「系図の中の女性たち」
マタイの福音書 1章1―17節
1. アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2. アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、
3. ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、4. アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、
5. サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、
6. エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、
7. ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、
8. アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、
9. ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、
10. ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、
11. バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。
12. バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、
13. ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、
14. アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、
15. エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、
16. ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。
17. それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
第Ⅱアドベント主日礼拝メッセージ
2023年12月10日
マタイの福音書 1章1―17節
「系図の中の女性たち」
牧師家族複数名がインフルエンザに感染したため、今日教会に集まっての礼拝はお休みさせて頂きました。みことばとメッセージをホームページからお読みいただければと願っています。
先週に引き続き、新約聖書の最初、イエス・キリストの系図を開いています。私たち日本人にとって、なじみのうすい箇所でしょう。カタカナばかりでよく分からない人の名前が次々に出てきて、「誰々が誰々を生み」と続きます。旧約聖書に良く親しんでおられる方はともかく、多くの日本人には誰が誰だか分からないでしょう。
けれども、マタイの福音書を最初に読んだ人たちにとって、この系図はワクワクさせられる特別なものでした。イエス様の弟子であったマタイは、「同胞ユダヤ人にぜひ読んでもらいたい、聞いてもらいたい」と、この福音書を記しました。「イエス様こそまことの救い主、神の御子であることを知って、信じて、救われてほしい」と願いながら記しました。「イエス様の登場、なさったことすべて、その死と復活もすべてが、神様が旧約聖書の預言者たちにお与えになったお約束の通り、実現したこと」を知らせたかったのです。マタイの福音書には、「主が預言者○○を通して語られたことが成就するためであった。(あるいは成就した)」という表現が10回以上、用いられています。
この系図は、ユダヤ人であるならば、小さな頃から聞かされてきた「我が民族の大切な歴史の記録」でした。ユダヤ民族のルーツ=アブラハムから始まります。アブラハム、イサク、ヤコブと一人ひとり、語りつくせないほど、たくさんのエピソードがあります。創世記に登場する人たちです。
さらに系図は進み王家の系図となります。ダビデ王から始まる南ユダ王国の王家。国が栄え絶頂期を迎え、そして衰退していく時期です。
歴史は進み、ユダ王国は都エルサレムを含め、国中が外国軍に侵略され、占領される苦しみの時代を通らされます。ユダヤ人たちが遠くバビロンまで強制的に移住させられた捕囚の時代です。
そしてバビロン捕囚から帰還を許され、国を再建してから500年後、紀元前B.C.から紀元後A.D.に変わろうとするその時に、主イエス様が母マリアからお生まれになったのです。そのマリアの夫=ヨセフへと系図はつながっています。
時間にして2,000年以上に及ぶ壮大な系図です。聖書の時代、ユダヤは男系社会でした。例外もありますが、多くの場合、長男が家を継ぎます。この系図にもそれが表れています。
その男性中心の系図になんと5人の女性が登場します!上のみことば本文に下線を引いた5人です。3節のタマルがまず一人目、5節のラハブが二人目、同じく5節のルツが三人目、6節のウリヤの妻であったバテ・シェバが四人目、そして16節のマリアが五人目です。男中心の系図の中に登場し、輝いている女性たちです。
今日は最初の4人、旧約聖書に登場する4人の女性に注目し、どのような女性だったのか。また彼女たちがなぜこのイエス様の系図に登場しているのかを考えていきましょう。
タマルからバテ・シェバまで、この4人は、みないわく付きの女性たちでした。罪、欠点や弱さ、痛み、悲しみ、問題だらけでした。しかし、どんな状況にあっても、神様からの祝福を得ようと真剣に生きた女性たちでした。
まず一人目のタマルは、旧約聖書、創世記38章に出てきます。タマルは「なつめやしの木」という意味の名前です。タマルはユダヤ人ではなく、現在のパレスチナ地方に元々住んでいたカナン人でした。
タマルは、ヤコブの12人息子の中の四男坊ユダの家に嫁ぎます。まずユダの長男と結婚しますが、彼はすぐに死んでしまいます。次に弟と結婚しますが、その弟もすぐに死んでしまいます。子どもを宿すことができないまま、タマルは、嫁ぎ先から実家に帰されてしまいます。義理の父ユダは嫁のタマルに、「三男坊のシェラが成人するまで、実家で未亡人として暮らしなさい」と伝えたのですが、待てど暮らせど、ユダの家から「戻って来なさい」という知らせが入りません。悲劇のヒロインです。悲しみ涙し、絶望して良い状況でした。
この時代、子どもを産むこと・しかも男の子を産むことが、女性にとって最重要課題でした。家を継ぐこと、父親の名前を残すことが、神様の祝福であり、神様の祝福を子孫に継承することと考えられていました。ですからタマルにとって、実家に帰されてしまい、そのまま放置されている状況は、耐えられないことでした。自分が、神様の祝福から除外されてしまったように思えたでしょう。
そこでタマルは、策を練ります。ほめられた方法ではありませんでしたが、何とかして神様の祝福を勝ち取ろうとするのです。おしゅうとさんであるユダが近くの町に来ることを知ったタマルは遊女=売春婦の格好をして、ユダを待ち構え、ユダと関係を持ち、後継ぎとなる双子の男の子たちを宿すのです。それがマタイの1章3節の内容です。「ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、」
すごい女性です。ある意味、たくましさを感じます。こんなことをしてしまう女性を神様が、聖書の系図に残してくださったことが驚きです。タマルだけではありません。男たちも似たり寄ったりです。皆ずる賢かったり、罪を抱えている者たちです。おしゅうとさんのユダも売春婦だと思い込んで、お嫁さんと関係を結んでしまったのです。主イエス様につながるには汚点だらけの人たちを、神様はこの系図に刻んでくださっているのです!
続いて二人目、ラハブです。旧約聖書、ヨシュア記の2章や6章に出てきます。「ラハブ」は「広い」という意味の名前です。ラハブも、エリコの町に住んでいたカナン人でした。タマルが遊女の格好をしてだましたのに対し、ラハブは正真正銘の遊女でした。水商売をなりわいとしていた女性です。
出エジプトを導いたモーセから、指導者の任を引き継いだヨシュアは、エリコの町を攻め取るために、まずスパイを派遣します。そのイスラエル人のスパイを自分の家にかくまい、追手から逃がしてあげたのがラハブでした。ラハブは気付いていました。「イスラエルの民には、まことの神が付いておられる。このままでは、必ずエリコの町は滅ぼされる」と。そこで、スパイたちに頼み込みます。「さあ、ヨシュアに伝えてください。私と私の家族を救ってくださるように」。そして事実、そのようになったのです。
神様の守りと救いを得ようと必死になり、それを勝ち取ったのがラハブでした。
新約聖書、ヘブル人への手紙11章31節には、「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました。」と、ラハブは「信仰によって」救いを得たと証しされています。
滅ぼされていく人々の中にあって、ラハブだけはまことの神を恐れたのです。偶像礼拝と悪に満ちていたエリコの町で、ラハブだけがまことの神を信頼したのです。
マタイの1章5節から6節にかけて、「サルマがラハブによってボアズを生み」とあり、ラハブは、なんと次に出てくるルツの夫ボアズの母親であったのです!
続いて三人目のルツです。旧約聖書、ルツ記の中に、彼女の歩みが記されています。「ルツ」は「友情」という意味の名前です。ルツもユダヤ人ではなく異邦人=モアブ人 でした。
(旧約聖書の時代、死海の東岸のモアブに定住し、王国を形成していた民族です。)
イスラエルのある家族が飢饉を逃れて、モアブの地に落ち延びて来た時、その家に嫁いだのがルツでした。しかし悲しいかな、ご主人を早く亡くし、義理のお父さんも義理の兄弟も亡くして、おしゅうとめさんのナオミと二人だけになってしまいます。そんな中、未亡人となったルツはおしゅうとめさんに徹底して従い、たくましく生きていきました。
「落穂拾い *」にも積極的に出て行きます。出かけて行った麦畑のオーナーはボアズという裕福な人でした。ルツは、亡き義理の父の家を消滅させないために、親族であり一家を助け出す義務があったボアズと再婚できるようにと、ナオミと相談しながら、自ら働きかけていくのです。
(* 旧約聖書の律法の中に、今はなんとか食べることができているあなたも、
自分の先祖たちが奴隷だったことを思い出し、今、奴隷のような状態の人に対して、
思いやりを持つことを忘れてはいけないと教えています。
「四角い畑を丸く刈る」ように、刈り取る時、わざとさりげなく適当な刈り方をしておいて、
旅人やシングルマザー、家族のいない子どもたちが、
刈り尽くさなかった残りのもの(落穂)を
拾って食べることができるようにと定められています。)
神様の祝福を得ようと従順にそして懸命に生きたのがルツでした。マタイの1章5節後半から6節に、「ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ。」と出てきます。ボアズと再婚したルツからオベデが生まれ、そのオベデの子はあのダビデ王の父エッサイなのです。つまり、ダビデから見ますとルツはひいおばあちゃんにあたるのです!
最後4人目。そのダビデ王と不倫の関係を持たされ、姦淫の罪を犯してしまったウリヤの妻、バテ・シェバです。バテ・シェバとダビデの出来事は、旧約聖書の第二サムエル記11章から12章に記されています。バテ・シェバのバテは「娘」という意味、「シェバ」は「富・豊かさ」という意味でした。彼女は、夫ウリヤが戦場で戦っていて、家で留守を守っている時、人妻の身でありながら、一国の王ダビデに見そめられ、王宮に召し出され、ダビデとの子どもを宿してしまいます。
ダビデは自分が犯した破廉恥な罪を隠すため、色々画策しますが、うまくいかないので、ウリヤを戦場の最前線に送り、殺した上で、未亡人となってしまったバテ・シェバを自分の妻としてしまうのです。その時の赤ちゃんは死に絶えてしまうのですが、ダビデ王とバテ・シェバとの間から次の子として生まれた子が、あのソロモン王であり、マタイの系図に載っていくのです。6節後半です。「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、」
これまで4人の女性たちと、その周辺の男たちを見ました。どうして、こんなにもひどい人たちが(ラハブやルツのように誠実な女性もいますが)…。罪深く、歴史的にも民族的にも汚点としか思えないような人たちが、どうして神の子イエス様の系図に連なっているのだろうかと思ってしまいます。
女性たち以上に、系図の中の男たちは、どうしようもなく愚かでだらしがありません。罪深い存在です。大切な息子の嫁や妻や女性たちを、自分の欲望のはけ口として利用したり、自己保身のために利用したりなど、ひどい扱いをしています。女性たちは、その男のダメさの被害者と言えるかもしれません。
マタイの系図から、人類が罪を犯し続けて来た結果、この世界が悪に満ち、汚れきっている現実を知らされます。あらゆることが乱れ切っている現実です。不条理と不平等ゆえに、悲しみとうめきで満ちている世界です。
今日の聖書交読箇所として選んだローマ人の手紙5章18節には「こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、」と出てきました。この一人とは、前の箇所をたどっていきますと、人類最初の人アダムだと分かります。創世記3章でアダムとエバが、神様に逆らってしまったあの時から、人類に罪(愛に満ちている神様に反発し、自分勝手に生きようとする人間のさが)が入り込み、その罪が全人類に広がって行ったのです。その結果、人は神様との関係が断ち切れてしまう死んだ状態に落ちたのです。
ローマ5:12 「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に─」
マタイの系図は、まさにこのみ言葉を体現しています。罪人たちの系図です。本来なら歴史の表舞台に出したくない恥ずかしいことだらけの系図です。しかし、この罪人たちの系図の最後に、ひとつも罪も汚れもない聖い神の御子がつながってくださったのです。16節「ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。」と。
罪に満ちたこの世の現実の真っただ中に、神の御子イエス様が降って来てくださいました。罪深い私たちの身代わりとなってあの十字架につくために、身代わりにいのちを差し出して、私たちを生かしてくださるために、イエス様は来てくださったのです。
一人の人アダムから始まった人類の罪の悲劇を終わらせるために、その惨状から私たちを救い出し、神様の恵みにあずからせるために、もう一人のお方イエス様が来られ、神様の救いを完成してくださいました。
ローマ5:15 「しかし、恵みの賜物は違反の場合と違います。もし一人の違反によって多くの人が死んだのなら、神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。」
イエス様の系図に5人の女性たちの名が書き記されている。同じようにあなたの名前も神様の御手の中に書き記されています。マタイの系図は、主イエス様で終わっていますが、私たちは血のつながりではない、信仰のつながり・霊的なつながりによって今、主イエス・キリストにつながれている系図の中に置かれています。
マタイの福音書12:49、50 それから、イエスは弟子たちの方に手を伸ばして言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
「ああ私も、イエス様につながれている神の家族のひとりとされている!」このことを信じ感謝し、歩んでいきましょう。
祈ります。