2023年12月10日(待降節第二主日)
ケン神父のメッセージ:
皆さん、おはようございます。先週の待降節第一日曜日は、再臨についてでした。今日の待降節第二日曜日のテーマは「新しい世界について」です。この新しい世界で、神様とともに、近くに住んでいることです。それは、イエス様が生まれてからの出来事です。残念ながらマルコによる福音は、イエス様の誕生の話は記録されていません。しかし、世界が新たに生まれ変わったことを説明します。イエス様が生まれましたので、今は神様とともに生活をしています。もちろん、その素晴らしい新しい世界になることは、チームワークでした。マリア様と洗礼者ヨハネのおかげです。今日の福音を通して、洗礼者ヨハネは、イエス様の助産師として登場します。彼は2000年前の模範と、言葉と、洗礼を通して、2000年前の人々だけではなく、私たち現代の信者たちもイエス様を見つけるために助けてくださいました。私たちカトリック教会の中で、もっとも大切な人物です。
今日の説教の時間を使って、洗礼者について少し説明したいと思います。カトリック教会の典礼のカレンダーの中で、カトリック教会の歴史の人物で3人だけ誕生日を祝います。12月25日はイエス様の誕生日です。9月8日はマリア様の誕生日です。そして、6月24日は洗礼者ヨハネの誕生日です。この3人は、不思議な方法で生まれましたので、教会はこの3人の人生をほめられます。3人とも生まれた物語の中で奇跡がありました。西暦170-236年、生きた聖ヒポリタスは、初期キリスト教教会の歴史の本を書きました。この中で、マリア様のお母さんアナと、洗礼者ヨハネのお母さんエリザベトは姉妹関係だったそうです。その通りに、マリア様とエリザベトの関係は、めいとおばでした。神様はエリザベトとザカリアの祈りに応えて、不妊の問題を乗り越え、約45歳で妊娠しました。この情報から、ザカリアは天使ガブリエルを通して、神殿の中でそのお知らせを聞きました。二人にとって、奇跡でした。その時にはまだ洗礼式がありませんでした。男の子の発達を祝うために、生まれてから8日で割礼式を行いました。終わってから子供の名前を発表しました。ザカリアは、新しい息子を「ヨハネ」と呼ばれました。その名前は天使ガブリエルを通して、つけるように言われた名前でした。「ヨハネ」という名前の意味は、神様が「思いやり」という内容を言っています。この式の情報は、ルカによる福音の1章に記録されています。おそらく、私たちカトリック信者たちはこの話を聞いて、現代の洗礼式に似ていると思います。新しい信者が聖人の名前を選択して、その聖人の人格と使命を続けるために、それからの人生を過ごしていきます。それは洗礼者ヨハネの場合も同じでした。人生の時間を神様の赦しの愛と、息子の救い主(イエス様)を紹介するために、人生の時間をささげました。
私は個人で、洗礼者ヨハネの模範で好きなことは、わがままではない態度です。自分よりもいつもイエス様のイメージを高めるために、言葉を言いました。自分は人気を落とすために、変な服を着たり、変な食べ物を食べたり、酷い場所に住んでいました。しかし、彼のメッセージは素晴らしい内容なので、人が集まってきました。実は、400年前に天使ガブリエルが、ダニエルを訪問して、はっきりとイエス様が生まれる年をお知らせしました。この預言があったので、皆、洗礼者ヨハネの活動を興味深く見ていました。洗礼者ヨハネも弟子たちを集めていました。しかし、イエス様が登場してから、自分の弟子達にイエス様を紹介して、イエス様を信用するように指導しました。イエス様の弟子アンドレとヨハネは、洗礼者ヨハネから移った弟子です。(ヨハネ1章29節)。洗礼者ヨハネはイエス様のために、自分の才能、時間と、最後にヘロデ王を通しての殉教を通して命をささげました。洗礼者ヨハネは、新しいわがままのない生き方を模範しました。アダムとイヴは、神様の意思に対して、耳をふさぎましたが、洗礼者ヨハネは神様の意思を聞くために、常に心を開いていました。実は、イエス様が生まれることは、世界が再び新たにスタートすることを、洗礼者ヨハネを通して説明されました。それは罪のない世界と神様を賛美する世界です。
イエス様は洗礼者ヨハネが殉教されてから、彼の偉大な役割を説教の中でほめられました。そして、彼の洗礼式も新しいカトリック教会のために、引き継ぎました。イエス様も洗礼式を行った箇所が記録されています(ヨハネ3章22節)。私たちカトリック信者たちは、洗礼を通して新しい自分になることできます。洗礼の後で、世界を新しい目で見ることです。それは心の目、愛の目です。
もうひとつの洗礼者ヨハネの財産は、御聖体です。洗礼者ヨハネは、最後の晩餐に参加しませんでしたが、イエス様の中の霊的なパワーをよくご存じでした。例えば、洗礼者ヨハネは、最初の人として、イエス様を「神の小羊」という別名で呼びました。もちろん、イエス様と洗礼者ヨハネの2000年後でも、ミサの中で、御聖体を頂く前に、「平和の賛歌」を祈りながら、洗礼者ヨハネの神の小羊の言葉を再び思い出します(ヨハネ1章29節)。皆さん、このユダヤ教の文化をご存じでしょう。イエス様の時代に、ユダヤ教信者は自分の心に罪を犯した気持ちがあれば、神殿に行って、羊を一頭買って、神父に持って行き、祈りました。そして、罪びとが動物と自分のひたいをくっつけながら、その罪を動物に移すように祈りました。そして神父は、その動物をささげて炎で神様にささげると罪びとの罪が無くなるという伝統と典礼がありました。その背景を通して、イエス様の「神の小羊」の役割の意味が始まりました。イエス様は私たちの罪を自分に受け取り、十字架上で命をささげてから、私たち人間の罪が赦されました。その素晴らしい犠牲を通して、イエス様が世界を再始動しました。そのために私たちはイエス様のクリスマスの誕生を通して、彼に毎年感謝の気持ちを表します。どうぞ皆さん、イエス様、マリア様、洗礼者ヨハネの3人の愛の模範を見習って、この新しい世界を守りましょう。ありがとうございます。