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HIROSHI ARAI 荒井氏インタビュー

2018.10.08 09:33

 ここでは過去にHIROSHI ARAIのオーダー会を開催した際のインタビューを紹介します。なお、HIROSHI ARAIのパターンオーダーシューズは、神宮前本店にて常時オーダーを受け付けております。


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WFG:「今回、荒井さんのオーダー会を開催するにあたって、靴を含め、荒井さんのことをもっと多くの方に知っていただきたいという思いから、インタビューさせていただきました。どういった経緯で今のHIROSHI ARAIを立ち上げることになったのでしょうか?」


荒井さん:「生まれは茨城県の日立市というところで…。日立製作所の城下町ですね。周りに住んでいる人は、みんな日立の人や、それに関連して、モノづくりをする人達でした。そんな環境で育ったものですから、自然と自分もモノづくりを生業にするのだろうな。なんていう漠然としたイメージがありました。」


 WFG:「環境によってモノづくりに対する素地が出来上がっていたわけですね。」


荒井さん:「モノづくりをする…そんなぼんやりとした考えを持ちながら、地元の高専に進学したのですが、気が付くと卒業間近になっていました。当時はバブル時代で、就職も売手市場でしたから危機感もあまりなく、とりあえず就職したくない!(笑)ということで、山形大学に編入しました。モラトリアムの延長ですかね。そうして、山形に行ってみると、自給自足の生活をしている印象を受けました。」


WFG:「自給自足ですか?」


荒井さん:「はい。例えば農業をして、出来た作物を自分たちで食べる。一連のサイクルが出来ていると感じました。ちゃんと必要とされているところにいきわたっているような。 私は大量生産、使い捨てというものが何となく嫌いでした。結果、その性格というのが靴職人には向いていたのでしょう。多かれ少なかれ、大量生産、使い捨てを敬遠する気持ちをどの靴職人も持っていると思います。 …そうこうしていると、編入生ですから、すぐにまた就職活動になりました。 製造業に就職して必死に頑張れば、飛行機を作れるようになったりするかもしれない。それでも自分1人では飛行機は作れないですよね?一生懸命やっても、なんだか組織の歯車になりそうな気がして…。それは自分の性分じゃないと感じていました。 モノづくりをするなら、自分1人で製造から販売まで目が届くようなモノが良かった。山形の自給自足的な雰囲気がそういう思いを強くしたのかもしれません。 そう考えると靴なんかちょうどいいのではないかな。という考えにたどり着きました。靴なら手のサイズに収まるものですし、何とかなるのではないかと。当時プロケッズの靴も履いていて、モノとしても好きでした。そうしたらちょうど大学の先生から、宮城興業という靴を作っている会社がある、と紹介されました。そこが自分の靴づくりとの出会いでした。」


WFG:「宮城興業に入ってからはどのようなことをされていたのですか?」


荒井さん:「宮城興業に入って、最初の1年間は契約社員でした。私が入社した当時、世間はバブルが弾けて混沌としていました。宮城興業もバブルが弾けた影響を受けて、厳しい状況でした。新しい人間を雇う余裕はなかったわけですね。それでも、仕事が終わった後、夕方から夜にかけて靴作りを教えてくれるというので、とにかく1年間やってみました。最初の1年間はひたすらコバ磨き。ひたすらそれしかやらせてもらえませんでした。8時間、休憩時間以外は立ちっぱなしでひたすら…。絶え間なく靴が流れてくるので、そこから動けないのですよ(笑)」


WFG:「それは大変ですね」


荒井さん:「いや~、大変でした。それでも仕事が終わると、自分の担当のコバ磨き以外の事も少し教えてくれるものですから、それが楽しかった。コバ以外にも革底のステインがけを教えてもらったり、その他の事も教えてもらったり…。帰ろうとするベテランの職人さんを捕まえては教えてもらっていました(笑)そういう風にしながら、1年間過ごし、24歳の時に子供が出来ました。」


WFG:「早いですね(笑)」


荒井さん:「早かったです(笑)このまま契約社員ではいかん、ということで会社には頭を下げて、社員にしてもらいました(苦笑)そこから今まで以上に無我夢中で、仕事をし、靴製造の流れを会得しました。宮城興業に入って4、5年目の時に、企画営業のほうに配属されました。お客様から来るリクエストを形にする仕事ですね。もちろん営業になったばかりのころは、先輩の小間使いでしたが。東京に行かせてもらったり、靴の展示会に行かせてもらったり、勉強になりましたねぇ。」


WFG:「ほかの靴を見て、カルチャーショックみたいなものもあったのではないですか?」


荒井さん:「ありました。他のメーカーはこんな素晴らしい靴を作るのか。と感心したり、驚いたり。今、荒井弘史靴研究所を立ち上げて、その仕事の中にお客様やブランドのデザイナーの方から、こんな靴は作れないか?という相談を受けて、デザインするということもやっています。無理なデザインだと靴として機能しないことも多いのです。理想と現実をつなぎ合わせる役割というか。思えばこの時代にデザインの仕事も学んだ気がします。そうして、14年宮城興業にいた感じですかね…。」


 WFG:「当店でのオーダー会でも、荒井さんからこれは出来ない、という回答を頂いたことはほとんどないですね。なんでも出来る限り形にする姿勢はそこに原点があったのですね。」


荒井さん:「営業として、大阪のスーパーや紳士服量販店の靴売り場に行っていたのですが、そこにうち(宮城興業製)の靴がほこりを被って埋もれていましてね…。いったい何年前の靴だろう?(笑)と。ちょうど私が退社する1、2年前くらいに、宮城興業の大きな取引先の問屋が閉業しまして。そんな時今の宮城興業の社長から1人1人が独立採算をとれるようになりなさい、というお達しがでました。」


 WFG:「独立採算ですか?」


荒井さん:「そうです。オーダーも基本は何百足単位で受けるものですが、スーパーの隅に埋もれてしまうものを大量生産しても仕方がないだろう、これからは必要とされるところに、必要な数を受注して、臨機応変に対応しようと。宮城興業も大きなかじ取りをしたのですね。それでいてちゃんと利益が取れるように考えてやりなさいと。靴の展示会では1足からでも受注いたします、という看板を上げました。」


 WFG:「その時にバイヤーの日高と出会った。」


 荒井さん:「そうです。ワールドフットウェアギャラリーさんがきっかけとなった、ミヤギコウギョウブランドも大当たりし、おかげさまでその他にも、とある洋服ブランドのオリジナル靴の注文なども殺到しました。そんな時ですね、独立採算という言葉が心に残っておりまして、自分が活躍できるところは何だろう?どうやったら他の人の力になれるのだろう?と考えました。」


WFG:「それが荒井弘史靴研究所を立ち上げたきっかけだったわけですね。」


荒井さん:「そうです。」 


WFG:「宮城興業の社長からは独立採算をとれるようになりなさい、というお話があったことも独立されるきっかけになったのですか?」


荒井さん:「そうですね。宮城興業で企画営業をさせてもらっているときに、靴のメッカでもある浅草にもよく通っていたのですが、そうやって通っているうちに色々な方と親しくなっていきました。」


WFG:「協力者が増えたということですね。」


荒井さん:「靴を作るのも、様々な会社が介在して1足が生まれているのです。例えば靴の中のライニング。専門でライニング屋さんもあるのです。自分であれば、製造者と消費者の間で起きうるミスマッチをオーダーによって無くすことができると思いました。お客様の意見をできる限りパターンオーダーでも形にする…。そういった自分の構想を宮城興業の社長にぶつけました。そうしたら、じゃあやってみろ、という風に言ってもらえたのです。」


WFG:「そうして東京に出てこられたのですね。」


荒井さん:「荒井弘史靴研究所を立ちあげるのと同時に宮城興業の東京営業所もできました。だから私は独立心が強くて、独立したという感じではないのです。周りの方々に後押し頂いて、独立させて頂いたという気持ちです。本当にありがたいことです。」


WFG:「またオーダー会を開催しますが、今回WFGでは初となるモデルも展開することになります。最後にお客様へメッセージをお願い致します。」


荒井さん:「私は自分のブランドを打ち出すというよりも、皆様お1人お1人が思い描く靴を作っていきたいと思っています。オーダー会では皆様にぜひデザイナーになって頂ければと思います。アッパーと木型と革を組み合わせれば無数のパターンが生まれます。そして私は頂いたイメージを出来る限り形にさせて頂き、皆様にとって最高の1足をご提供できればと思っています。」


WFG:「お客様にはぜひ、掛け替えのない靴を作って頂きたいですね。」


荒井さん:「先ほどもお話しましたが、私は大量生産、使い捨てというのはあまり良いことではないと思っています。地球規模で見ても、資源を無駄遣いしているだけではないでしょうか。地球規模までいったら大げさかもしれませんが…。例えばすぐ壊れるものを買って、また新しいものに買い替えるというのは、人生を考えたときに、全く豊かではないと思うのです。長い人生の終わりに、手元に何も残らない…虚しさしか残らないのではないかと思います。皆様にはぜひ自分だけの1足というものを持っていただいて永く使ってもらいたいと思います。」


WFG:「ありがとうございます。私たちも荒井さんの思いをお客様に伝えさせて頂きます。」 


荒井さん:「ありがとうございます。」