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青春漂流

2023.12.05 13:12

  立花隆さんの青春時代を回想するお話かな。。ぐらいの感じで手に取ったのですが、ちょっと違ってました。これは、挫折を繰り返し苦闘しながら、その道で頭角をあらわすような活躍をしている若者たちへのインタビュー集です。 でもさすが立花さん。インタビューする若者たちが皆、一筋縄ではいかない人ばかり。よくある経済的成功を求めるような起業家のサクセス・ストーリーではなく、むしろ、プレステージアスな華やかさとは無縁で地味な職業でありながらも、しかし、それを生業とするために精魂を傾ける、そういう若者の姿を追いかけるルポルタージュ、といった感じです。結果として世間体には脇目もくれず己の自己実現に邁進する青春群像に迫った存在感のある一冊だと感じました。(ちなみに、この中の若者の中には後年、ソムリエで有名になる田崎真也さんなんかも入っています。)


  どのインタビューも異色なのですが、この中で、私的に感じ入った(その人の職業に憧れるとかでは全くなく、その仕事を己の生業にするという執着心、それを己の存在価値みたいなところまで突き詰める人格のすごさを感じた)のは、「猿まわし調教師」の村崎太郎さん、それに「鷹匠」の松原英俊さんです。


  まず、「猿まわし調教師」の村崎 太郎さん。「猿まわし」という民俗芸能は日本でも一千年の歴史を誇るものですが、昭和38年ごろに一度途絶えてしまいます。この民族芸能復活に力を入れたのが、太郎さんの父・義正さん。親戚が「猿まわし」をやっていたこともあり、自ら中心となって地元山口県光市高洲の伝統芸能の復興に力を注ぎます。四男の太郎さんを猿まわしの後継者にすることに決めた義正さん。太郎さんの話では、父義正さんはとにかく迫力あるオヤジ。怖い一方、町の近所からも頼りにされる存在でした。そのオヤジが太郎さんへ言います。「猿まわしの世界はこれからどんどん発展する。後継者第一号になる、ということは、その世界でトップになるということだ。どんな世界でもトップになるのがいい。下手をすると大失敗に終わって一生を台無しにする心配もあるが男なら挑戦してみろ。」 なんであれ第一人者になるというのは悪くないと思った太郎さん。これまでオヤジの判断に誤りがなかった、という信頼感もあり二つ返事でOKします。「わかった。やる。」


   二つ返事で、猿まわしの調教師になることを決めた太郎さん。しかし、この猿の調教師になるのは、簡単ではありませんでした。実は、猿まわしという伝統芸能において、一番難しいのが猿の調教。伝統芸能でありながら、猿の調教について知っている人はほとんどいません。どうしてかというと、猿の調教において一番大事なのが「根切り」という訓練ですが、この「根切り」というのが猿の調教の秘伝で、昔から調教師は、この根切りの場面だけは、人目を避けて猿と1対1で行っていたからです。


  たとえば、「よろしくお願いします。」とこちらが言って、猿がピョコンと頭を下げるような芸を仕込む場合、こちらが挨拶を言ったあとに、猿の頭を手で押さえて、力ずくで頭を下げさせる。これを何千回となく繰り返します。猿というのは頭がいい動物なので、同じことを何回もやらされなくても、自分に求められていることはすぐわかります。でも、命令され、その通りにやらされることには徹底的に抵抗し、隙があればすぐ手を抜こうとします。その時、こちらは力ずくで厳しく迫る。そうすると千回に一回ぐらいは、自発的に頭を下げる。猿も褒められるのは嬉しいのでこちらも精一杯褒めますが、だからと言ってそれで猿の方から頭を下げるかというとそんなことはありません。また抵抗を続けます。そうやって同じことを繰り返していくと頭を下げる回数が多くなります。そうすると今度は、できたときに褒めるのではなく、できないときに叱るようにします。。


  「結局、猿は目上の存在のいうことしか絶対にきかない動物。そして猿の世界では、どちらの順序が上かというのは、相手を暴力的にねじ伏せて決める。だから人間も猿にいうことをきかそうと思ったら暴力で相手をねじ伏せる、ということが必要なんです。猿の方で心底もうこれはやるしかない、とわかったとき、それまでの抵抗がウソのように、命令に素直に従うようになる。」 この過程が「根切り」なのですが、これは猿の抵抗心の根っこをきるという意味でもあり、猿の調教において最も肝心なのです。


  この調教師と猿との服従関係を確立するための儀式「根切り」。時には、殴ったり、こちらから猿に噛みついたり、ムチで叩いたりしてこれは遊びじゃない、真剣なんだと猿にわからせることもあるのです。そうして、調教する側が、心底気迫に満ちた声を出し、猿を威圧し俺がボスで、ボスの命令は聞かねばならんと、(猿に)徹底的にわからせるのです。「ここが正に猿と人との真剣勝負。ここでちょっとでも気遅れすると、それまでの訓練が全部パーになってしまうんです。これ以上やったら猿が不具になるか死んでしまう、、そこまでやって初めて根が切れる、ということが多いんです。ここが猿の調教で一番つらいところですね。」


  人権意識の高まりなどで、動物愛護の意識も強くなってきた現在、猿への愛護に対する意見もさまざまあると思います。しかし、この訓練でつらいのは猿だけではありません。調教する立場も命がけなのです。「昔、猿の調教をやっていて気が狂った人が三人いるんです。自分もやってみて、ほんとにこの仕事は気が狂っても不思議でないと思います。それくらい精神的にきついんです。」このつらい試練の時を経て、太郎さんの猿、ジローは大技・小技多数の芸をこなすようになり、日本一の芸能猿としての名声を獲得するまでになったのです。


  次に紹介するのは、「鷹匠」の松原 英俊さん。松原さんが鷹の人工養殖を行っている山小屋は、羽越本線の鶴岡から国道112号線をしばらく走ったところから、2キロばかり雪野原を歩いた山の中にあります。松原さんが鷹狩りに使うクマタカは、環境庁から「特殊鳥獣」に指定されている野鳥。捕獲・売買ができないのは当然、飼育にも厳しい制限が課せられています。松原さんが鷹狩りに使うオスとメスの鷹が死ぬようなことがあったらもう鷹狩は伝承することができなくなります。この鷹狩の技術を残すために松原さんは、この繁殖小屋を作りました。


  驚くなかれ松原さんの年収はわずか24万円。それもその収入は毎年9月~11月の三か月間、土方や山仕事で稼いだ額で、月にならすとわずか二万円。この金額で松原さんは生活をしています。生活は原則自給自足。住居費、電気代、ガス代は基本ゼロ。照明は昔ながらの石油ランプ。水は山からの雪解け水。燃料は薪。基本的な出費は、お米と調味料を買うぐらい、あとお金がかかるのは鷹のエサ代。生肉しか食べない鷹のため、山に罠を仕掛け小動物を捕まえたり、交通事故で死んだ犬、猫を拾ってきたり、養鶏場で廃鶏を安く買ってくるのですが、これらに関する費用がエサ代です。尚、冬場は逆に鷹がとったウサギなどの獲物を、鷹とわけあって食べるのです。


  松原さんは慶應大学の東洋史学科を卒業。しかし、小さい頃から好き嫌いが極端な性格で、結局ネクタイをしめるサラリーマン生活よりも、自然の中で生活する道を選びました。大学時代は冒険に憧れ、アラビア半島の砂漠の単独横断をしようと決意。サウジアラビアへ行こうと資金を貯め、ビザの申請を行なったところ、イスラム教徒以外の入国制限が厳しくビザを取得できず、悔しくも砂漠の単独横断を断念。また同じころ、コミュニケーションが下手なせいもあり、好きだった女性との失恋も体験。この二つの挫折から日本の山奥を旅するうちに、自然と調和した自給自足的な生き方を考えはじめ、行きついたのが鷹狩りという生き方だったのです。


  鷹匠で有名だった沓沢朝治さんのもとに弟子入りをお願いし、何度となく通いつめた後、やっとのことで弟子入りしますが、ここからがたいへん。生餌しか食べない鷹のために不要になったペットの犬、猫をもらい受けそれを殺してエサにするのです。生き物が好きな松原さんにとって、この鷹の生き餌づくりは苦難の体験でした。鷹の世話に慣れてくると次は、自らの腕に重い鷹を据え(のせ)ながら歩く訓練。そこからいよいよ鷹狩りの訓練に入ります。まず鷹を絶食させて鷹の本能をよびさまします。空腹がつづくと死んでしまいますし、おなか一杯の時には獲物が目の前にいても襲いません。まさに限界的な鷹の飢餓状態を上手に維持しなければ、狩りはうまくいかないのです。また始めのうちは、鷹はそれが遊びで飛ぶのか、獲物を見つけ捕獲すべきなのかも判断できません。そこでまず獲物捕獲が目的で飛ぶことを分からせながら、徐々に本格的な狩りに向けた訓練を行うのです。そうした訓練の後、山へ連れて行くと、そこで初めて獲物を捕獲することができるのです。このようにして松原さんの鷹が獲物を取るようになるまでに、実に4年の歳月がかかったのです。


  このブログでは、「猿回し」と「鷹匠」を生業にするため、努力する二人を紹介しましたが、本書で紹介されるみなさんは、それぞれ特異性と普遍化できない個性重視の職業分野でがんばる若者です。単にお金でなく、青春という漂流期に運よく(運悪く?)かかわり本能的にそれを選択した人の執着心というか、決してきれいごとだけではすまされない「自分は絶対それをものにするのだ」という己の業にまで昇華するような執念。決して一言では語れない生き様を追い求めているような若者にインタビューを行なっているところが凄いと感じます。


  本書のあとがきで、「迷いと惑いが青春の特徴であり、特権でもある。それだけに、恥じも多く失敗も多い。恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない。自分に忠実に、しかも大胆に生きようと思うほど、恥じも失敗も多くなるのが通例である。」と話す立花さん。立花さんは自身の青春時代を次のように振り返ります。「ともかく迷いと惑いだけは人並み外れて多かった。そして忍耐力に欠けていた。我慢できないことは、なんとしても我慢できないのだ。耐え難きを耐えて生きるよりは、残りの人生を捨てた方がましと思うたちなのだ。人生のしがらみにキリキリ締め付けられると、どこか誰もしらないところへ一人で行って姿を隠してしまいたくなるたちだった。。。」(私も学生時代はいろいろ迷っていた記憶がありますが、この「知の巨人」立花さんにしてこうなのですから、と妙に納得。其れはさておき、、)


  本書の最後に立花さんは次のように語ります。。「青春とは、やがて来るべき『船出』へ向けての準備がととのえられる『謎の空白期間』。そこにおいて最も大切なのは、何ものかを『求めんとする意思』である。それを欠くものは、『謎の空白期間』を無気力と怠惰のうちに過ごし、その当然の帰結として、『船出』の日も訪れてこない。。。」 蝶が美しい成虫になる前にサナギになるのが必要なのと同様、青春とは人生の大切な準備期間なのでしょう。。そこで鍵になるのは、その人がそれぞれに抱える「迷い」や「惑い」の大きさであったり、その内容の質であるのかもしれません。。。