電脳化されない道具商
さらに、あの時代の寵児は、こんな薄気味悪いことまで言ってるらしい。素人って・・・。
そりゃあ、こんなに世界中の人たちが毎日ネットにアクセスして、喜怒哀楽を交換していているんだから、物忘れなんてしないAIは淡々と全てをデジタルデータにしながら、その電脳に膨大な知識を蓄えているに違いない。人間の感情と行動の相関関係を。
大体、昔の人は「タダほど高いものはない。」と良く言ったもので、「無料アプリ」とか言うけど、その代償に何だかえらく大事なものを吸収されてるような気分になるのは私だけだろうか。
また、AIとバイオテクノロジーが合わされば、不老不死だってきっと出来るんだろうな。
でもねえ。
なんだかなあ。。。
しかし、アレはもうそんな沙汰じゃない。プカプカなんてしていられない位の激流だと思った。この町はきっともう未来に入ってしまったんだろうな。大変だな。
そこにいるだけで、どっしりとした、暖かい、普遍的な何かが足元から浸みてきて、とても心地良い。
それがいい。それだからいい。
「AIに理解出来ないことってなんだろう。」
それはきっと人類存続のための大事なテーマに違いないと思っている。
開店したてで、まだ落ち着いていない店内を勝手に写真を撮りながら歩いていると、ふと気付いた。
要は、流されなきゃいいんだ。
パッと見便利そうなものに流されることなく、余計なことはせず、語らず、しかし己の芯の部分は決して曲げずに貫き通す。
多分AIが一番苦手なのはこの道具商みたいな人間たちかもしれない。そう思った。
それが分かっただけでもここに来て良かった。
とりあえずしばらくはAIのことなんか気にするのはやめにしよう。
釣りに行けない日は、こんな本でも読んで、まだ見ぬ清流のことを夢見るとでもしよう。
要は自分さえしっかりしてればどうってことないのだから。