教皇庁捕囚9-教皇庁アヴィニョンへ移転
2018.10.08 11:58
アナーニ事件で動いたのはフィリップ4世の腹心ギョーム・ド・ノガレである。彼はこの後も王の闇の部分をとりしきることとなる。王は彼に絶大な信頼を置いていたが、真相を知っていたのか騙されていたのか定かではない。ともかく次の教皇べネディクト11世は7カ月で急死したが、これもノガレによる毒殺の噂が出た。教皇不在期間は11カ月にのぼり、1305年にようやく決まったのが、なんと枢機卿でもないフランスはボルドーの大司教だった。
新教皇クレメンス5世は、なんとローマ教皇のくせにローマに入らない、リヨンで戴冠式を行った。そしてその後数年間、プロヴァンスやらガスコーニュなどの南フランスを放浪する。そしてようやく落ち着いた先が、アヴィニョンにあったドミニコ会修道院だった。ここに教皇庁を仮設してしまったのが現在のアヴィニョン教皇庁。ここに「教皇のバビロン捕囚」が始まり、以後70年で改築を重ね立派な姿となる。
クレメンス5世はフィリップ4世のロボットになり、ボニファティウス8世の詔勅を取り消し、アナーニ事件の被告も赦免してしまった。なんとまるでフィリップ4世はルイ9世ではなく、フリードリヒ2世の子孫のようではないか。実際彼はフリードリヒ2世の成功版といえる。
教皇を手に入れた仏王は、勇躍戦に乗り出す。フランドル軍をジーリクゼーの戦いでうち破る。フランドル伯ギー亡くなると多額の賠償金まで支払わせた。フィリップはさらにユダヤ人の資産を没収して追放し、さらに別の大口に手をつけるのだ。その背後でノガレが暗躍する。
下は堂々たるアヴィニョンの教皇庁