無駄遣い、ダメ絶対!
表向きと言うべきか、それともそういう設定であるとでも言うべきか。
ともかく、セバスチャン・モランはモリアーティ家の使用人である。
その実態は限りなくタダ飯食らいの居候に近いのだが、モリアーティ家の執務を請け負っているルイスが「何もしない居候など絶対に許さない」というスタンスのため、態度の大きい使用人としてモリアーティ家に住んでいた。
とはいえ、メインの仕事は執務ではない。
指示を受ければ文句を言いながらも執務の大体をこなすけれど、モランが積極的にこなす仕事は街に出ての情勢把握である。
目的としている特定の情報を得るのであればフレッドが適任だが、その都度の大まかな風向きを把握するのは軍での経験があるモランこそが適任だった。
ふらりと街に出ては酒と煙草を持ちながら、気の向くまま世間の様子を探る。
すぐに屋敷に帰ることもあれば数日帰らないことも多かった。
「じゃあね、モランさん。また来てね〜」
「おう」
今日も今日とて、モランは様々な情報を仕入れてからのんびりと屋敷までの道を歩いていた。
屋敷を出てから五日経っての帰宅である。
連絡は入れていないがいつものことだから、ルイス含めウィリアムやアルバートも気にはしていないだろう。
情報の取捨選択はウィリアムに任せるとして、まずは帰宅してすぐにウィリアムの元へ報告に行かねばならない。
モランは持っていた煙草を携帯していた灰皿ケースに押しつけ、そのまま中へと追いやった。
「ウィリアム、今良いか?」
「っ、モランかい!?」
「お、おぅ」
礼儀として玄関のベルを鳴らしたが、出迎える人間はいなかった。
普段であればルイスが、もしくは手が空いていればフレッドが出迎えてくれるのだが、出迎えがないことも珍しくない。
モランはさして気にもせず、預かっている鍵でさっさと屋敷内へと足を踏み入れてはウィリアムがいるであろう書斎へと向かう。
そうしてドアをノックして気まぐれに返事を待っていれば、慌てた様子でウィリアムが扉を開けてくれた。
珍しいその様子に、モランは思わず一歩だけ後ずさんでしまう。
「な、なんだよ。どうしたんだウィリアム」
「ねぇモランっ、ここに来るまでにルイスは見たかい?」
「ルイス?いや…見てねぇが」
「…そう」
ありがとう。
掴みかかってくる勢いで尋ねた割には落ちた様子で礼を言う。
俯いたウィリアムの金色の髪を見れば、その先には茶色の髪をした彼の兄がいた。
表情はすぐ近くにいるウィリアム同様に冴えない様子で、いつも飄々としたアルバートらしくないものだ。
数日出かけていただけで、何か屋敷内でトラブルがあったとでもいうのだろうか。
「どうした。何かあったのか」
もしや計画に支障が出るような重大な事件が起きたというのだろうか。
考えたくはないが、秘密裏に進めているはずの計画が政府やヤードに漏れたのかもしれない。
ならば呑気に煙草を吸って歩きながらモリアーティ邸に足を踏み入れた己は、愚か、という他ないだろう。
あらゆる痕跡を残してきてしまった、とモランの脳裏には後悔が過ぎる。
先程までは見たことのないウィリアムの様子に気押されていたモランだったが、すぐさま最悪の事態を想定して声を鋭くさせた。
「…あぁ。実は、ルイスが…」
「ルイスに何かあったのか!?まさか、攫われたのか!?」
「いや…そうではないのです、大佐。実はルイスが…」
「ルイスが、ストライキを起こしていて」
「……は?」
最悪の事態、といえばそうなのだろう。
少なくともこの兄達にとっては最悪の事態に違いない。
だがモランにとっては理解不能な事態であった。
「ストライキ…って、あの、働いてる奴が待遇改善に起こす、あれか?」
まずは理解するため、己の認識とウィリアム、アルバートの認識とを擦り合わせる。
モランの知るストライキが正しいのかどうかを尋ねてみれば、概ね合っていたらしい。
「待遇改善というわけではないんだけど、僕とアルバート兄さんがルイスを怒らせてしまって…」
「ルイスが普段通りの仕事をしてくれなくなってしまったんだ」
「…なるほど」
ルイスがウィリアムとアルバートに対して怒りを向けているというのはにわかに信じられないが、つまりは怒れるルイスが執務を放り出している状況なのだろう。
おそらく、というより間違いなくストライキという言葉の使い方が違っている。
だが問題はそこではないのだ。
「…ルイスが攫われた訳でも、計画がヤードにバレた訳でもないんだな?」
「ルイスは攫われるような愚かな子ではないよ」
「ウィリアムの計画が万一にもバレる可能性はない」
「……そうかよ」
返事をしていると見せかけて、順繰り弟自慢をするウィリアムとアルバートというのは通常運転である。
モランは緊張させていた精神と筋肉を脱力させて頭を抱えた。
兄が意図してその有能な能力を披露する場を与えていないだけのルイスを誘拐するなどそう簡単には出来ないし、計画は二重にも三重にも隠されている上に同志からの漏洩も有り得ない。
どちらも可能性としてはゼロに等しいと分かってはいたが、ならば本気でウィリアムとアルバートはルイスが怒ってストライキを起こしていることに動揺しているのだ。
これはある意味で厄介かつ面倒だと、モランはウィリアムの肩を押して部屋の中へと入る。
そのまま机の前まで行って行儀悪くもそこへ腰掛け、呆れた様子で消沈している己の主人と悪友を見た。
「ルイスがストライキってなんだよ。飯でも作んねぇとか?掃除サボってるとか?あいつの性格からしてそれはなさそうだが」
「いや、朝食も昼食も夕食もティータイムでさえ用意してくれているよ」
「掃除も屋敷内の隅々まで行き届いている」
「なんだそれ。ストライキなんじゃないのかよ」
モランに続いてウィリアムとアルバートも、部屋に置かれている一人掛け用の椅子にそれぞれ腰を下ろした。
具体的に話を聞いてみても核心を得ないため、モランはますます持って首を傾げてしまう。
「これはストライキなんだよ、モラン。ルイスが朝、起こしに来てくれないんだ」
「食事もティータイムも、用意はしてくれるのに声をかけてくれない。ルイスの姿が見えないまま味気のない食事を、もう五日は続けている」
「寝る前のおやすみもないんだよ。部屋に行っても出てきてくれないんだ」
「調理中に声を掛けようものなら見たことのない顔で睨んでくる始末…」
「いつもなら手を止めて二つ三つ会話をしてくれるのに、まるで威嚇されているようで」
「ほー」
深刻そうな顔で次々と明かされるルイスの行動を聞き流しながら、モランは指で耳かきをした。
聞いているだけでむず痒くなってくる鼓膜を引っ掻いてやりたかったが、当然のように叶わなかった。
「しかも、どうやら食事は支度中に味見程度で済ませているようなんだ。ルイスは元々食が細いし、しっかり食べてほしいのに、今は僕が何を言っても聞いてくれなくて」
「私が最後にルイスの声を聞いたのは、僕怒っているんですよ、という驚くほど低い声だった…あのルイスがあんな声を出すなんて」
「僕もルイスのあんな声、初めて聞きました…うぅ、ルイス…」
消沈しているウィリアムとアルバートからめそめそしている湿気じみた気配が滲んでくる。
話を聞くに、どうやらルイスは本気で怒っているらしい。
モランが彼ら三兄弟と出会ってから、彼らが喧嘩らしい喧嘩をしているところなど数えるほどしか見たことがないし、誰かが誰かを一方的に怒っている姿は見たことがない。
ましてや兄全肯定のルイスが兄に対して怒りを露わにするなど、想像すらしたことがなかった。
落ち込んでいる二人には申し訳ないが、もしかするとこれは中々に面白い事態なのではないだろうか。
「あのルイスがなぁ」
モランはしみじみと、それでいて愉快な気持ちを隠さずに二人へと向き合う。
果たしてこの二人は一体何をしてルイスを怒らせたのだろうか。
怒っていながらも食事を作り執務を疎かにしないのは実にルイスらしいが、ウィリアムの言うことを無視してアルバートに不機嫌な声をぶつけると言うのはルイスらしくない。
ルイスという人間のことをそれなりに理解しているモランは、興味本位で二人がルイスに何をしでかしたのか聞いてみた。
そしてすぐに後悔した。
「ルイスに似合うと思って、新しい服とコートをプレゼントしたんだ」
「私は靴と鞄を贈った」
「謀らずも兄さんとのプレゼントを合わせてコーディネート一式が出来てしまったんだけど、それでルイスが怒ってしまって」
「これで何度目ですか、あれほど無駄遣いしないでほしいと言ったのにと、プレゼントを受け取るどころか部屋に籠ってしまったんだ」
「ちなみにあれがルイスに受け取ってもらえなかったプレゼントだよ」
「……」
部屋の隅にモランの背と同じくらいの高さに積み重なっている、煌びやかな包装紙に飾られた箱達の中身はルイスへの貢ぎ物らしい。
今はルイスの誕生日でもなければクリスマスでもハロウィンでもニューイヤーでもイースターでも何でもない日だ。
見るからに高価なものだろうし、受け取るにも理由がなければ心苦しいに違いない。
アルバートの発言から察するにこれが初めてではなく、ルイスは兄の気持ちを無碍にしないようそれとなく忠告してきたのが伺える。
だがそれを無視して貢いでくる二人の兄に、ついにルイスの我慢が限界を迎えたのだろう。
ルイスは特別に倹約家という訳ではないが、少なくとも物欲はないし基本的にスーツで過ごすことが多い。
たくさんの服を貰ったところで着ていく機会はほぼないだろう。
ウィリアムとアルバートの方針で、ルイスはパーティの類に参加出来ないのだから。
「ちなみにそれ贈るの、何度目だ?」
「うーん…兄さん覚えていますか?」
「さぁ、どうだったかな」
並外れて頭が良く記憶力も抜群である二人なのに、揃って覚えていないなど随分なことだ。
ほんのかすかに視線を泳がせた二人に目ざとく気付いたモランだが、深くは言及しなかった。
「ルイスのためのものなんだから少しも無駄遣いではないのに、ルイスが分かってくれないんだ」
「実に有意義な金の使い方だというのに」
「それ、ルイスに言ったのか?」
「言ったけど、ますます怒ってしまってね。自分の物を買ってほしいと言っていたけど、それこそ無駄遣いなのに」
「怒るあまり髪が逆立っていたな。猫が毛を逆立てて威嚇する姿を思い出した」
「あぁ似てましたね。番犬が威嚇で吠えている姿もチラつきました」
「ルイスを猫だの犬だのに例えている時点で、お前らが申し訳ないと全く思ってないことが分かるぜ」
「そんなことないよ、モラン。僕も兄さんもこんなに心を痛めているのに」
「ウィリアムの言う通りだ。誠意を持って謝っているのに、ルイスも頑固でな…」
偽りではなく本心の言葉なのだろう。
落ち込んだ姿は二人らしくはないけれど嘘でもなくて、しばらくルイスと共に過ごせていないことがよほど堪えているようだ。
はぁ、と何度目かの溜息を聞いたモランは、同じように深く深く、はぁぁぁあぁ、と溜息を吐いていた。
(ねぇモラン、ルイスの様子を見てきてくれないかな)
(そろそろ怒りが凪いでいると良いのだが)
(面倒くせぇな。俺を巻き込むんじゃねぇよ、ったく)
(頼んだよ)
(おいルイス。いるんだろ、出てこい)
(モランさん、遅いお帰りでしたね。食事なら調理場にパンがありますよ)
(飯の在処を聞きに来たんじゃねぇよ。…お前、ウィリアムとアルバートと喧嘩したんだって?)
(…なるほど。兄さんと兄様のスパイという訳ですか、モランさん)
(そんな大それたもんじゃねーよ。兄貴に貢がれる弟ってのを見に来ただけだ)
(ではモランさんから言ってください。その弟に無駄なお金を使わないでくださいと)
(馬鹿、俺が言って聞くような奴らじゃないことくらい分かってるだろ)
(だって兄さんも兄様も、お二人の一月分の賃金を軽く超える額の服だの靴だの用意されるんですよ!?着ていく場所もないのに!)
(げ、マジか)
(お二人が稼いだお金で何を買おうが自由ではありますけど、限度があります!それなのに何度言っても聞いてくれなくて…今度こそ反省するまでお会いしないと決めたんです)
(なるほどなぁ。…でも掃除はするし、飯も準備するんだな)
(兄さんと兄様がお腹を空かせたら大変じゃないですか。掃除を怠って体調を崩されても困ります)
(お前、本当にルイスだよなぁ…)
(?当たり前じゃないですか。変なモランさんですね)