「日日是好日」
見応えのある映画だった。
「映画絶ち」・・・しようと思っていたけど。
先日、希林さんが亡くなって、「彼女の映画を観ておいて良かったなぁ~」と、
しみじみ思ったので、映画は観ることにした。
さっそく・・・・・
封切りを待ちかねて出かけてきた。
内容は、茶道を通じて成長していく主人公のお話なのだけど。
かなり深いことを語っている。
随所に、希林さん演じる「武田先生」がつぶやく言葉・・・
「あぁ、頭で考えているのね・・・」
「身体が覚えて自然と動きますから・・・」
「そう言うものなのです・・・」
「重いものは軽く、軽いものは・・・見えるように扱う」
茶道を習い初めの主人公はとまどう・・・
割り稽古で、一つ一つの所作を習うのだが、「袱紗さばき」の意味自体は、
理屈ではなく、抹茶を点てるクライマックスに通じる時間を・・・
客と共有するための段取りとか手続きとも言えるわけで。
だんだんと・・・
美しい所作を通じて五感で感じ取る世界。
それらを・・・
亭主と客が同じ空間で味わいながら、一連の動きは流れるように・・・
一つ一つの所作には意味はあるけど、理屈で説明は出来ない。
もどかしくも感じるかもしれないが・・・そう言うものなのだから。
二十五年間、武田先生に師事を得て、主人公は・・・
感じ取ることの意味を会得していく。
就職試験を受けると聞けば・・・
床の間に「達磨の掛け軸」をかけて、主人公を迎えて、
「大事な試験だから達磨さんににらんでもらう・・・」
「七転び八起きとも言うわね」と、武田先生はやんわりとつぶやく。
この映画は、
茶道を修得するお話ではあるけど・・・
師と弟子のお話でもある。
初めは、母親から薦められて何となく踏み込んだ茶道と言う世界に、
武田先生との関係性により主人公が成長し茶道を理解し、
「生き方」までも修得する。
自分の中に、芯が出来たとでも言うのか。
これは・・・・・
茶道の世界だけのことではない。
華道も、先生のお手本をひたすら真似ることから始める。
水盤の扱い、作品の管理(水を換えたりなど)、こまごまとしたことを
お稽古を重ねるごとに先生から学ぶ。
絵画では・・・・・
石膏デッサンなどは、まったく理屈は通じない。
自分のデッサンを、先生に直してもらいながら、作品にしていく。
舞踊では・・・・・
先生の真似をして振りを覚え、振りを覚えたら先生に型を直されて覚える。
理屈ではなく「身体で覚える」。
今なら「児童虐待」と言われかねないが・・・・・
脚や手を棒で叩かれたり、つねられた事もあったなぁ~
お三味線も・・・・・
先生を真似て「間」を覚える。譜面には抑える勘所は載っているけど
間は書いてない。
身体で覚えるしかない。
口三味線というくらいだから、譜面は一応の目安でしかない。
特に、鳴り物との合奏では、「間」「呼吸」がすべてなわけで・・・
それが上手くはまると・・・たいへん気持ちがよいし感激でもある。
「一体感」「高揚感」・・・文字には出来ない世界。
五感を総動員して、嬉しい時間。
そして、
占いでもそれは言えるかもしれない・・・
理屈ではなく、感じ取る世界。
たしかに・・・・・
初めは、公式をひたすら覚えて、出てくる用語も聞き慣れないし・・・
「文系かと思って入ってみたら理系だった・・・」
「これが何に通じるのか判らない」時期があり、
しかし、
「何かに通じているのだワ」という、ワクワク感はある・・・
やがて、
時間をかけて、一つ一つの事柄が「頭の中でつながる」ことを感じる。
それは、おみくじ式ではないので、依頼者の唯一の世界であり、
その世界を感じ取る事が、五感で出来たら・・・
その方に寄り添うことが出来るのではないかなと思う・・・
茶道の映画から・・・
えらいこと・・・世界を広げてしまったけど、
「感受性」は、占いにも大いに関わることだから、
文字に出来ない世界観を大切にしていきたいなぁと思う。
まだまだ未熟なのだけど、
マインドは、持っていたい。
ひたすら、
ランニング走り込み・・・であって、投球練習を焦らずに。
そして、失敗を怖れずに。