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国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

2023.12.10 16:30

  著者の佐藤優さんは作家。元外務省主任分析官という肩書を持っています。本書の紹介にあたり、先に著者/佐藤さんの略歴を紹介します。「1960年、東京都生まれ、同志社大学神学部卒、同志社大学大学院神学研究科修了(神学修士)。1985年に外務省入省。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、その後、モスクワの日本国大使館、東京の外務省国際情報局に勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、無罪主張をし、争うも2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠』『自壊する帝国』『交渉術』などの作品がある。」(朝日新聞デジタル版より)


        要約しますと、佐藤さんは、同志社大学大学院で神学修士号を取得し、その後外務省に入省。ロシア語が堪能な彼は、ロシア外交に関する仕事を任され、政治家の鈴木宗男さんと北方領土返還交渉の一翼を担うことになりますが、結果として2002年5月の鈴木宗男事件(*1)に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴されます(容疑は「背任」と「偽計業務妨害」)。無罪を主張し争うも2009年6月に執行猶予付きの有罪が確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、現在は作家活動に専念しています。


  このような異色の経歴を持つ佐藤さん。リアル書店なんかへ行くと彼の新作が常時置いてあるぐらいの多作家です。ルックスが、強面(こわもて)のためか、書いている内容も過激なのかと誤解しますが、そんなことはまったくありません。実際、敬虔で謙虚なクリスチャン。大学院で神学を学んでいる教養人でもあります。このような学識、見識ある方が、どのようにして外交政治の暗部に巻き込まれ刑務所に入れられたのか。。これだけでも本書を読む興味がわくのですが、本書の面白さは、刑務所へ入所後、地検特捜検事・西村尚芳(ひさよし)氏が佐藤さんの事件調書を作成する過程における二人の緊迫するやり取り、そして、この緊張感もさることながら、鈴木宗男事件に関連する今回の取り調べを「国策捜査」(*2)だ、と言う検事・西村氏と佐藤さんが、外交や政治における検事捜査に関する考え方・意見を述べあい、(日常生活では決してありえないような)検察官と被疑者が取り調べの過程でお互いが互いを認めあい、信頼関係を構築していく過程が丁寧に語られているところです。


  今回のような特捜検事の取り調べというのは、映画・テレビ冤罪ドラマなどで御存じの通り、被告にまず徹底的に精神的屈辱を与えて、被告の判断能力を疲弊させ、検事が取り調べの場を支配。そして、徐々に検察側に有利な自白を強要したり、または時折被告に同情するような語りかけをうまく混ぜ合わせ、あらかじめ検察側が想定したシナリオ通りの供述を引き出していくのが定石。今回の場合も、最初は徹底的に怒鳴り上げ、佐藤さんのプライドを傷つけることから始まります。


        ここであなりなじみのない「国策捜査」についてですが、この「国策捜査」というのはネットで調べると「特捜検察側が、捜査方針を決める際に政治的意図や世論の動向にそって『まず訴追ありき』という方針で捜査を進めること。」(Wikipedia)また、「政府の意思や方針によって行われる刑事事件の捜査。」(コトバンク)とあります。つまり(本書にも見解がありますが)ある時代において、世論が沸き立つような政治的、経済的な事件が持ち上がり、それが国の当局の訴追の方針に沿うような場合、ある程度強引に、世論に沿った方向へ捜査を誘導し当該事件を決着させ、結果として、世論をリセットさせるような一種の強制捜査のようです。(あまり具体的になってないかもしれませんが、、)


  東京地検特捜部/特捜検事・西村氏の取り調べに対し、感情的にならず、常に論理的に冷静に対処する佐藤さん。やがて、西村氏も佐藤さんへの対応を変え、彼の言い分をある程度認め始めます。取り調べにおいて被疑者の人権を無視してでも自白をとる、というと、検察官が人格的に問題があるような職業という印象をもつ人もいるかもしれませんが、しかし、それはあくまで調書づくりのテクニックに限定されたもの。佐藤さん曰く「検察の人をみる洞察力は決して侮れない」。佐藤さんの言葉を裏付けるように西村氏は、佐藤さんへ逮捕される経緯となった、今回の事件が「国政捜査」であることをほのめかします。(おそらく西村さんは、佐藤さんにある程度今回の捜査目的を話した方が、佐藤さんの理解を得られやすいと考えたのかもしれません。)


  「これは国策捜査。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。」 そして特捜検事は続けて国策捜査の在り方について検事側の考えを佐藤さんへ語り始めます。「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんだ。時代を転換するために、何か象徴的な事件をつくりだして、それを断罪するために。。」 この意外な言葉に佐藤さんは検事に問います。「つまり今まで普通に行われてきた、いやそれよりも評価、推奨されてきた価値感が、ある時点から逆転するわけか、、?」「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ。」


  西村氏はさらに意外な言葉を続けます。「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきてる。一昔前ならば鈴木さんが貰った数百万円程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードでハードルが下がっていく。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない。」つまり西村氏は国費を使うにしてもそれが法の認められる範囲か、違法とされるのか? その法の適用基準が年々低くなってきてると言いたいわけです。 


  その言葉に対し佐藤さんは疑問を呈します。「そうだろうか。あなたたち(検察)が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか。僕からすると事後法で裁かれている感じがする。。」「そうじゃない。実のところ僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じ基準で事件に対処しなくてはならないんだ。」 そして西村氏は外務省職員の費用の使い方を指摘。「彼ら外務省の基準は、一般国民から乖離しすぎていると感じる。機密費で競走馬を買ったという事件もそうだし、鈴木さんとあなたとの関係についても、一般国民の感覚からは大きくズレている。その断罪は僕たちの仕事なんだ。。」


  佐藤さんは再び特捜検事に問います。「一般国民の目線で判断するということならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになる。。」「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ。。」


  そして、西村さんは、国策捜査における検察の視点を説明します。「国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけだして、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけるということは、(被疑者に)何か隙があるんだ。そこに釣り針を引っかけて引きずりあげていくわけだ。(中略)だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっと運命の歯車が違ったんで塀の中に落ちただけで、歯車がきちんと嚙み合っていれば、社会的成功者になっていたんだ。でも、そういう人たちは、世間一般の基準から見てどこかで無理をしている。だから揺さぶれば必ず何かでてくる。」


  一昔前には、映画やドラマでも正義感の強いヒーローが法を無視してでも強引に行動し、事件を解決する、というストーリーがありましたが、正義という定義が曖昧になった現代、イデオロギーで敵対しあっていたもの同士が、ある出来事を通し、お互いの立場を理解しあい、やがてそこに友情のような人間関係、連帯関係が芽生える。そして実は二人が知っていた第三者が真の敵であることがわかり、二人が協力してその敵に立ち向かう、、なんていうストーリーが映画やドラマでも見受けられますが、まさに佐藤さんと西村氏との関係は、それを地で行っているようで興味深かったです。


  最後に西村氏は、一見国の利益しか考えていないような検察側も実は、国策捜査について、被疑者に対する「けじめ」もしっかり考えていることを強調します。 「あなたは運が悪かった。。。ただね、国策捜査の犠牲になった人に対する礼儀というものがあるんだ。」 「どういうこと?」「罪をできるだけ軽くし、形だけ責任をとってもらう、、つまり、被告を実刑せず、うまい具合に執行猶予をつけなくてはならない。国策捜査においては、逮捕が一番大きいニュース。初公判はそこそこの大きさで取り扱われ、最後の判決は小さく扱われる。そうして最後はみんなが国策捜査のことは忘れてしまうというのが、一番いい形なんだ。」 西村氏は続けます。「国策捜査の対象になる人たちはみんな高い能力の持ち主。事件後もそれを社会で生かしてもらうべき。だから被疑者がうまい形で再出発できるように配慮するのが特捜検事の腕なんだ。」


  佐藤さんは、取り調べの過程だけでなく刑務所内の様子もしっかり観察しています。入所中のある日、裁判所へ被疑者を護送途中のある老看守が佐藤さんへ次のように話しました。「ここにはいろいろな人が来るから、俺たちは人間を見る目は肥えている。若い看守でやたら怒鳴り上げるのは、ここに来ている人たちが怖いからなんだ。」 そして佐藤さんは看守さんについて次のように続けます。「 監獄の看守というと、乱暴な人たちという印象が強いが、それは事実と異なる。もちろん囚人と激しく言い合ったり、乱暴な口をきく看守もいる。しかし、拘置所の職員たちは、すました顔で大使館のパーティに集まる外交官や霞が関の官僚たちよりも、人を人物本位で見るとこのできる人々だった。。」 


  そして保釈決定後の入所最後の日、刑務所から出所する佐藤さんに、担当看守が別れ際に思いがけない言葉を伝えます。「規則とはいえ、いろいろキツイことを言ってすいませんでした。外に出てからは是非活躍してください。楽しみにしています。。」 そして、彼は佐藤さんに向かって深々と頭を下げたのです。その礼節に対し思わず頭を下げ返す佐藤さん。「何をおっしゃいますか。こちらこそ大変お世話になり、感謝しています。」


  刑務所への入所、塀の内側という極限状況の中での取り調べ、、このような屈辱を与えられたのにも関わらず、佐藤さんは沈着冷静。普通の人なら、「誰が俺に濡れ衣を着せたんだ。」などと、自分を罪に陥れた同僚や仕事仲間を恨むはずです。しかし、当時の心情を吐露する佐藤さんの語り口は、淡々としています。「自分はクリスチャンなので、神が自分に何か使命を与えたはず。だから自分はそれを淡々とこなす。。」 仮に自分が牢獄へ入れられて尋問される、、という立場になったら、人間不信や、虚無感にさなまれるかもしれません、、、佐藤さんはつくづく芯が座っていると感じます。さらに佐藤さんが立派だと思うのは、実は彼は現在慢性腎不全を患っていて、余命あと何年というほど症状が重いのですが、そいうった境遇においても、作家として活動を続けている点です。


  本書の最後で佐藤さんは次のように、今後の作家活動の姿勢について語っています。「『キリスト教徒としての魂』『知識人としての魂』を基本に据えて作家活動を行いたい。そしてよき日本人であるという『ナショナリストの魂』を、国家権力を持たない大多数の日本人と同じ視座に立って発言し、私の愛する日本国家と日本人のためにお仕えしたい。」 人生の苦難にあたっても決してあきらめることなく、冷静に日常をおくる、、そういった佐藤さんの姿勢を是非見習いたいと思いました。さて、最後になりますが本書のタイトルにある「ラスプーチン」ですが、この人はロシアの修道僧です。特異な外見や性格から怪僧と呼ばれました。「ロシア皇帝を背後で操り、ロシア帝国を崩壊に導いた怪僧といわれているが一方では、ロシア民衆の声を体現した平和主義者だったという見方もある。」(本書より) 

(*1)鈴木宗男衆議院議員(当時)を巡る汚職事件。 2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札における、北方領土支援にからむ偽計業務妨害などを含む。(*2)国策捜査:過去に国策捜査といわれるものには、1996年の住専事件拓銀事件、長銀事件、拓銀事件、安田事件、日歯連闇献金事件など。