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堀ひろ子という友人/aheadアーカイブス vol.92 2010年7月号

2018.10.09 00:24

1970〜80年代にかけて、バイクでの世界一周ツーリングや女性だけのバイクレースを主催し、自らもレースに参戦していたカリスマ女性ライダー、堀ひろ子。彼女に魅了されたカーライフ・ジャーナリスト、まるも亜希子が5回にわたり、堀ひろ子から学んだメッセージを綴る。(「ahead」2010年7月号より転載)


堀ひろ子(1949〜1985年)/女性ライダーの草分け的存在。'76 年当時、女人禁制だったロードレースに界に自ら出場し女性参戦の道を切り拓いた 。レースとともに、世界一周ツーリング('75年)や にサハラ砂漠縦断('82年)、女性向けバイク洋品店「ひろこの」 経営など精力的に活躍。著書も多数残している。(写真:原 富治雄)


vol.3:「ロコは“普通の子”」— 根本 健


「“健ちゃ〜ん、来たよ〜”とか言って。こっちはそれどころじゃなかったのにさぁ」。


 枻出版社・編集部の一角に仕切られた部屋には、壁一面の本棚と大きなデスクがあり、そのほとんどを平積みの本や資料が覆っていた。崩れかけた本を手で押しのけ、空いた机を挟んで座った根本 健さんは、腕を組み頭をかしげて、ぽつりぽつりと静かに言葉を繰り出していく。 '73年にロードレースの全日本チャンピオンに上った後、プライベートチームで世界グランプリに参戦した根本さんは、 今なお、バイク乗りたちから一目置かれる人である。「業界でアイツだけだよ“、健ちゃ〜ん”なんて」。少し不服そうな表情とは裏腹な、 その温かい眼差しはどんな堀ひろ子を見つめてきたのだろう。ほんの片鱗でもいいから知りたくて、私は根本さんを訪ねたのだった 。


 彼女がロードレースの世界へと猛烈にスロットルを開けはじめたのは、 '75年の冬に世界一周ツーリングを終えて帰国してからである。 私はそのきっかけのひとつに、根本さんの存在があるのではないかと感じていた。彼女はツーリングの途中に、根本さんが参戦したダッチTT(オランダGP)、そしてベルギーGPの現場に立ち寄っている。根本さんとの親しい付き合いが始まったのは、それ以来だと 彼女は著書で語っているが、根本さんは「どうやって仲良くなっていったんだろうなぁ。もう覚えてないな。いろんなことがあったから」と言いつつ、想いは異国でのワンシーンに駆け戻ったようだ 。


 彼女はその時に、目で見る以上に壮絶な根本さんの闘志や、厳しさや優しさ、さまざまなものを感じとり、絶対的に凄い人だ、信頼できる人だと悟ったのではないだろうか。「ひと口にヨーロッパで レースをするといっても、これは並大抵のことではありません。(中略)苦労をうどん粉で固めて丸飲みしてしまうくらいの根性がいるんです」(『オートバイのある風景』より)。だから彼女はそれからいつも、何かあるごとに根本さんに相談をしていたらしい。「彼に話をもちかけるのはいつもやっかいなことばかりだから、電話口でよく私はめそめそ泣いたものです」(同)。


「ロコは普通の子だったよ。でも、やろうとしてることは普通じゃない。そこの行ったり来たりが人間っぽかったね」。 


 根本さんから“普通の子”という表現が出てきた時、私は不思議なほどに納得していた。業界やメディアによって、一つひとつ創られていく表向きの彼女は、大きく強くなりすぎて、時として自分自身を苦しめる。でも彼女は、根本さんの前でだけはいつでも、“普通の子”でいることができたのだった。 


「それはなぜかってね、超オタクなことをしているけど、僕自身が普通の人だからね。説明がいらないの。うまくできる側じゃなくて、 いつも“こっち側”から見てあげられる」。


 ただ根本さんは、彼女が本当は常に、何がしたいのか見えていなかったのだと指摘する。ひとつのことが終わると、不安だ、どうしようと口にしていたという。そして、普通の子が努力して成し遂げ たことが、今度は彼女自身にふりかかる呪縛のようになってしまっていた。”次はもっと凄いことをやらなければ”と。


「人間力って、受け容れ力だと思うんだよ。その時に何が起きて、 自分がどの立ち位置にいるのかを早く受け容れることだと思う。前より凄いことったって、人生の階段なんてさ、実は、上なんだか下 なんだか横なんだか、わかんないでしょう」。 


 彼女が最後に進めていた計画は、タクラマカン砂漠へのツーリングチャレンジだった。当時は渡航許可さえ取るのが困難な地である。 さぞやこの時も、根本さんに泣き言を持ち込んだことだろう。


「アイツはさ、遠回りの美しさというのを、どこかで分かってる人だった。高速道路をピャーっと行けば速いし確実なんだけど、わざわざ遠回りで大変な山道越えてくっていうの。俺もそうだし、そういうところのひとりだったんじゃないかな」。 


 突然、自分の目からあふれだした涙に私は動揺した。もしかして彼女は今もまだ、どこか遠くの旅に出ているだけなのかもしれない。 根本さんに会って、そんな錯覚さえおぼえるほどに、私の中の堀ひろ子は生き生きと輝き出したのだった。 


ーーーーーつづくーーーーー


根本 健 ◉ 1948 年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部中退。16 才でバイクに乗り始め、グランプリライダーを目指そうと決意。'73 年に 750cc 全日本チャンピオンを獲得後、プライベーターとして '75 年から '78 まで世界 GP を転戦した。 その様子は自著『グランプリを走りたい '60〜'70年代を駆け抜けたバイク人生』に詳しい。


『グランプリを走りたい  ’60〜'70年代を駆け抜けたバイク人生』( 枻出版社 ) 


文_まるも亜希子 <aheadアーカイブス vol.92 2010年7月号> 


 <著者プロフィール> 

まるも亜希子/Akiko Marumo 

自動車雑誌編集者を経て、カーライフ・ジャーナリストとして雑誌やトークショーなど多方面で活動中。 04、05年にはサハラ砂漠2500キロを走破する女性だけのラリーに挑戦、完走を果たした。 また04年に女性として初めて、ハイブリッドカーで耐久レースに参戦、完走。現在も毎年のライフワークとしている。 


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