教皇庁捕囚12-スコットランド征服失敗
2018.10.11 08:49
金が欲しいのは英王エドワード1世も同じ。1272年ユダヤ教がイングランドで禁止されシナゴーグが閉鎖。そして1290年ユダヤ人の財産が没収され、彼らは国外に追放された。この後の金融はイタリア人、フランドル人などが台頭したが、王家は結局追放した国外のユダヤ人にもまた金を借りたようだ。
1297年には、フランドルに出兵してフランスとの戦争をするため、増税を行ったが国民は反発、兵は200人しか集まらなかった。出兵した後にも、ノーフォーク伯やヘレフォード伯が議会で、増税無効の議案を提出しようとした。さらにスコットランドのウォレスの乱が起こり、王はイングランドに引き返し、課税を断念。両者は妥協してマグナカルタを確認し、王は議会に課税まで制限されることになった。
1305年にウォレスを処刑して、スコットランドを制圧したエドワードだったが、1306年にはキャリック伯ロバートがスコットランド王ロバート1世として即位。メスヴェンの戦いに敗れて逃走したが、翌年2月、スコットランドに帰還したロバートは、ラウドン・ヒルの戦いでイングランド軍に勝利した。
エドワードは赤痢に苦しんでいて、スコットランドへの行軍の途中、1307年7月3日、カーライル郊外のバイ・バラ・サイズで騎乗中に倒れこんですぐ皇太子を呼び、7月7日に崩御した。王は行軍を続けるよう命令したが、皇太子は撤兵せざるを得なかった。スコットランド征服は結局失敗に終わり、ロバートは今日もスコットランドの国民的英雄である。
下はエディンバラ城にあるロバート1世の戴冠