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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 “露活”という不思議な活動があるらしい

2023.12.08 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 “露活”という不思議な活動があるらしい

 今週も「土曜日のエロ」の日になった。それにしても面白いエロ事件が多く、私からすれば全く理解ができない事も少なくない。今回扱う「露活」などは全くわからない。まあ、その辺の話は後にすることにしよう。その前に今週のニュースから。

今週のニュースは「自民党清話会の裏金」である。そもそも「裏金」という言い方自体が悪意ある報道であり、正確に言えば「記載漏れの資金」ということになる。もちろん公職選挙法違反であることは間違いがないのであるが、印象を悪くさせるということも、また日本のマスコミの偏向報道の一つであろう。物事をしっかりと行うのであれば、正確な「用語使用」を行うべきであろう。同時に「安倍派」という言い方も正確ではない。しっかりと「清話会」といえばよい。今のマスコミはいつまでも「安倍晋三」を批判するというようなやり方でしか話ができないということになっているようであり、取材力と広報力にマスコミの問題があるということは露呈しているのではないか。このようなマスコミであるから、完全に多くの人がマスコミ離れを起こしているということになるのであろう。

さて、マスコミ批判はきりがないのであるが、この事件に関してみてみよう。

上記にも書いたものであるが清和政策研究会における政治資金規正法違反である。私の経験上、基本的には「与野党ともに多くの議員が」やっていることであって「安倍派」だけがやっていることではない。そのように考えれば、なぜ「安倍派」とばかり言われるのかは全くよくわからない。実際にこの事件が出てきてから立憲民主党の安住議員や、二階派(志帥会)なども政治資金規正法の内容があり、そのことはあまり大きく報道されていないということになっている。

逆に言えば「みんなやっている」ということが重要であり、例えて言えば、周辺の自動車をすべて合わせていれば前者が30キロオーバーであったというような感じであろうか。一罰百戒でいくつかを検挙するのか、あるいはすべて検挙するのか。そのような感じになってしまうということになるのではないだろうか。

さて、「みんなでやれば怖くない」というのは、なかなか面白い心理である。昔ビートたけしが「赤信号みんなで渡れば怖くない」という話が有れば、それあ露出になるとどうなのであろうか。

“露活(ろかつ)” SNSに集団全裸写真投稿 夢の島野球場や横断歩道で…下半身露出疑い男ら6人を摘発 警視庁

 東京・江東区の公園などに集まり、下半身を露出したとして、38歳の男ら6人が警視庁に摘発されました。男らは全裸の写真を撮影しSNSに投稿していたということです。

 公然わいせつの疑いで逮捕された渋沢慎一容疑者(38)は、今年5月、埼玉県の45歳の男性と中野区の45歳の男性らと共に江東区の「夢の島野球場」のトイレの近くで、下半身を露出した疑いがもたれています。

 警視庁は、この3人を含む22歳から45歳の男性5人を大田区の横断歩道や新宿区西新宿のビルで下半身を露出したなどとして書類送検しました。

 警視庁によりますと、渋沢容疑者らは「露活(ろかつ)」と称して仲間と集まり、屋外で全裸姿を撮影し、それぞれのSNSに画像を投稿していたということです。

 「夢の島野球場」周辺では今年から公然わいせつ事件に関する110番通報が増えていて、警視庁は余罪を調べています。

2023年12月1日 12時18分 TBS NEWS DIG

https://news.livedoor.com/article/detail/25451662/

 東京都江東区の公園などに集まり「下半身を露出したとして、6人の男性が逮捕された」ということである。まあ、要するに「露出狂」または「ストリーキング」「全裸主義者」というような感じであろうか。北欧にはあまり少なくないところであり、フランスやスペインなどには「全裸」主義者が多く、そのことから全裸の日を作ったり公園や美術館を貸し切りにして、全裸であることを「ドレスコード」にするということがあるらしい。まあ、「全裸」がドレスコードのバーがあるということもあるので、それもよいのではないか。

しかし、私には全裸主義というのはあまりよくわからないので、何がよいのかは今一つ理解できていないのである。

さて、その露出することの愛好家が集まって、「露出」を楽しんだという。LGBTが一つの権利であるという場合、「全裸」は一つの権利なのかということが問題になってくるのかもしれない。要するに「性別」の場合は、性同一性障害というような病気があるという事らしいし、病気ではなく先天的な内容があるのであれば、それはそれで「本人の帰責性」があるというものではないということになる。しかし、一方で「全裸」た「露出」というのは、「そのようにしなければならない(落ち着かない・精神的に障害が起きる)」というような状況がある場合は、当然にそれも性同一性障害と同じような障害ということになるのではないか。

またヨーロッパやアメリカのように「全裸になることが一つの権利である」というような主張も成立する。もちろんそんなものは「見せられる方が迷惑」という事にもなるのであろうし、日本の場合は「全裸」であることが「わいせつ罪」というようなことになるのであるから、権利を認めるというような状況ではないのかもしれない。もちろんLGBTも、中世ではキリスト教は神への冒涜ということになっていたし、また、イスラム教では今も冒涜というような形になるのではないか。そのような神の世界の冒涜であっても、現在では基本的人権ということ肩それが認められるようになっている。

さて、今回は「仲間で集まって」行ったということであるから、なかなか興味深い。やはりみんなでやれば怖くないという事であろうか。仲間であるということは「全裸」「露出」ということが「多数派で通常な内容になってくる」ということになるのであるから、大胆になったのに違いない。

さて、私がここで言いたいのは「露出」ということが、そのまま「将来は新たな権利となる」可能性があるのではないか。そしてその中には若い女性の露出なども出てくるのではないか。そもそも「なぜ、人間は裸を見られると恥ずかしいのか」ということにつながる。アフリカや南米などの民族の中には、常に全裸に近いような状態で過ごしている民族もある。そのような人々は「恥ずかしい」とは思っていない。そのような状況になるのかもしれない。もちろんそのようになっても私はその趣味に関してはあまり理解できるとは思っていない。