神様を悲しませて来た不完全で罪深い存在であるのかも知らされます。アブラハムも、ダビデも、続く王たちも皆そうでした。私たちも同じです。それでも、不完全な私たちを愛していてくださる神様の御約束ゆえに、何があってもその御約束を実現してくださる神様の誠実さゆえに、私たちは完全な救いに入れて頂けるのです。神様の約束実現のために、主イエス様はこの地に降って来てくださり、十字架にかかり死なれ、よみがえってくださったのです。

マタイは、イエス様の系図を載せるにあたり、神様の完全さを際立たせる手法を取っています。14代という7の倍数で系図を区切っています。「7」は一週間の日数であり、神様が天地創造を完成された後、休まれた安息の日が「7日目」です。私たちも7日間の第1日目を主の日として礼拝に集っています。聖書で「7」は、ときに神様を指し示す数、完全数として用いられています。その7の2倍である「14」は全く完全であることを表しています。

実はマタイは、幾人かの王様の名前を省略することによって、「14」という代に合わせています。

一例をあげますと、マタイ1章8節から

8. アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラム*がウジヤ⁑を生み、9. ウジヤがヨタムを生み、- 

とありますが、

実際には、ユダ王家の系図が記されている旧約聖書の歴代誌 第一 3章10節以降を見てみますと、

10. ソロモンの子はレハブアム。その子はアビヤ、その子はアサ、その子はヨシャファテ、11. その子はヨラム*、その子はアハズヤ、その子はヨアシュ12. その子はアマツヤ、その子はアザルヤ⁑、その子はヨタム、 となっています。

マタイ1:8のヨラム王*と、ウジヤ(別名アザルヤ)王⁑の間に、Ⅰ歴代誌によれば、下線を引いたアハズヤヨアシュアマツヤという3代の王様がいたことが分かります。正確な旧約聖書の系図を知っていたであろうマタイですが、あえて省略することによって、14代という数字で歴史を3区分させ、そこに神様のご計画の実現を見ていったのだと思います。アブラハムからダビデまでが一つの完全な期間、ダビデからバビロン捕囚が二つ目の期間、バビロン捕囚から主イエス様誕生までを3つ目の期間としたのです。

① アブラハムからダビデ王まで:食糧を求めてエジプトにヤコブ一家が引っ越し、その後、奴隷としてこき使われ、出エジプトを果たし、カナンの地に入って行きます。紆余曲折はありましたが、民族が増え広がり、強くなっていく上昇カーブの時代区分と言えるでしょう。

② それに対してダビデ王からバビロン捕囚までは王国の盛衰の時代でした。信仰深い王もいた一方で、偶像を持ち込んで、まことの神様を裏切る王も現れ、結果として国は滅ぼされます。王家は王座を保てなくなります。全体的には下降して行った時代です。

③ バビロン捕囚から帰還した後も、苦しい時代でした。暗闇が深まっていた時代でした。周辺諸国に占領され植民地となっていました。ユダ王家の末裔、ダビデ王の子孫であったヨセフ(イエス様の母マリアの夫であり、イエス様の父と見られていた)は、都エルサレムから遠く離れた北部ナザレの村で大工さんとして働いていました。

民族や国家の盛衰という歴史の浮き沈みがあっても、いやそんなものには影響されることなく神様のご計画は着々と進んで行くことを、マタイの系図は語っています。永遠の中におられる大いなる神様は、私たちのために永遠という壮大なスケールでのご計画を立てておられ、それを実現してくださるのです。

これから今年最後の聖餐式にあずかります。主イエス様は「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」(マタイ26:27,28)と言われました。契約・約束を結ばれた主は、それを必ず、何があっても果たしてくださる主です。私たちに罪の赦しと、たましい救いと、永遠のいのちの約束をしてくださった主イエス様を信じて、聖餐式にあずかって参りましょう。